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戦後日本社会の転換点と「1975年体制」〜小熊英二時評集「私たちはいまどこにいるのか」その1

私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集

膨大な文献を読み込み現代日本の問題の前提となっている「歴史」を疑い捉えなおす、というパターンでいくつかの大著を世に問うてきた小熊さん。今回は、この10年余りの彼の時評を集めることで、彼が現代社会の問題についてどう考えているのかが見えてくるようになっています。いつものような小熊さんの視点の鋭さや知識の深さだけでなく、この点においても、この本はとても興味深く読めました。

その中でも特に印象深かった3つの内容につき、何日かに分けて書きます。まずは一つ目、「戦後日本社会の転換点」について。


戦後日本社会の転換点−社会と思想のタイムラグ

戦後日本社会の変遷を眺めて、時代の区切りをつけるとしたらどこになるでしょう。復興期、高度成長期、オイルショック、バブル、失われた20年、そんなところでしょうか。1995年の阪神大震災とオウムを分断線と位置づける人も多いかもしれません。

小熊さんも、戦後を大きく3つに分けています。1945〜55年を「第一の戦後」(混乱、貧困)、55年〜91年を「第二」(安定と豊かさ)、91年以降を「第三」というふうに、です。そしてこれらの「区切り」を興味深い持論を用いて紐解いています。それは「思想の変化は社会実態の変化に15年ほど遅れて起こる」というものです。

実例をあげると、高度成長が始まった1955年。以後社会の特徴は「貧しさ」から「豊かさ」へと急速に変化していきました。しかし思想は、戦争被害の記憶に依拠するもの、すなわち「被害者」のままでした。これが1970年前後、豊かになったころ、学生運動等で「加害者」の側面が重視されるようになった。当時の若者達は戦争の経験がなく、かつ戦争経験者である親世代に反抗するとなると、加害側面を追求するのが効果的だったのです。1970年前後は高度成長が終わる頃ですが、やっとここで「豊かさ」に依拠した思想が力を持つようになったというわけです。

では現代ではどうなのかというと、1991年以降の経済の失速に対し、2000年代前半までは「貧困」という言葉は使われず、2000年代半ばから「貧困」「格差」が注目されるようになったことが挙げられます。ここでも15年の差が見られると小熊さんは言い、この動きの象徴的な例として「在日特権を許さない市民の会」を挙げています。それまで「貧しい」ということで差別の対象になっていた在日コリアンが「恵まれている」、そして日本人は「恵まれていない」という立場に変わってきているからです。「これは本当に、2000年代後半以降という時代の運動だなという感じがします」とも述べています。

この指摘からは、当たり前だけれども重要な気づきがありました。それは「社会実態が思想・言説に反映されるまでのタイムラグの間にも社会の変化の影響を受けている人たちがいる」ということです。世の中が格差・貧困と言い出すずっと前から、その問題に苦しめられている人、あるいは新たに富を得た人は増え始めていた。だから、特に世の中の転換点においては、自分が認識した現実が世の中で見聞きする言説と異なっていてもそれはむしろ当たり前なのかもしれない、ということ。今後も、このことは意識していきたいと思います。


1975年体制

戦後日本社会の転換点について興味深かった2点目は、「1975年体制」です。1975年に何があったのか?目立った、社会の変化を実感させるような事件はなかったようですが、データからはこの年が「経済成長を前提としたモデルの完成形」を作り上げた年であることがわかるそうです。

具体的には?まず、女性の労働力参加率が最低を記録、そして当然ながら専業主婦率は最高。不登校は最小*。そしてこれはデータに基づいたものではなく小熊さんの説ですが、町内会や商工会に組織されている層は自民党に投票すれば公共事業が来て、大企業の労組に組織されている層は労組出身の社会党議員に投票すれば春闘で賃金が上がっていく仕組みが完成した頃でもあります。古い日本と新しい日本が同居している安定期ともいえます(戦争経験のある人がまだ元気だった)。   *1975年における不登校について:「貧乏で学校に行けない」が減り「なぜだかわからないが学校に行けない」が増える端境期。小熊さん曰く、不登校は、学校が、貧しい子が家の仕事を手伝わずにすむうれしい場所から、高校にみんなが行くようになったので落ちこぼれたくないのでいやだけど行くしかない場所になった以上、不登校になる子が出てくるのは当たり前、とのこと。ちなみに高校進学率が90%を超えたのは1974年。

これらは現在、当時から見るとかなり変化しているものばかりです。それは、これらのモデルが工業化社会を前提にしたものでもあったからだそうです。日本が工業化社会から移行していくにつれ(製造業の就業者数をサービス業の就業者数が抜いたのが1994年)機能不全を起こしつつあるというわけです。

私は、感覚的に、これらのモデルは、戦後間もない頃から1980年代までずっと続いてきたものだと思っていました。しかし実態はそうではなかったようです。小熊さんはこのように感じている人が思想界にもいるのではないかと指摘しています。曰く「いまの保守派の人が懐かしんでいるのは、本当は戦前の日本じゃなく、この時代だと思います。安倍晋三さんや小林よしのりさんは1953年とか54年生まれだから、戦前の日本社会なんか知っているわけがないけれど、75年には20歳前後だった。それで75年頃の専業主婦がいた中流家庭や、町内会長がしっかりしていた地域社会を懐かしみ、モラルとか家庭とか言っているのだと思います。」

そういえば、村上龍さんが10年以上前に「日本は1ドル200円を突破したころに近代化を達成した。そこから社会が変化していった」というようなことを書いていた気がします。200円突破は1978年なので「1975年」にほど近いのが興味深いです。


日本固有ではない

3点目は、こういった日本の変遷と他の先進国との「タイムラグ」について。一般的に、近代化と資本主義の原理が社会に浸透し、工業化社会の段階を超えると、工業化社会に適していた共同体は機能不全に陥るそうです。まさに1975年体制が現在に適合しなくなっているのがこれにあたります。では他の先進国はどうだったのか?

アメリカやヨーロッパでは、これが日本より早く起こっていたとのこと。具体的には73年と79年の石油ショックのあと。この頃、これらの国では経済の低迷、近代家族の変容、雇用の不安定化、若年失業者の増加、新自由主義的な改革、極右の台頭、政治の流動化など「第二の近代」を経験しているのです。これらはたしかにニュースなどで見聞きした覚えがあります(後追いですが)。データを挙げれば、アメリカでは第一次石油ショックのころ専業主婦率が日本と逆転(アメリカのほうが率が低くなった)していることなどが一例です。*1

まさに日本では、20〜30年遅れくらいでこれら「第二の近代」の時期に入っているようです(「極右の台頭」は目立ってないけど)。私がここで学んだのは、最近の日本に蔓延している(と言われている)停滞感は、日本特有の問題ではないということです。だから社会が停滞していていい、というわけではありませんが、「だから日本は駄目」というような悲観的な視点をいたずらに持つ必要はないのかな、とは思います(本当に駄目なところは直視する必要があるのはもちろんとして。)。

ちなみに小熊さんは、あとがきで「長い没落を経験したイギリスの若者は、65年には『昨日はすべてうまくいってたのに』と歌い、77年には『未来なんてあるものか』と歌った。遠い国の流行歌だったこれらが、共感を呼ぶ時代が日本にも来たようだ。」と書いています。The Beatles / YesterdayとSex Pistols / God Save The Queenですねわかります。インディーズバンドのメンバーでもある小熊さんらしい。


他に印象に残った点についてはこちらに書きました:


関連メモ

*1:そういえば、日米では結婚の幸福度の決定要因が男女逆だという調査結果がありました。例えば、配偶者の所得が幸福度に関係しているのは、日本なら妻、アメリカなら夫なのだそうです。アメリカの社会変化が日本より先行した結果なのかもしれません。メモ:大竹文雄・白石小百合・筒井義郎「日本の幸福度 格差・労働・家族」の「結婚の幸福度は何で決まるか」参照。


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