The Beatlesの「新曲」として"Free as a Bird"が発表された1995年11月20日は、本当に長い一日でした。
WITH THE BEATLES
まず、当時毎日のようにアクセスしていたNifty-Serveのビートルズ会議室"WITH THE BEATLES"の存在が大きかった。
これは、インターネットが普及する前から存在していた「パソコン通信」と呼ばれていたサービスにあった、ビートルズについて語り合いたい人が集まる会員制掲示板のような場所です(dream9さんのブログにも解説があります)。ここではもちろん、発表になるずっと前から新曲に対する期待感であふれかえっていました。
前日にも、私はこんなことを書き込んでいました。
95/11/19 20:12
ついにあと約24時間で、「THE BEATLESの新曲を聴ける」のですね。
THE BEATLES現役時代をリアルタイム体験した方々の、「新曲を楽しみにする」興奮は、私のような後追いファンには絶対に味わうことができないと思っていました。せめてポール、ジョージ、リンゴのコンサートに行くことのできる時代に生まれたことに感謝しよう、と考えていました。
それが・・・
ただいま、「THE BEATLESの新曲を楽しみにしつつ」興奮中!!!
生き延びましょう!!
最後の言葉は「Free as a Birdを聴くまでは死ねない」という意味です、もちろん。
だからこの日は朝目覚めた段階で、一生忘れられない日になるかも、と感じていたのを覚えています。
当時「ビートルズ会議室」にアクセスしていた実家のMac LC630。
FM802のクイズ企画
平日だったので当然出勤。仕事中は少しはこの興奮状態から逃れられるかなと思いましたが、甘かった。
お客さん訪問のため、オフィスからから車に乗ります。このオフィスにある営業車のうち、FMが聴ける車は限られていますが、当然この日はその車を押さえてあります。乗り込んですぐセットした大阪のラジオ局FM802では、この曲に関するクイズをやっていたのです。どんなクイズだったのか?
曲が収録されたアルバム"Anthology1"は、EMIにより音源が事前に漏れないように厳重に管理されていました。CD工場を世界3カ所に絞り24時間体制で警備員をつけるなどしていたのです。当然出荷時間も厳重に規定されていて、それが1995年11月20日の朝何時かでした。それに対しFM802は、少しでも早く新曲を放送するために、DJを、その世界3か所のうちのひとつである静岡県御殿場の東芝EMIの工場に"Anthology1"を取りに行かせ、さらに「さて何時に大阪に戻ってきて放送できるでしょう?」というクイズを企画したわけです。
さあ何時くらいだろう、と思いながら車を走らせいくつかのお客さんのところを訪問していきます。お昼ごろだったか、車に戻ると、さっきDJが「CDを手に入れて携帯経由で聴かせたけどよく聞こえなかった」「まだ大阪には着いていない」とのナレーションがありました。こんな曲です、と歌ってくれもしたが当然それで曲がわかるわけでもありません。でも、もう少しすれば新曲を早々に聴くことができるかもしれない。うまいタイミングで自分が車の中にいるときに放送してくれればいいなあなんて思いながら車を走らせ、お客さんのところへ。
そしてお客さんとの話が終わって車に戻ったところ、ラジオからは「15時29分でしたね〜」という声が。時計を見ると15時40分くらい。ちょうどDJがスタジオに戻って曲をかけ終わったところだったのです。うーん、なんというタイミング。
ここで私は決めました。どうせなら今日の夜まで待とう、と。この日の「ニュースステーション」で、"Free as a Bird"を放映する予定があるからです。車を運転しながら聴くんじゃなくて、プロモフィルムも含めてまっさらな頭で曲に集中できる状態で「The Beatlesの新曲」に遭遇しよう。なのでそれ以降、カーステレオの電源は切っておくことにしました。「ニュースステーション」までの我慢だ。
NHKのニュースとラジオ
そうこうしている間にもう19時前。ここでいったん事務所を出ました。残業中ですが、夕食兼ピアノのレッスンに出かけるために。
仕事中にピアノ?実は、当時の上司が非常に理解のある人で、そんなわがままな行動を認めてくれていたのです(もちろんその間の残業代はもらってないです)。しかしこの日に限っては、このわがままも「厳しい闘い」になってしまいました。
まず、食事をしようと餃子の王将に入ったら、そこのTVでNHKのニュースが。まさに、「ビートルズの新曲」についてでした。御殿場のCD工場でのCDプレスの様子、一斉にCDを摘んだトラックが出ていく映像などが映し出されています。
日本放送協会「NHKニュース7」1995年11月20日放映分から引用
この映像にはびっくり&うれしかったものの、「新曲がちょっとでも流れたらどうしよう」とあせったのも事実。まあテレビがちょっと離れた場所にあったので音声はほとんど聞こえませんでしたが・・・ちなみに王将の若い店員さんが食い入るようにテレビを見ていました。多分同類です。なんだかうれしくなります。
そしてピアノ教室へ。ここは楽器店と教室が併設されているのですが、教室にはいると店内に流れるFMから"The Beatles! Free as a Bird!"と叫ぶDJの声が!一瞬からだがこわばるものの、聴くまいとあわてて走り去る私。なにやってんだ。なんとか曲は聴かずにすみました。
レッスンが終わり事務所に戻ると、同僚はほとんど帰宅した後。そのうち私一人になりました。時間も20時をまわっている。このままだと「ニュースステーション」の時間までに家に帰ることはできません。しかしこれも計画済み。当時の事務所には、30インチくらいのテレビとけっこういいスピーカーが設置されている休憩室があったからです。新曲はここで見よう。そういう魂胆です。
ニュースステーション、そして・・・
「ニュースステーション」の時間になりました。当然仕事はここで終了。トイレもすませ、満を持して休憩室に向かいます。しかしなかなか新曲紹介が始まりません。
そうして1時間近くたったでしょうか、たしか米問題についてのニュースが終わった後、「大変お待たせしました」みたいなことを久米宏さんが言いました。やっとだ。
CMの後、The Beatlesのあゆみを簡単に紹介する映像が続いた後。ついに。始まりました。
鳥の羽ばたく音、4人の子どものころの写真、そしてRingoのドラム2発。
あんなにテレビを食い入るように観たのは、あれが最後かもしれません。誰もいないのをいいことに、ボリュームをかなり上げて曲の世界にどっぷりつかりました。
Johnのパートの次にPaulのヴォーカルが聞こえてきたときは、もうなんと言っていいか・・・震えました。
ビートルズマジックに打ちのめされました。
(公式)The Beatles - Free As A Bird
帰宅後、Nifty-Serveで
しばらくぼうっとした後、今度は急いで家に帰ります。ビデオで何度も観るのです。いやその前に、Niftyのビートルズ会議室のコメントを読みたい。
日付が変わるころに家につき、Macintosh LC630を立ち上げNiftyにアクセスすると、そこにはコメントの山が・・・内容を読む前に、この「事件」を全国のファンたちと共有できているという実感と、そのことへの感謝の気持ちがまずわきあがりました。
パソコン通信のある時代でよかった。本当にそう思った。そしてコメントを読みふけります。みなさんの興奮冷めやらぬ様子が画面の向こうから感じられます。
その後、ビデオは何回観ただろう。曲をひとしきり堪能し落ち着いてくると、今度は各シーンの「仕掛け」「ネタ」が気になり始めてしまいます。ファンの方はご存じのように、この曲のプロモフィルムは、The Beatlesのいろんな曲を映像化した上、そこにThe Beatles4人の在りし日の姿をコラージュした内容。数秒ごとにファンをにやりとさせるつくりなのです。なんというものを創ってくれたのか。
結局、いったん落ち着いてNiftyにコメントを書いたのが午前2時半ごろ、ビデオの前から離れられる気持ちの整理がついたのが午前4時頃でした。
その時間でも、会議室の書き込みが途絶えることはありません。みんな、それぞれの想いを語っていました。
聴きました。
ジョンが歌っている。
ポールのヴォーカルの素晴らしさ。
「ビートルズの新曲」なんて表現にはネガティブだったけどいざこの曲を聴くと熱くこみ上げるものが。
「ビートルズっぽい」と「ビートルズ」は大きな差。
(プロモビデオの分析は、翌日以降に一斉に始まりました。やっぱりまずは歌、音楽に打ちのめされている人が多かったみたい。私もそうです。)
それにしても。この日までありえない夢だった「ビートルズの新曲をリアルタイムで聴く」ことができた。しかもそれを、全国のファンとリアルタイムで共有できた。こんなこと、かなうもんなんだな。この長い一日が終わるときに頭の中はそんな驚きでいっぱいでした。
Niftyにコメントを書き込むときは、自然と「FAB4ありがとう」とタイプしていました。
今でも感謝しています。もちろん、この「事件」を共有した人たちにも。
(2005年11月20日記載)それにしても、もう10年か・・・まだ昨日のことのように覚えています。10年後も20年後もそうだと思います。
(2020年11月20日追記)25年たった今も、やはり昨日のことのようです。
後日譚
2年後、1997年に・・・
リヴァプールの、Free as a Birdプロモフィルムロケ地に行ってみました。
25年後、2020年に・・・
偶然、1995年当時のニフティ本社があった大森ベルポートA館に出張しました。この日のことがフラッシュバックしたのは言うまでもありません。サーバもここにあったのかな。だとしたら、ここでみんなと語り合ったってことにもなるのか・・・そんなふうに思いながら。