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レコード会社はなぜボックスセットを値上げするのか

前回のメモで、ポール・マッカートニーやビートルズのボックスセットが過去10年くらいでどの程度値上げされているのかをまとめました。

ここで私は「利益を確保するのは営利企業だから当然としても、同じような商品を説明もなく値上げするユニバーサルミュージックジャパンは信頼できなくなった」というようなことを書きました。

今回は、なぜユニバーサルミュージックがこのようなことをするのかについて考えてみました。

日本以外でも値上げしている

まず、この値上げをユニバーサルミュージックの日本法人だけがやっていることなのかを確認します。

具体的には、ポール・マッカートニーのボックスセット「アーカイブ・コレクション」の中で、大幅値上げの第一弾となったFlowers in the Dirtのデラックス・エディションと、その前にリリースされたTug of Warのスーパー・デラックス・エディション*1の「リリース時のamazon価格*2」の値上がり率を、日米で比較してみました。

日本:価格59%増

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Tug of War スーパー・デラックス・エディション リリース時価格(amazon.co.jp+Keepa)
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Flowers in the Dirt デラックス・エディションリリース時価格(amazon.co.jp+Keepa)

Tug of Warが14,373円*3 → Flowers in the Dirtが22,816円*4ですので、59%増となっています。

アメリカ:価格121%増

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Tug of War スーパー・デラックス・エディション リリース時価格(amazon.com+Keepa)
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Flowers in the Dirt デラックス・エディション リリース時価格(amazon.com+Keepa)

こちらは67.98ドル*5 → 149.98ドル*6ですので、121%増となっています。

少なくとも、アメリカでは日本以上に値上げをしていることがわかりました。

ですから、少なくともFlowers in the Dirtの値上げは、ユニバーサルミュージック日本法人の独断ではないことがわかりました。ユニバーサルミュージックの「世界戦略」だった可能性があります。

※日米でビートルズ"Get Back"の映像ディスクの価格にかなり差がある件は、もちろんこれにはあてはまりません。ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社の値付けが日本のビートルズファンをなめすぎている(あるいは、マーケティング感覚に問題がある)だけのことだと思っています。


レコード会社の経営が苦しいから?

では、ユニバーサルミュージックはなぜボックスセットを値上げしようとしたのか?

最初に、音楽産業界についての素人である私が思いついたのは、経営が苦しいから、という理由です。

CDが売れなくなったので、ミュージシャンはライブで稼ぐようになった。そういう話はあちこちで聞きます。だからレコード会社は経営が苦しくなっているのでは?

実際はどうなのか。Flowers in the Dirtのデラックス・エディションが大幅値上げでリリースされたのは2017年初頭なので、ユニバーサルミュージックの2016年決算を確認します。

ユニバーサルミュージック全体ではしっかり利益を出し、成長もしている

ユニバーサルミュージックの親会社ビベンティのFinancial_Report*7
にある、ユニバーサルミュージック単体の2015年と2016年の決算状況は次の通りです。

  • 収入:5,108百万ユーロ → 5,267百万ユーロ(4.4%増)
  • 営業利益(EBITA):593百万ユーロ → 644百万ユーロ(9.1%増)

少なくともユニバーサルミュージックトータルではしっかり利益を出しているし、収入・利益ともに前年度に対して伸びを記録しています。経営状況は堅調といえるでしょう。

結局、CDが売れなくなってもストリーミングその他で稼げているのですね。

直近の決算も絶好調

それは現在でもそうなのか。直近の2021年度決算がちょうど先月(2022年3月3日)に発表された*8ので、そちらも確認してみましょう。

  • 2021年の録音された音楽の収益は6,822百万ユーロ、2020年と比較して14.3%(為替変動の影響を除けば16.9%)増加
    • サブスクリプションとストリーミングの収益は、前年比16.9%(為替変動の影響を除けば19.8%)増加
    • サブスクリプションと広告でサポートされるストリーミングの収益の両方が大幅に増加
    • フィジカル(よしてる注:CDやレコード)の収益は、強力なアナログレコード需要と直接販売の伸びにより、前年比18.6%(為替変動の影響を除けば21.2%)増加
    • ダウンロードおよびその他のデジタル収益は、業界全体でのダウンロード販売の継続的な減少により、前年比21.5%(為替変動の影響を除けば19.4%)減少
    • ライセンスおよびその他の収益は、放送・隣接権、オーディオ・ヴィジュアル制作、ライブおよびブランド取引の改善の結果、前年比で15.5%(為替変動の影響を除けば16.5%)改善
  • 音楽出版の収益は2021年に13億3500万ユーロに達し、前年比12.6%(為替変動の影響を除けば15.0%)増加。
    • 収益は、サブスクリプションとストリーミングの継続的な成長、同期収入の改善、およびカタログ取得によるもの
  • 物販およびその他の収益は、小売収益の増加およびライブツアーのコロナ禍の影響を受けたツアー関連の物販収益により、前年比24.3%(為替変動の影響を除けば27.4%)増加して3億6,300万ユーロに増加

直近の決算でも、ダウンロード販売以外はすべて伸びていて、コロナ禍まで利益増につながっているという、絶好調といっていい経営状況です。

なので、ボックスセット値上げ理由として「レコード会社の経営が苦しいから」というのは、まったくあてはまらないことがわかりました。

(参考)売れたミュージシャン

ところで、この決算資料にはその年度に売れたミュージシャンが列挙されています。話が脱線するのですが、興味深いので引用します。日本のミュージシャンの名前もしっかり出ていますね。

2016年・2015年
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ビベンディ2016年決算資料P.14 から引用


2021年はどうでしょう。前述のユニバーサルミュージックのページから引用します。

2021年通期
  • 期中リリース分:Olivia Rodrigo, BTS, Justin Bieber, Morgan Wallen, ABBA and Taylor Swift as well as continued sales of The Weeknd and Billie Eilish.
  • それ以前のリリース分:The Weeknd, Billie Eilish, Post Malone, Lil Baby, Pop Smoke and BTS.

あれ、2021年にリリースされたビートルズ"Let It Be"のボックスは?値上げした効果は出てないの?(嫌味)と思ったら、第4四半期決算で挙げられていました。

2021年第4四半期
  • 期中リリース分:ABBA, Taylor Swift, The Beatles, Drake and BTS
  • それ以前のリリース分:Ariana Grande, Pop Smoke, BTS, Taylor Swift, and Masaharu Fukuyama.


部門別に利益管理しているから?

さて、話を戻します。

ポール・マッカートニー"Flowers in the Dirt"やビートルズ"Let It Be"のボックスセットは「レコード会社がしっかり儲かっている」中で値上げされたことがわかりました。

じゃあ、儲かっているのになぜ値上げをするのか?

部門別売上を比較してみると

ここで、ユニバーサルミュージックの2016年決算資料をもう少し細かく見てみます。

  • フィジカル部門の売上:1,437百万ユーロ → 1,225百万ユーロ 14.8%減
  • デジタル部門の売上:1,975百万ユーロ → 2,238百万ユーロ 13.3%増

要は、2016年時点では「CDは売上が落ちているけど、ダウンロードとストリーミングの合計は伸びていた」ってことですね。

値上げ理由は「部門別利益管理」のため?

ということは、ボックスセット値上げ理由のひとつは「部門別利益管理」かもしれません。

どういうことか。たいていの企業では、会社全体だけでなく、部門別に利益が出ているかを管理しています。

実際、決算でも上記のとおり部門別の業績を公開しているということは、ユニバーサルミュージックは部門別の業績を株主に提供すべき重要な情報だと考えているということになるでしょう。

ユニバーサルミュージックが「フィジカル(CDなど)部門」と「デジタル部門」「ライセンス部門」それぞれ個別に利益を管理しているのだとすると、フィジカル部門の人たちは、部門単独で利益を確保できるように必死で考え、改善に取り組むでしょう。その一環が「ボックスセット値上げ」なのかもしれません。

なお、前述のように、2021年の決算ではフィジカルの販売は前年より伸びていますが、これも2016年以降のこういう取り組みが功を奏した結果である可能性があります。


ミュージシャンの取り分が増えているから?

この他に考えられる値上げの理由として、前回のメモを書いたとき、Twitterで「ミュージシャンの取り分が増えているのでは」というご指摘をいただきました。

実際にどうなのかは確認のしようがありませんが、ポールやビートルズサイドがこういう要求をしている可能性は十分あると思います。

今思うと、Flowers...の値上げ時にユニバーサルミュージックジャパンから出た告知にあった「原価の高騰」は、このことだった可能性もありますね。それまでは「紙とプラスチックと輸送費、そして人件費が5割増しになっているなんて聞いたことがない。とってつけたような説明で腹立つな」と思っていたのですが、私の考えが浅かったのかもしれません。この「原価」を「ミュージシャンの取り分」とはなかなか書けないでしょうし。


音楽産業界で仕事をしている友人に訊いてみた

さて、レコード会社では実際にそういう「部門別利益管理」をやっていたり、「ミュージシャンの取り分が増えている」ような事情があるものなのでしょうか。

そこで、日本の音楽産業界で30年近く仕事をしている友人に訊いてみたところ、こんなコメントをもらいました。

Q:レコード会社も「部門別利益管理」をやってるもんなんですか?
A:ユニバーサルがどうしているかは知らないけど、フィジカルやデジタルなどの部門別の利益管理は当然やっている(ところが多い)。その管理単位は、ミュージシャンごと(たとえばビートルズだけで利益を見るとか)ではなくて、そういうフィジカルとデジタルとかの販路でも分けている。特にフィジカルはコストも在庫リスクも高いので、確実に売るために熱心なファンに高く買ってもらうようにエスカレートする傾向はあるかもしれない。とはいえ、レコード会社はアーティストを扱う企画制作部門単位の数字は当然重きを置いて見ていて、最近はそちらのほうが強くなっているようにも感じる。

Q:ミュージシャンの取り分が増えてるんですか?
A:ありえる。すべては契約、つまりミュージシャンサイドとレコード会社の合意で決まるので、一部では、ミュージシャンの取り分が増えているケースもあるかもしれない。


ということで「部門別利益管理のためフィジカル部門単体で利益を出そうとしている」説、「ミュージシャンの取り分が増えている」説は、ありえる話だといえそうです。


いち音楽ファンとしての気持ちと、考えてみたこと

これらの理由を考えてみて、いち音楽ファンとして、私が個人的に感じたことは次の通りです。

個人的な気持ち

  • (推測される理由)「ユニバーサルミュージックで部門別利益管理をしているが、フィジカル部門は利益確保が難しいので値上げした」
  • (自分の気持ち)→ 知らんがな。
    • 部門ごとに利益を見ていくのは企業として当たり前で、そこは理解できる。
    • しかしながら、それはボックスセット供給側の都合で、ボックスセットを購入する側には何の関係もないこと。
    • 何より「フィジカル部門の利益を確保せねば → ボックスセットの値上げをしよう」という判断の背景に、「ファンの足もとを見る」感がすごくして嫌な感じがするなあ。


  • (推測される理由)ミュージシャンの取り分が増えたので値上げした
  • (自分の気持ち)→ そういう背景があるなら、多少はしょうがないという気もする。
    • でも、ミュージシャンサイドが取り分を増やしてほしいと言ってきたとき、レコード会社はそれを購入者に押し付けて大丈夫と判断したともとれる。
    • ここにも「ファンの足もとを見る」感があって、嫌な感じがする。



音楽の「層別販売」が強化されているのかも

ユニバーサルミュージックに対していろいろ書きましたが、一方で、じゃあ今後ボックスセットがまったくリリースされなくなるのがよいのかというと、それも残念な気がします。身勝手かもしれないけど正直な気持ちです。

レコード会社が「貴重なトラックが埋もれてしまうよりは、多少値上げになったとしてもボックスセットという企画は通し、お金に余裕のある人にはボックスを買ってもらい、そうでない人はにサブスクで楽しんでもらえばよい」という判断をしていたとしたら、それはそれで合理的な落としどころという気もします。

実際、大幅値上げとなった"Flowers in the Dirt", "Flaming Pie", "Let It Be"を含め、ポールやビートルズのボックスセットに含まれるデモテイク等は、少なくともSpotifyでは聴けるようです(ボックスの全トラックが収録されているかどうかまでは未確認ですが)。

これまで、お金に余裕がある人が音楽を楽しむ場合、それは「量」に行きがちだったと思います。

レコードやCDをたくさん買って、たくさん聴く。ただし、レコードやCDの単価にはそれほど差はない(もちろん例外はありましたが)。YMOの1980年にリリースされたアルバムに収録されているコントで「レコード5万枚持ってんだよ」「僕なんか8万枚ありますよ」なんて自慢しあっているのを思い出したりします。

けれども、最近はこの「量」の持つ意味が相対的に減少してきています。サブスクのおかげで、スマートフォンやPCのむこうにある数千万曲の巨大な「CDラック」を自由に使えるようになったのですから*9

ではレコード会社はどうすればいいのか。「お金に余裕のある人向けの単価の高い商品を出す(層別販売)。単価は必要に応じて値上げする。買ってくれる人だけ買ってくれたらいい。」という傾向を加速させるのは、ひとつの選択肢になるでしょう。

ボックスセットは昔からありましたから、音楽の「層別販売」は今にはじまったことではありません。が、ここ10年くらいで上記のような傾向が今まで以上に強まってきた気がするのは私だけでしょうか。

若いファンの育て方の変化

もうひとつ、一連の値上げに直面して、私は「これじゃあ若いファンが育たない。ユニバーサルは将来の客を育てていない。情けない。」と考えていました。

でも、ユニバーサルミュージックからしたら「若い人でストリーミング使っている人は、レアトラックスを追加出費なしで聴けますよ」ってことなのかもしれません。

フィジカルのよさであるライナーノーツはときに素晴らしい音楽のガイドになってくれますし、フィジカルはアルバム単位で音楽を楽しむ(半強制的な)仕組みがあります。それらがないストリーミングがフィジカルと同じとは思いませんが、「追加料金なしで聴ける」のはお金に余裕のない人には大きなメリットです。

うちの中学生の息子もSpotifyでいろんな音楽を探していますが、定額なのでお小遣いに影響がないのは親としても大変ありがたいです・・・(ときどきお小遣いからフィジカルも買っていますが)


もうひとつの「日本でだけインパクトが大きくなる理由」

さて、最後に、この「値上げに嫌な感じがする理由」として、日本にだけあてはまるかもしれないもう一つのものをご紹介します。これは前述の友人からも、Twitterでもご指摘があったものです。

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実質賃金指数の推移の国際比較(全国労働組合総連合 2018年2月21日衆議院予算委員会・公聴会資料から引用)

上のグラフを見るまでもなく、よく言われていることではありますが・・・諸外国は賃金が上がっている。しかし、日本はそうではない。

ポール・マッカートニーのボックスセットの第一弾Band on the Runが出たのが2010年。Flowersの大幅値上げが2017年初頭。その間のグラフだけを見ても、諸外国では実質賃金指数が増加している一方、日本では下がっています。

世界的には賃金が上がっている → ボックスセット制作にかかる人件費も上がる → ボックスセット価格も世界規模で値上げ → 賃金の上がっている国では消費者が使える金額も増えているので受け入れられやすいが、賃金の上がっていない日本ではそうはなっていないので特にインパクトが大きくなった。そういうことなのかもしれません。

たしかに、Flowers...の値上げがユニバーサルミュージックの世界戦略として行われたものなら「世界的に賃金が上がっているんだからボックスセットの値段も上げていいだろう」という判断は十分ありえそうです。時期的にも、世界経済が2008年のリーマンショックの影響から脱して復調してきている時期でもありましたし。

そういえば、このメモの冒頭で、Flowers...の値上げ幅が日本59%に対してアメリカ121%ということがわかりましたが、この違いは賃金の上昇幅の違いなのかもしれません(だったら日本盤は安くしてよ、といいたいところですが、それこそ利益確保が難しい部門ではそういう判断はしないでしょうね。)。

(2022年4月15日追記:賃金の他にも、名目GDPも諸外国に比べると伸びていません。詳細は以下のメモに書きました。)



まとめ

これまでに調べたり考えてきたことをまとめます。

  • ポール・マッカートニーのボックスセットは日本だけでなくアメリカでも値上げされている
  • なぜワールドワイドに値上げをするのか?
    • レコード会社が流通形態ごとの利益管理もしているため(推測。以下同様)
    • ミュージシャンの取り分が増えているため
    • 「お金に余裕のある人はボックスセットを、そうでない人はサブスクを」という「層別販売」が今まで以上に強化されているため
    • 世界的な賃金上昇により原価も上がっているため
      • ただし、日本は諸外国に比べ賃金が上昇していないので、購買者が値上げに対して感じるインパクトが諸外国よりも大きくなっている


レコード会社はなぜボックスセットを値上げするのか。ポール・マッカートニーの事例から考えてみたら、どれもあまり元気の出ない推測ばかりが出てきてしまいました。

結局、私個人としては「値上げしてもポールやビートルズファンはこれくらいのお金は出すだろう」というレコード会社の判断があって値上げされているということと、その背景についての説明がほとんどないことは事実としてあるので、その点についてユニバーサルミュージックに対して残念な気持ちになるのは変わりません。

しかしながら、レコード会社がそういう判断をするにあたって、いろいろな背景がある(かもしれない)ことは理解できました。

私自身は「ボックスセットを買っていくのはしんどい層」にいます。なので、ボックスセットにこだわらず、レアトラックスはストリーミングで聴いています。

ではフィジカルの悦びはどうするの?中古レコードを楽しんでいこうかなあ。


関連メモ




注釈等


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