ペルーに行った理由
旅行日: 1998年9月
Q:なぜペルーに行ったの?
A:以前から、20代のうちに、南極を除く世界五大陸全部に行ってみたいなあと思っていたのですが、今年の時点ではまだ南米大陸だけ行っていなかったので、まず南米がターゲットになりました。
その中で、自分が南米で観たいもの(古代遺跡)が一番集中しているのがペルーだったというわけです。
Q:なぜ古代遺跡を観たいと思ったの?
A:幼稚園から小学校時代にかけて、古代遺跡の本をよく読んでいて、そのころからずっと南米に対する興味があったのです。そのころ読んでいたのは、「古代遺跡は宇宙人が作った」説を唱える、興味はそそるけれども科学的ではないものばかりでしたけど、とても面白く感じていたのを覚えています。
Q:特に興味があった遺跡は?
A:月並みですが、やはりナスカの地上絵と空中都市マチュピチュですね。ナスカの地上絵は、小学5年生のとき、それをテーマにした創作物語を原稿用紙10枚に書かされたり、中学のころ熱中したビデオゲーム「ゼビウス」に使われていたりした思い出があります。マチュピチュは、インカの都市で唯一スペイン人の破壊をまぬがれたという貴重さにそそられました。
アメリカ経由でペルーへ
今回の旅は、添乗員さんがいるパック旅行にしました。ペルーでは英語があまり通じないことや、フリーで行くと交通手段を効率的に確保しにくく、1週間で望みの場所を見てまわるのが難しいことなどが理由です。それで、abロードなどで検討した結果、費用が安く日程がコンパクトな割に自分の観たい場所をカバーしてくれている四季の旅社さんのツアーを選びました。
さて、9月12日土曜日。成田で14:00に総勢26人が集合し、ユナイテッド機で出発しました。途中サンフランシスコとマイアミで乗り換え、20時間以上かけてリマに到着。早朝、飛行機を降り立ったときには、疲れてはいたものの、ついに南米大陸に来たぞ!という気持ちでした。
公衆インターネット端末(サンフランシスコ空港)
しかし飛行機の旅はまだ終わっていません。これからさらに、最初の目的地、クスコ(インカ帝国の首都だったところ)に向かうのです。
クスコの日差し
リマから約1時間くらいでクスコへ。この都市は、海抜3000m以上の高地にあります。そう、高山病になる可能性があるのです。到着してすぐ、そのあたりが気になりましたが、その時点では、ちょっと空気が薄いかなというくらいの印象しかありませんでした。本当の苦しさを味わうのは後のことです。
それよりも日差しがきつい!空気は涼しげだが日差しのために暑く感じるという、まさに高地の気候です。サングラスをもってこなかったことを早くも後悔。しかし雨の中の観光よりこのほうがずっといいのは言うまでもありません。
貸し切りのバスに乗り込みます。バスのまわりには、早速おみやげの売り子の人たちが押し寄せてきます。しかしこちらの人たちは、断ると素直に引き下がりますし、いやな顔を見せることもまずありません(エジプトとは対照的)。バスはクスコ近郊のピサックへ向かいます。
ピサック(Pisac)の朝市
ピサックの朝市へ。朝市とはいうものの14時頃までやっているそうです。もともとは地元の人たちのための市場でしたが、今では観光客相手の土産物のお店が大半です。地元の人も観光客もたくさんいるのですが、強引な客引きがないので意外と静かです。活気があるようでないような不思議な雰囲気でした。
朝市
のどが渇けば
朝市を一通り見ても、特に欲しいものがなかったので、ペルーで定番の清涼飲料水、インカコーラを飲んで休憩しました。派手な黄色が印象的なこの飲み物は、ペルーではペプシやコーラとほぼ同じシェアを誇っています。最近リマにできたマクドナルドでもだされるそうですが、世界的に見て、アメリカ以外の清涼飲料水が扱われるのは極めて異例とのこと(当時)。それほどの人気なのです。
インカコーラ
それで味はというと、これはコカコーラなどとは全く別の飲み物。何とも形容しがたい甘い味です。好き嫌いは分かれるようです。私はそんなに好きではありませんが、ツアーメンバーの中には、ディナーの度に注文する方もいらっしゃいました。まあいずれにしても「全然飲めない」ほど変な味ではありません。
そしてその後のランチでは、もうひとつのペルーの代表的な飲み物が楽しめました。
コカ茶
コカ茶。その名の通り、コカインの原料となるコカの葉を用いたお茶です。ペルーでは、食事のとき、ちょっと休憩するときなど、日常生活になくてはならない存在のようで、どのレストランやホテルにも用意されていました。日本で言えば緑茶のような感覚です。
これも、飲む前には味や「作用」が気になりました。が、意外にも飲みやすいあっさりした「お茶」でした。緑茶にちょっとジャスミンぽい香りをつけた感じです。もちろんトリップしたりすることはないです。むしろ高山病に効くといわれています。
日本にはない飲み物だし、飲みにくい味ではないし、話題性もあるしでおみやげに最適に思えるのですが、もちろん日本への持ち込みは違法です。
宿場町オリャンタイタンボ
オリャンタイタンボ
インカの遺跡・第一弾オリャンタイタンボは、宿場町。まずこの斜面いっぱいの石組みに圧倒されました。これは段々畑だと考えられているそうです。
スペイン人が破壊した遺跡の残骸
インカの遺跡は、マチュピチュを除き、すべて征服者スペイン人の手により破壊されています。だから我々が観ることができるのは、その残骸に過ぎません。日本で言えば城の天守閣跡を見てまわるようなものです。しかしその規模の巨大さと石造りの精巧さのため、礎石だけでも充分観るに値するものです。
太陽の神殿
この段々畑の横の坂道をのぼると、「太陽の神殿」に到着します。 この大きな礎石の間にある細長い石は、気候の寒暖差により礎石が歪まないようにするためのものらしいです。
地下水路による巨大な「絵」
しかしこの遺跡でいちばん驚かされたのは、神殿脇からの眺めです。区画整理された畑が見えます。これは、インカが地下水路の上に道を造った結果こうなったとのことです。現代人が区画整理したわけではないのです。 さらに驚くべきことは、何とこの水路(道路)は、高いところから見るとピラミッドをかたどっているように見えるのだそうです。インカ帝国は、街や畑までもキャンバスに見立ててしまうようです。
瞑想用ベッドと横たわる私
神殿脇でしばらくすごしたあと、登りとは違うルートで斜面を下ります。すると大きなベッドのようなものに出くわしました。
これには諸説あるのですが、ガイドのカルロスさん曰く「インカ人の瞑想用ベッド」とのこと。神官などが星を見ながら神と対話していたのでは、と。実際に寝転がっていいそうなので、試してみました。ゆっくりと瞑想するわけにはいきませんでしたが、ひんやりとした石の感触が心地よかったです。
高山病
その後は、遺跡近くの集落を訪れた後、ホテルへ。休憩時間は約30分。日本を出てから約50時間ぶりのベッドで、むさぼるように仮眠をとりました。
そして夕食。ゆったりとくつろぐはずだったのですが・・・・どうも頭が痛い。食欲もない。どうやら軽い高山病のようです。仲良くなりかけたツアーのみなさんと話をしたい気持ちもあったのですが、まだ先は長いし、ここは体力を温存すべきと思い、食事を残しておとなしく部屋に戻りました。
あとで聞いた話しによると、ツアーの他の参加者の方々はこのときのことを「彼は瞑想ベッドで寝たから、インカの呪いに触れたんだろう」と噂していたそうです(とほほ)