(2018年1月17日更新)
あこがれのはじまり
(1997年7月時点の記録です。現在の状況とは異なる内容があります。)
Paul McCartney / Mull of Kintyre(邦題:夢の旅人)
最初にこの曲の名を知ったときは、アフリカかどこかの地名と思ったものです。あまり英語っぽくない響きですから、フィーチャーされたバグパイプを聴くまでは、スコットランドの岬を歌ったものだとは気づかなかったのです。しかし、この美しくのどかな旋律を何度も聴いていくうちに、この曲はいつしか私をスコットランドへ誘うようになりました。
この曲が好きになり、いつかこの地へ行ってみたいと思うようになってから、少しずつ行き方を調べてみました。まず最初は地図で場所を確認。有名な観光地だと思いきや、日本の旅行ガイドブックにはほとんど記載がありません。洋書の"Blue Guide Scotland"をひもといてみると、スコットランドのキンタイア(Kintyre)半島の先端だとのこと。同じスコットランドに「マル(Mull)島」があるのですがそこではなく、キンタイア半島のマル(Mull)灯台がある岬のことを指すようです。よし、じゃあ目的地は灯台のある辺りだ。
そんな風に本を読んだり、Nifty-Serve(現ニフティ)のイギリス関係フォーラム(会員制掲示板のようなもの)の方々の助けを借りたりしてわかったことは、ポールの歌った岬への道のりは結構長いということ。近場に駅もなく、ロンドンから1日ではちょっと行きにくいようです。電車とバスの時間を調べ、少々の不安感とともに旅行の準備を始め、出発しました。
たどりつくまで
この岬へ行くまで、以下の経路をたどりました。
ロンドン → グラスゴー(Glasgow)(特急で4時間半)
旅行初日。飛行機の長旅で疲れていたのでとりあえずグラスゴーに着いてから一泊しました。
グラスゴー → キャンベルタウン(Campbeltown)(バスで4時間半)
この間、鉄道は走っていません。キンタイア半島に入ると、観光案内板に"...one of the most exciting roads to the Mull of Kintyre, immortalised in song by Paul McCartney"なんて文章が現れはじめます。I'm Getting Closer!
観光案内板。こういったものにポールの名前が出ているのはうれしいものです。
キャンベルタウン → End of The Public Road(タクシーで20分)
キャンベルタウンは小さな町です。でも近辺に大きな町がないので、小規模ながらいろんな店がそろっており、僻地というイメージはありません。ここで宿を探し、ちょっと休憩。
キャンベルタウンの街並み
街の広場から塔を臨む
少ししてから町中でタクシーをひろいました。緑一色の平原を進みます。しばらく行くと、対向車はほとんど通らなくなりました。
on the way...
End of The Public Road->Mull of Kintyre(徒歩で20分)
道は小さな駐車場で終わっていました。ここで車から降りなければなりません。ここの観光案内板にもポールに関する文章が。
観光案内板
この観光案内板を拡大すると・・・
案内板のポールに関する文章が読めます。"Made famous by Paul McCartney's hit single in 1977,the Mull of Kintyre is strictly speaking,the rounded headland making up the south west corner of the Kintyre peninsula."
ここから、やっと海と灯台が見えてきます。灯台へ向かって、約1マイル(1.6km)の曲がりくねった下り坂を下っていきました。
岬への道。ふと海と反対側を振り返ってみました。
岬の果て
そこにはとても美しい風景が広がっていました。 眼下には真っ青な海、そして鮮やかな緑の野原。木は一本もないので見晴らしが最高によかった。うさぎが遊歩道を何度も横切っていきました。快晴だったので全てがやさしい光に包まれていました。
ここまでくると現地の人ですら誰もいない「貸切状態」でした。灯台の近くにはベンチがひとつ。ここで"Mull of Kintyre"を口ずさみました。持っていったMDを聞けば"Mull of Kintyre"が、ヘッドホンをはずせば優しいさざ波の音が聞こえてきます。 静かな海の向こうには、アイルランドがうっすらと見えました。
キンタイア岬
羊や山羊が見えましたが写ってないですね。
岬のシンボル、灯台。
帰り道
20時になると、往きで使ったタクシーが迎えに来てくれました。緯度が高いスコットランドの7月は、日没が21時過ぎのようです。強い西日を背にして、キャンベルタウンへ帰りました。写真を30枚撮ったと言ったら、運転手のおばさんは笑っていました(当時はまだデジタルカメラが普及していませんでした)。
おみやげ
町で唯一の観光案内所には、こんなおみやげが売られていました。
絵はがき
ステッカー(他に円形のものもありました)
6年後
2003年、イギリスの新聞"The Independent"の記者の方からメールをいただきました。「世界の果てを旅する」というような企画があって、そこにこの記事(英訳版)の文を引用したいのだがよいか、とのご連絡でした。
もちろん!と返事しました。しかも、The Independentはポールが「購読はしていないが、好きだ」と言っている新聞です。もしかして・・・と夢見てしまいます。
1990年来日公演パンフレットより
しかも、掲載紙が発行された2003年9月20日には、まったくの偶然ですが、私はイギリスを旅行中でした。だから、イギリスで朝起きて売店に行き、新聞を買うと自分の名前が出ていた、しかも同じ記事にはポールの名前も出ている・・・想像すらしたことがない出来事を経験できました。
記事 ※記事中のURLは現存しません。移転先はこちらです → My desire is always to be here, Mull of Kintyre
このメモは、97年にサイトをはじめたとき最初に書いたものです。このメモがきっかけで交友が始まり、今もおつきあいさせていただいている方もいらっしゃいますし、こうしてポールが好きだという新聞にもとりあげてもらうこともできました。
ポールは世界中の多くの人々の人生をよりよいものにしていますが、それは音楽によってだけではないのです。ここにもその実例があります。ポール・マッカートニー、あなたが世界に出てきてくれて、本当によかった。
(翌日はポールの農場を訪問しました)