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絵に描いたような「よくできた小説」 - チャールズ・ディケンズ「大いなる遺産」

物語

19世紀イギリス。孤児のピップは、姉夫婦のもとで、毎日姉に怒鳴られこづかれながらも、姉の夫ジョーのやさしさもあり日々をたくましく生きている。ある日、沼地で脱獄囚から食べ物とやすりを持ってくるよう頼まれた彼は、なんとかそれを工面し脱獄囚に渡す。脱獄囚は結局つかまったが、ピップが家族に食べ物を盗んだことを怒られないよう、ピップの家族に自分が盗みを働いたと話す。

ピップはミス・ハヴィシャムの屋敷に呼ばれるようになった。孤独な老富豪である彼女の前で、養女のエステラと遊んだりするのが彼女の要求だった。エステラはすべての他人を、特にピップを徹底的にさげすむ美少女だった。ピップは傷つきつつ、彼女に次第に惹かれるようになる。

ある日、彼は巨額の財産を相続することになった。しかしその財産の持ち主は、誰がなぜそのようなことをするのかを秘密にすることを相続の条件としていた。その財産をもとに、ピップは紳士修行のためロンドンで生活することになった。故郷の、彼を軽く見ていたひとくせもふたくせもある人たちは態度を一変させる。エステラにふさわしい人物にするため、ミス・ハヴィシャムがこの大いなる遺産を融通してくれたと信じるピップは・・・

感想

絵に描いたような「よくできた小説」だと感じました。上述のあらすじからだいたいの話の流れは想像できると思いますが、それでもページをめくらせる力は一級で、少々強引ながらも(この都合のいい展開もまさに「小説」)後半に様々な謎が解決し人物関係図のパズルがはまっていく様は見事。「どうせ遺産は○○からのものなんだろ」という予想が当たってもその程度では損なわれない魅力をもったストーリーです。

そして、人物造形の巧みさ。どの登場人物も独特としかいいようのないキャラで、多くは「どうしようもない」奴らなんですが、ほとんどはそこにちょっとしたおかしみが加わっていて、「身近にいたらいやな奴だろうけど、ちょっと笑える」というような人間達なのです。そしてそのユーモアには、人間の性(さが)というか、誰もがもっていておかしくない原罪のようなものをあぶりだしていて(例えばつまらない見栄のために滑稽な行動をとるとか)、おかしみとともにどきりともさせられる。さすがです。人物以外の描写もそんな感じで、まずい料理を出すレストランのことを「肉汁がビフテキよりも、テーブル掛けやナイフや給仕の服に、はるかに多くかかっていることに気づかないわけにはいかなかった」と、まわりくどいながらもシニカルに描き出したりしています。


そういう「おもしろさ」という、料理で言えば味のような要素に加え、栄養にあたる「心に残り、考えさせられる」要素がしっかりあるところも「よくできた小説」と言いたくなるゆえんです。特にそれを感じられたのは、人生における「立場によらない誠実さ」そして「赦し」についてでした。ピップの育ての父にあたるジョーは、当初自分の名前を書くのが精一杯の「無教養な男」ですが彼のセリフはシェイクスピアの道化なみに人生の真実を語っています。そして彼の場合は、道化とは違って彼の誠実さからその言葉がにじみ出てきているのです。そして財産を相続するようになったピップについては、いったん自分のことを第一に考え財産を背景にした力と強運を過信するようになった後にどう感じ行動したかを通じ、赦しという言葉を数百ページの物語で力強く表現してくれています。


正直、読み始めてしばらくはつっかえつっかえ読んでいました。個人的に、ほとんどの翻訳小説は、日本語ネイティブが日本語で書いたものにくらべどうしてもそうなってしまうのです。しかしだんだんとノリが出てきて、そのうちにこの文章が物語同様「おいしく」感じられてきました。山西英一さんの訳は、60年以上が経過した今もほとんど古めかしさを感じさせずこの小説の味わいを伝えてくれていたのです。もともとあったこの小説の面白さと丁寧な翻訳との出会いに感謝。


実はこの本、今年の私の「本棚にあるのに積ん読、あるいは読んだのに内容を全然覚えていない本を読んでみる」キャンペーンの一環で再読したものです。前回は学生時代、最初のつっかえつっかえで「なんか変な人ばっかり出てくる話やな」という感想とともに途中で読むのをやめてしまっていたのです。奇しくもディケンズ生誕200年の今年、やめたままにしないでちゃんと読めて本当によかった。


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