うならされました。小沢さんの心意気と演出と楽曲に。
(以下、ネタバレ大ありです)
会場
グッズ売り場
構成
新曲が7曲。ここがまずすごい。この心意気。
さらに、その新曲の一部を2回、しかも最後にやる。ここはさらにすごい。そしてその新曲は、「シナモン」と私も一聴して好きになった「フクロウの声が聞こえる」。それがオーディエンスへの無理強いになっていない。みんな、この曲を聴きたかったんじゃないかな。少なくとも私はそうでした。特に「フクロウ」。
新曲の歌詞をプロジェクタに映してくれるのも小沢さんならではの演出。小沢さんは屈指のメロディーメイカーであるだけでなく本質的に詩人なのだから。歌詞が映し出されている間会場が水を打ったように静まりかえっていた事実も、そのことを証明してくれているような気がします。
楽曲と演奏
既発曲も見事な味付けで聴かせてくれました。セルフカバーというよりリアレンジ。「それはちょっと」くらいじゃなかったかな、オリジナルに忠実な演奏は。「ドアノック」のイントロは「ああ、あれに違いない、でもどうかな・・・」というドキドキからなじみのフレーズが湧き出してきたときのカタルシスたるや。「天使たちのシーン」は最後までやってほしかったって気持ちもありますが、ああいうふうに新曲の導入部としての使い方は(しかもその新曲が今の小沢健二の日常のひとこまを描いたもの)、それこそ「愛すべき、生まれて育ってくサークル」そのもの。なんとも粋な演出です。
参考:大槻ケンヂの「天使たちのシーン」について
そうそう、歌もひふみよの時よりずっとよかった。ひふみよも素晴らしかったけどちょっと無理にソウル寄りにしていました。でも今回はまぎれもなく「小沢さんの歌」。
参考:小沢健二、新曲満載の全国ツアー開幕!美術館ライブ×2も発表 - 音楽ナタリー
この世のすべての人生を愛しいものとして照らす歌
先ほど「今の小沢健二の日常生活のひとこま」と書きましたが、新曲に子どもと飛行機につながるものがほんとうによく出てきます。ああ、これが今の小沢さんなんだな、それがこうやって歌に結晶しているんだなという感慨も非常に深かった。
友人と、小沢さんと同年代で一緒に歳を重ねられる幸運みたいなことについてやりとりをしました。私は「LIFE」の頃20代で独身で、それからしばらくして(私は小沢さんより少し早く)子どもを授かっているのですが、その時々で小沢さんが「そのころの生活」に近い歌を紡ぎ出してきてくれているのです。そしてその幸運は00年代にもう終わってしまったのかと思っていたらそうならず、今ここで、今の小沢さんが新曲を届けてくれている。そしてその言語は自分の母語である日本語だった。なんという幸福だろうか、と心から感じています。
そして小沢さんの歌は、ご自身のLIFEからのものであると同時に、すべての人に向けてのものでもあります。私はライブの間ずっと、小沢さんが発する歌がこの世のすべての人生を愛しいものとして照らしている、そう感じていました。
最後に、あの頭がよく話の上手な小沢さんが、ステージでうまく言葉をまとめられなくてはにかみながら感謝の言葉を客席に贈ってくれました。「立ちの会場でみんなの顔がすごくよく見えて・・・ほんとうにもうなんか・・・いいツアーをやらせてもらっているというか・・・」それはこちらこそ!です。
Zeppからの帰り道、フクロウという言葉がきらきらした抑揚で話されているのを何度も耳にしました。まったく同感です。早く音源を!