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グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独

公式サイト(音声が流れます)

グレン・グールドの誕生から死までを追った作品。一部再現映像もありますが、ほとんどは本人出演のオリジナル映像か関係者の証言で構成されています。


突き抜けた才能で走り抜けていく前半は本当に観ていて気持ちよかったです。若さと才気が光り輝いている感じ。天才少年がピアノを弾く度に周囲を驚かせ続け、ついにはレコードデビューで世界を驚かせる。バーンスタインなどの巨匠相手でも自分の感性は譲らず、バーンスタインのほうが折れる。そして何よりあの疾走感とエッジの効きまくった演奏のかっこよさ。すべて知ってはいることだけど、それを活字からではなく、映画館にて全身で味わえる感動。


でも、コンサートに出ることを一切やめ録音(と、メディアの可能性を試すような各種の企画)だけに集中するようになってからは、一貫して「孤独」がスクリーンを支配していたように思います。私はこの映画を観る前は、彼は「孤高」の人で望んでそういう状況に身を置いていたとばかり思っていました。もちろんコンサート・ドロップアウトなどは心から願ってそうしていたのでしょうが、コーネリア・フォスと不倫関係にありながら結局結婚に至らなかったことなどは、コーネリアの息子娘の証言(グールドは繊細で優しい人だった)とあいまって、グールドの後半生にどれだけの傷を残したのかと想像してしまいました。彼はよく言われるような「女性嫌い」でもなんでもなかったのです。

あと、後半生の「孤独」から、グールドほどの人間でも一人でアーティストとして生き続けていくことがどれほど難しいことなのかも痛感しました。アーティストの中でも、一人ですべてが完結するタイプのソロの演奏家や画家・彫刻家、小説家などの人々は相当な精神力がないとやっていけないんだろうな(もちろん共同作業で作品を作り上げていくのも並の精神力では無理なんでしょうし、共同作業にはそれ独特の大変さがありますが)。「グールドの奇行についてのエピソードはたいてい事実とは異なるが、病気・死への異常な恐怖は本当だった。」という証言も、その辺りと関係があるのだろうという思いも強くなりました。ドラッグのように快楽や安静を得るためではなく、病気にならないために大量の薬を服用していたらしいですが、結果的にはそれが健康をむしばんでいたようです。「死の恐怖から逃れるために服用していたが結果的に体を損ねた」という点ではドラッグと一緒か。そういう「奇行」も一人でアーティストとして生きていく重さからの逃走だったのかもしれません。


グールドという人間が持っていたであろう寂寥感がこちらの心にも深く刻み込んだ作品でした。でも、彼の音楽はそんな寂しさとは無縁の燦然と輝く存在なんですよね。映画を観て以来、オープニングで流れていた彼の弾くベートーヴェン交響曲第6番「田園」ピアノ編曲版を毎晩味わっています。これこそがアーティスト、いやミュージシャンの仕事であり力なのだと思います。

Glenn Gould Edition: Beethoven/Liszt


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