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戦後日本の社会モデルは、なぜ崩壊後も社会認識に残り続けているのか

これだけ世の中が変わったのに、特に社会的弱者へのセーフティネットについてはほとんど変わっていない。

この現状が不思議でした。その理由としては、若者が選挙に行かないからかな、くらいに考えていました。

しかし、本書を読んで「敵(崩壊したのに社会認識に浸透しきっている戦後モデル)は相当手強い」という新たな学びを得ました。


戦後日本型循環モデルの特殊性

その「戦後モデル」とはどういうものなのでしょうか。簡単にいうと、以下の3つの要素が循環する仕組みです。

  • 教育 → 仕事 新卒一括採用・高い労働力需要
  • 仕事 → 家族 長期安定雇用・年功上昇賃金
  • 家族 → 教育 多大な費用と意欲(主に母親による=つまり公的教育支出が少ない)

戦後、この「戦後日本型循環モデル」が確立していきました。しかも、このモデルは、それぞれの要素間の矢印が一方向で強固でした。しかしバブル崩壊後、このモデルは破綻していきます。

ここまでは、程度の差こそあれ、1975年(昭和50年)くらいまでに生まれた方の多くの方が自然に認識されていることと思います。私もそうでした。

しかし、次の指摘については、少なくとも私は、認識していませんでした。

それは、このモデルが出来上がってきたときの「タイミングとスピード」が、諸外国には見られない、日本独自のものだという点です。


「タイミング」

日本

まず、日本では「仕事・家族・教育」の3領域の変化が同時に起こったという点。

日本における3領域の変化(1955〜1975年)データ出所:[労働力調査」「国勢調査」「学校基本調査」より]

  • 教育:義務教育よりも上の段階への進学率の上昇
    • 高校進学率 51.5% → 91.9%
  • 仕事:第二次・三次産業の雇用労働の拡大
    • 非農林業従事者比率 63.9% → 88.2%
  • 家族:「近代家族」化の進行
    • 専業主婦数 890万人 → 1,519万人

たしかに、教育、仕事、家族の3要素が1955〜1975年、まさに終戦10年後からバブル10年前の間に大きく変化しています。まさに「戦後日本型循環モデル」です。

では、他の国ではどうでしょうか。

諸外国

まずイギリスでは、産業革命が起こった国ですから、「仕事」領域ではもっとも早くから産業化を開始しています。しかし「教育」面でいうと、義務教育後の進学率向上はもっと後となっています。このことがイギリスの「労働者階級文化」を成立させたと考えられます。フランス・ドイツ・アメリカもやや遅れるが同様の経緯をたどっているようです(このメモの末尾参照)。

また「家族」領域でいうと、欧米先進諸国は女性の労働力率は20世紀前半ですでに低く、戦後はむしろ労働力率増加の時期に当たっています。参考:厚生労働省:「平成16年版働く女性の実情」(概要)

以上のように、欧米先進諸国では、3領域が別々のタイミングで発展しています。

これに対して日本は同時に3領域が発展したので、社会領域の一方が他方に強く依存するような関係になったのです。

ちなみに、なぜ日本は戦後この3領域が同時に発展したのでしょうか。それには、以下の要因があるそうです。運が良かった、ということのようです。

  • 人口増加期だった
  • 軍事負担をアメリカに肩代わりしてもらえた、周辺諸国がまだ経済発展しておらず、日本の産業の脅威となっていなかった
  • 石炭から石油(エネルギー効率が高い)に代わる時期と一致
  • 阪神大震災まで巨大地震がなかった


「スピード」

では最近経済発展してきたアジア周辺諸国、韓国、中国、シンガポールなどはどうなのでしょう。事情は日本と同じなのでしょうか。

経済発展の指標に出生率があります。経済発展すると出生率は低下します(参考:統計メモ帳:世界の合計特殊出生率と一人当たりGDPの関係)。このことに着目した研究が落合恵美子 さん編集「親密圏と公共圏の再編成―アジア近代からの問い (変容する親密圏・公共圏) 」(2013年)で、そのグラフの一つが本書に引用されています。

それによると、日本ははっきり特異です。出生率の低下が欧米先進国ほどゆっくりではない反面、アジアの他の国ほど急速ではないのです。同じ低下幅が、欧米は60年、日本だけが40年、アジア諸国は20年程度で起こっています。グラフを見ると、日本だけが他の国と違う線を描いているのです。

このことが日本社会にどう影響を与えたのでしょうか。日本は「近代化」が「強固に社会に刻み込まれるという特殊な経路をたどってきた」と本田さんは書いています。なるほど、この速くも遅くもない絶妙な期間に「戦後日本型循環モデル」が日本に住む人々の意識に浸透したというわけですね。

「速くも遅くもない」というのは比較の問題なので本当に「絶妙」なのかは論理的には説明できませんが、たしかに「数十年の間このモデルが機能していたけど、その後破綻した」というのは、そのモデルとのまっただ中で生きてきた人にはそうでない人の間に社会認識に対する大きな差ができてしまう理由になるだろうな、とは思いました。


越えなくてはならない障害

この「タイミング」と「スピード」によって、とっくに崩壊した日本の「戦後日本型循環モデル」が、今も多くの人々の社会通念に強固に残っている - このことの気づきが得られたのが、私が本書から学んだ最大の収穫でした。


著者の本田さんも、モデル崩壊後も有効な手が打てていない現状の「越えなくてはならない障害」として、以下を挙げています。

  • 財源
  • 戦後循環モデルの下で壮年期までの大部分を生きてきた世代(団塊世代とその前後の層)が多大な財力や権力を握る地位にある
  • 戦後循環モデルの下で形成された私たちの無意識にまで浸透してしまっている価値観や規範(性別役割分業、個人の行動や責任ではどうにもならないような構造的破綻があるのに自己責任を問う、など)

最初の「財源」を除けば、まさに「強固な社会通念」が障害そのものになっています。


なお、本田さんについては、以前「多元化する『能力』と日本社会−ハイパー・メリトクラシー化のなかで」を読んだとき感じたように、自分が漠然と感じていた今の日本社会の「息苦しさ」のようなものをデータと考察で的確に整理してくださるところと、さらに、対策についても(不完全ではあるけど、それでもあえて)提示してくださるところに、その熱意と真摯さを感じていました。

今回拝読したこの本でも同様で、特に前者の「漠然とした感覚を整理」という点で大きな気づきをいただけました。


個人的な思い

よしてるは、冒頭にも書いたように、本書を読んで「敵(崩壊したのに社会認識に浸透しきっている戦後モデル)は相当手強い」と改めて思うようになりました。

個人としては何ができるんだろう。今までは、必ず選挙に行くことと自分が投票して当選した議員の活動をウォッチしつつ疑問があればメールで本人に問い合わせる、あるいはこちらの意見をお伝えする、くらいのことしかしていなかったのですが、もっとアクションを起こさないといけないのかなと思い始めています。どっちにしてもこの程度じゃ何もしてないのとほとんど変わらないとは思うのですが、それでも。


参考

本書から話はそれますが「国によって産業化のスピードが違う理由」、もっといえばイギリスで産業革命が起こった理由については、エマニュエル・トッドによる「イングランドは絶対核家族制度のため子どもの早期旅立ちという要素があり、可塑性に富んでいるので農民を根こそぎにする点で有利だった。」という説や、マット・リドレー「繁栄−明日を切り拓くための人類10万年史」にある「名誉革命でオランダの資本が勢いよく流れ込んだ」「イギリスには石炭が豊富にあった」などの説があります。


関連メモ


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