庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

空中都市マチュピチュの街並みと「サヨナラ・ボーイ」

マチュピチュの街並み

マチュピチュを一望できる高台から降り、街の中を歩き始めます。気付いたのは、街のつくりがコンパクトなこと。道も狭いし、家も小さい。それだけに、観光客でいっぱいのマチュピチュはにぎやかで、かつてのインカの喧騒をしのばせます。

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神官の家?当時はこれにわらぶきの屋根が乗っていたそうです。


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採石場。石にくさびを入れ、水で膨張させて切り出したようです。


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南十字星?


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神殿(未完成)


まだみんな遺跡をまわらないうちに、昼食の時間が来ました。いったんマチュピチュを出てレストランに入ることになります。もうあまり観光の時間がない。昼食にいったらもうほとんどマチュピチュをまわることができない。
どうしよう。私は数人の方々と一緒に、添乗員さんわがままを言って昼食は食べず、ここに残ることにしました。


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泉。今もこんこんと水が流れています。


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王女の部屋。マチュピチュ唯一の曲線を配した建築。


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刑罰場。罪人がここで拘束されていたそうです。

ところで、インカの石組みの緻密さを形容して、よく「かみそりの刃も通らない」と言いますが、それは本当なのでしょうか?試してみました。→答え:通らない場合も通る場合もある。精巧なものは本当にかみそりの刃も通らないくらいだが、すかすかに刃が通るの建築もありました。

Too Much Love will Kill You

今年(98年)の1月、俳優の渡辺謙さんがペルーを旅するドキュメンタリーが放映されました。すでにペルーにいくことを決めていた私にはとても興味深い番組でしたが、その中で特に印象に残ったシーンがあります。早朝のマチュピチュで、謙さんがヘッドホンステレオでQueen/Too much Love will Kill Youを聴き、涙を流すところです。私は、これをやってみたくて、ポータブルMDを持ってきました。

そして、一人になってから、ぽつんと一本生えている木の下に座り、フレディ・マーキュリーが死を覚悟しながら歌ったその曲を聴きました。彼のあたたかく力強い歌声は、この遺跡とインカ民族を取り巻いた栄枯盛衰の歴史を語りかけてくるかのように響きました。悲劇的な要素だけではなく、この遺跡で幸せに暮らしたであろう人々のイメージも伴って。

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この木の下で曲を聴きました。

サヨナラ・ボーイ

マチュピチュから下山するバスに乗り込んで、往きと同じ急なループ道を下っていくと、「サーヨーナーラー」という子供の声が。グッバイ(サヨナラ)・ボーイです。マチュピチュを下山するバスよりも速く道を降りていき、車外から大声で別れの挨拶をし、チップを稼ぐ小学校低学年くらいの少年のことです。複数いるといわれています。その存在はガイドブックで知ってはいたものの、まさか彼に会えるとは思っていなかったので、名物を観光するような気持ちです。満面の笑みをたたえて大声で挨拶する様子は、特に女性に大受けでした。

ところで、なぜ彼はバスより速く山を降りられるのでしょうか。その答えは、彼の通る道にあります。バスがループで大回りしている間、彼は直線の階段で降りていくのです。この方法で通算6~7回は挨拶してくれます。

ふもとにつくと、バスの運転手が扉を開けて、彼を中に入れます。車内は拍手喝采の嵐。しかしもはや彼の表情に笑顔はありません。彼はここからはビジネスマンなのです。真剣な表情で私たちからチップを受け取っていきます。遊びで来ている観光客と「生きるための仕事」をしている人間とのギャップをそこで見た気がしました。それにしても子供が稼ぐにしては、かなりの額になっているのでは。みんな結構はずんでいたので、これで日本円にして数千円は集まっているでしょう。彼の取り分はどのくらいなのかな、とふと思ってしまいました。

帰り道

駅に着いて再びアウトバゴンに乗り込みます。次第に日は暮れていき、今までに他の国では見たことのないタイプの草原の風景がひろがります。意外にも「南米」を一番実感したのはこの時でした。

クスコの街にに近づくと、列車はスイッチバックで行ったり来たりしながら街に近づいていきます。街の灯はすべてオレンジ色なので、夜景も独特の風情があります。スイッチバックのおかげで、その夜景はじっくり眺めることができました。

駅を降りると、昼間の暑さがうそのような寒さ。ちょうど市場の近くなので、雑踏がすごい。活気にあふれていて、異国情緒があってちょっとほこりっぽいところがかつて訪れたイスタンブールに似た感じでした。ここからバスでホテルに向かい、夕食です。

I was Happy Just To Dance With Her

夕食はフォルクローレの生演奏付き。フォルクローレはどれもちょっと物悲しく聞こえます。そしてその後はダンス。まだ高校生くらいの男女二組が出てきました。他の地域と同じように、男女の出会いをテーマにしたものが多いのですが、ここのダンスの特徴は、女性がかなり強いこと。いい寄るいやな男をやっつけるよう彼氏をせきたてるが、結局彼氏が頼りないので、自分で男をやっつけ、倒れた彼氏を担ぎあげて出ていく、などのストーリーがありました。

ちなみに私はこの女性から直接手をひかれ、一緒に踊りました。もうひとりの女性は、同じツアーの同い年の男性をひっぱりこんでいました。なかなか激しいダンスでしたが、女性からやっつけられることはありませんでした(そりゃそうだ)。

この日は、頭痛はしなくなったものの、まだ時差ぼけで、23時に目が覚め、そのまま朝を迎えてしまいました。それに、めちゃくちゃ寒い。明日も無事に観光できるだろうか。

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ダンス風景

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