知識人界のスーパースターが勢揃い、ロック/ポップスで言えばUSA for AfricaかRock'n Roll Circusみたいなインタビュー集だなと思い手に取りました。
ジャレド・ダイアモンド
これまで読んだ中でもっともおもしろかった本のひとつ「銃・病原菌・鉄」の著者ということで、大いに期待して読みました。しかし、著書を読めばわかる内容が多く、ややがっかり。インタビュアーの吉成さんは後述するようにインタビューならではの切り返しや突っ込みなどもちゃんとなさる方なのですが、ダイアモンド博士に対してはそれほどでもなかったという印象。
でも、印象深い発言はいくつもあります。筆頭はこれ。
「人生の意味」というものを問うことに、私自身は全く何の意味も見出せません。人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない。
かといって、ダイヤモンド博士が人生に絶望しているかというとそんなはずはないというのは、博士の本をお読みなった方ならわかるはずです。この「唯物的だけど厭世的ではない」というスタンスというか人生観は、本書のインタビュイーつまり知識人界のスーパースター達の多くにも共通したもの。科学的に物事を突き詰めていくとそういう境地に達するのかなと思ったりしました。
それから本書では、インタビュイー全員への共通質問として、教育と推薦図書について質問しています。ダイヤモンド博士の回答は以下のとおり。
(教育について・要約)教育制度は国の事情によって変わってくる。パプアニューギニアでは高等教育を受けた若者がそれだけでは職を得られず、また出身地を離れて高等教育を受けたため農業のノウハウも身につけられなかったという事態が起こっている。
(推薦図書)ヘンリー・デイビッド・ソロー「森の生活」、トゥキディデス「戦史」、アルベルト・シュバイツァー「バッハ」
なお、続く学者さんたちの本は、私は読んだことがないので、ダイヤモンド博士へのインタビューと同じように「本を読めばわかる内容が書いてある」というコメントはできませんので、ご了承願います。
ノーム・チョムスキー
存命の人物で学術論文の被引用回数が最も多い、つまり学問の世界で最も言及される人物。「人間は生まれつき文法能力を持っている」という説だけでなく、政治への歯に衣着せぬ発言・活動でも知られています。
そんな、学問界の頂点に立つような人物の、研究に関する発言で興味深かったのはこちら。
数学の能力は人間に確かにあるものだが、進化の過程で自然選択の結果残ったものではない。それまで使われてこなかったものなのだから「子孫を残すのに有利だから子孫に伝わった」能力であるはずがない。ではなぜ存在するのか。他の能力、つまり言語の副産物なのではないか。言語も骨のレベルまで削ればほぼ数学的なものに帰趨する。そもそも「数学の能力は自然選択の対象にならない」という指摘からして「なるほど」と感心するような体たらくなのですが、言語と数学は根っこは一緒という見解、これも一見意外に見えるけど確かにそうかもな、と思いました。
教育については、「(要約)早期教育は労働者や海兵隊員になるための訓練としてはよい。興味のあることを勉強すべきで、テストのために教育をするというのは本当に有害だ。」と発言、それに対してインタビュアー吉成さんが「(チョムスキーが尊敬する)バートランド・ラッセルが似たような方針で始めた学校があるがあまりうまくいかなかった」と切り返す*1、するとチョムスキーは「規律は必要だが、それが生徒達自身の成長と発展のために必要だということを生徒たちがわかっていなければならない。」と応える・・・この一連の発言は、チョムスキーにとっては早期教育を批判するのが意図だったと思うのですが、これを読んで「優秀な労働者になれるのなら、早期教育はしたほうがいいな」と思う親も多いかもしれません。私も、子どもに今のところ早期教育はしていませんが、そういう印象を受けました。
(推薦図書・要約)一般回答はない。各人の興味・目的など千差万別なので。
まあ、それはそのとおりですよね・・・
オリバー・サックス
脳神経科医・研究者。研究面での発言が一番興味深かったのはこの人。
(要約)個人物語(narrative)が個のアイデンティティ確立のために非常に重要。脳はたとえ一卵性双生児であっても生まれたときからすでに違っているからだ。胎児の段階で既に神経細胞が移動したり死んだりしていて、それが胎児によって異なっているから。生まれてからも経験により変化する。たとえば音楽家の脳とそうでない人の脳の違いは明白で、それは一年の訓練でも変化する。
これ、衝撃的でした。なぜなら、最初の一文が先日村上春樹さんの公開インタビューで聴いた内容と同じ!もちろん春樹さんは、サックス教授のように神経科学の観点から「物語の重要性」を語っていたわけではないのですが・・・違う分野でも掘り下げていくと結論は同じ、というのが非常におもしろいです。
音楽の力を強く意識したのは嗜眠性脳炎(映画「レナードの朝」で知られるようになった)の患者を診たとき。音楽がないと完全に動きも言葉も思考も停止してしまうが、音楽があればそうはならない。かといって、どんな音楽でもそうなるのではない。人によって音楽の嗜好は異なるが共通しているのはビート(拍子)の部分。音楽に合わせてダンスできるのは人間だけ。ただしメトロノームのような単純な反復信号ではうまくいかない。失語症の患者も歌は歌える。アルツハイマー病患者も音楽に聞き耳を立て涙を流したり微笑んだりする。ただしアルツハイマー病患者の場合は既に知っている音楽でなければならない。
音楽が人間にとってこんなに根源的なものだったということも初めて知りました。実感としては、音楽の力は日々理解しているつもりです。しかし、それは趣味の世界の話だと考えていました。もちろん音楽に興味のない人がたくさんいるのはわかっていますが、人間にとって音楽は趣味レベルではなくもっと根っこのレベルで呼応するものだとは知らなかった。
(要約)音楽の才能または感受性は独立していて、知能が低かったり自閉症であっても驚くべきレベルまで到達できる。同僚のハワード・ガードナーは「複数知能説」(知能はひとつではなく、言語知能、音楽知能、身体知能など複数あるという説)を唱えている。音楽の能力は特定領域化している。数学もそうではないか。しかし文学や政治には早熟の天才というものはない。こういう分野は、経験や感情、回顧、自己確立などが重要になってくるからである。
(要約)自閉症の芸術天才は先に伸びない。経験が才能に寄与していない。しかし、アスペルガー症候群の場合はめざましい創造性が開花する可能性は十分ある。
ここでいう「音楽の才能」は演奏のほうなのかな?音楽も、経験や回顧を積み重ねた人間にしか創れないものは確かにあると思うんですが。ベートーヴェンの晩年の曲とか。
外界から隔絶され時間というものを意識しないで好きなことに没頭するポジティブで平和な時間は芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態ではないか。
そうでしょうね。これが苦もなくできる人のうち一部が芸術家や科学者になる、という順番かもしれませんが。
推薦図書では、ダーウィンや進化学者グールドの本の他、ディケンズやコナン・ドイル、シェイクスピアなど文学作品が多かったのが特徴的でした。
マービン・ミンスキー
この方のことは知らなかったのですが、人工知能の研究者だそうです。
なぜ福島原発にロボットを送り込めなかったのか?など、日本人インタビュアーならではの質問への回答もありましたが、もっとも印象深かったのはこちら。
70年代、80年代に論文を出すと、インターネットを通じて実にたくさんの役立つコメントをもらいました。論文がコンピュータ関連のもので、当時ネット上にいた人たちはみなその内容をよく理解できる人たちばかりでした。(中略)でも今は、あまり役立つ批評は返ってこない。つまらない考えを持った人たちがあまりにもたくさんいて、ネットはもうそれほど役に立つものではなくなってきているように思います。
誤解を恐れずに書くと、個人的に経験した90年代のパソコン通信(ニフティ・サーブ)でやりとりした趣味の世界のコミュニケーションも、私にとって本当に有用で勉強になっただけでなく、今にも続く交流の基礎となりました。大きな幸運だと今も感謝しています。そしてその幸運には、時代という要素も大いに関係していたように思っています。
他に興味深かったのは、科学はいつも大衆の集合知ではなくごくわずかな個人(ニュートン、ノイマン、チューリング、アインシュタインなど)によってもたらされたという事実を彼が指摘していたこと。たしかに科学はそうですね。
推薦図書はSFだそうで、SFしか読まないのだそうです。一般文学はどれも同じで古いアイデアに新しい名前をつけただけだが、SFには何らかの新しいアイデアが入っているから、とのこと。私自身はどんなタイプの小説にも「この手があったか」と思わされる新作は出続けている(しょっちゅうではないけど)と感じるのですが、人それぞれですね。
トム・レイトン
この人のことも知らなかったのですが、実は知らないうちにとてもお世話になっていることを知りました。この人が創業した「アカマイ社」が世界各地にキャッシュサーバを用意してくれていなかったら、私たちはウェブサイトを快適とは言い難い状況で見る羽目になりそうです。レイトンのこのインタビューは研究者というよりビジネスマンのもののようで、他のインタビューとは違った躍動感がありました。
推薦図書も、お薦めは数学の本、自分が読むのは「ジャンク小説です!!」と、これもいい意味で研究者らしくなく、ここだけ違う風が吹いているようでした。
ジェームズ・ワトソン
クリックとともにDNA二重らせん構造の発見した人物。25年ほど前の高校の授業で習った歴史上の人物が健在?発見当時25歳、ノーベル賞受賞時34歳だったそうです。そのような栄光を手にしている一方、人種差別的な、例えば「黒人は人種的・遺伝的に劣等である」「(我々白人が行っている)アフリカに対する社会政策のすべては”アフリカ人の知性は我々と同等である”という前提で行われているが、それは間違いである」などの発言でも知られている人物は、どんな話を聞かせてくれるのでしょうか。
選択を早めることで、時間の無駄が省けて、効率がいい。それに、資質もないのにバスケットボール選手になろうとしている人にとっても、そのほうがフェアではないか。(中略)本来、人はみなそれぞれ異なっているのに、同じだとみなさなければいけなくなってきている。同時に、あるもののほうが別のものよりもいいという言い方は避けて通るようになってきてもいる。だから、どの花も全て同じように咲くんだと言う。ごまかしです。
真理かもしれませんし、気力が萎えるだけの有害な意見かもしれない。ただ、この発言から、人間の能力のかなりの割合が遺伝で決まるという思想が見えてくるのは間違いない気がします。
そして、彼の偉業「DNA二重らせん構造の発見」には、ロザリンド・フランクリンの話がつきまとっています。ワトソンとクリックは、フランクリンが撮影した写真を見てDNAの構造を知ることができたのですが、それを「成果の横取り」と非難する人もいれば、「彼女が気づかなかったことに気づいた」と賞賛する人もいます。いずれにしてもワトソン本人には聞きにくい、しかし興味深いポイントです。そこをインタビュアー吉成さんは果敢に切り込みます。
吉成さん:ロザリンド・フランクリンは一体何をしていれば彼女自身がDNA構造を解明できる可能性が高くなったのでしょう。
ワトソン博士:残念ながら違うDNAを持って生まれてくる必要があったでしょう。(中略)ロザリンドの場合、「成功すること」そのものが目的だった。われわれは「答えを知ること」が目的だった。
ワトソンの発言は彼の思想と専門分野を総合した「見事」なものだと思います。さて、ロザリンドは本当に「成功すること」だけが目的だったのでしょうか。ワトソンはどうだったのでしょうか。
実は彼はこう書いています。「ある考えを危険をおかして実行してみようともしない、鳴かず飛ばずの大学教授で終わるより、有名になった自分を想像したほうが、楽しいに決まっている。」(サイト「名言名句の裏側は」より)
ワトソン博士ももちろん、「成功すること」だけが目的ではなかったとは思うのです。研究者らしい次のような言葉も語っています。
押し寄せてくるさまざまなチャレンジにただ対応することに時間を費やすのではなく、自分自身のチャレンジに対応することで一日を送りたい。
そして、推薦図書は、まず自分の本「二重らせん」、そしてダーウィンの「種の起源」。これもこの人らしいなあ。
それにしても、吉成さんはよくこの企画を実現させたなあと思います。行動力とご自身の知識・知性によるものでしょう。書名の意味するところは最後までわかりませんでしたが、貴重な記録であり、貴重なメッセージのつまった本だと思います。
*1:インタビューでは、インタビュアーはこうやって切り返すか、相手の話をとことんまで傾聴するか、どちらかを徹底的にしてほしいものです。