庭を歩いてメモをとる

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(演劇)三谷幸喜「国民の映画」 大阪森ノ宮ピロティホール


「国民の映画」サイト


[物語]
1941年秋、ベルリン。ナチスの宣伝相ゲッベルスは、自宅でパーティを開く。招待されたのは、映画監督、俳優、作家など(招待されていないがナチス高官ヒムラーゲーリングも同席することになった)。当時のゲッベルスは、彼ら映画・芸術にかかわる人々の仕事上の生殺与奪の権利を一手に握った人物。その彼が、招待客に「風と共に去りぬ」を超える映画を作るために協力してほしいと語り始める。彼らはどう応えるのか・・・


[感想]
普段演劇は観ません。台詞が聞き取れないことが多いからです(つまり私の側に問題があるのです)。しかし、今回は、普段から関心のあるナチスが題材になっている上、同じくこの方面に関心の高い友人Nさん(この日のブログ)が長崎からこれを観に大阪に来るということで、劇場に足を運ぶことにしました。

圧倒的な権力を前にして表現者はどの道を選ぶのか。権力に迎合してでも表現を続けるのがプロなのか、信念に逆らって表現をやめてしまうのがプロなのか。それとも・・・このように短い文章にしてしまうととても薄っぺらいテーマに感じてしまいますが、それを3時間の舞台を通して、笑いを随所に織り交ぜながら、観ている人の心にこの問いの難しさをずっしり残してくれました。それも舞台セットは一度も変えず、台詞(私にも9割は聞き取れました)と役者さんの演技だけで。

私は表現者ではありませんが、こういった問いはどんな仕事をしていても避けては通れないテーマだと考えています。すぐに連想したのは、小熊英二「<民主>と<愛国>」でも示されていた教育者が戦中戦後で遭遇した状況や、ハンナ・アーレント「イェルサレムのアイヒマン−悪の陳腐さについての報告」に書かれている、所属組織から人倫にもとる行為を仕事として要求された場合の選択などですが、これほどの極限状態でない、もっとささやかなレベルでも起こりうる問いだと考えています。劇中で「ヒトラー」という言葉を一切使わず「あの方」で統一していたことも、それを象徴しているように勝手に感じました。だから、この舞台は、表現者という「別の世界の人」のためのものではないのだということを心に刻み、会場を後にした次第です。

あと、舞台の終盤では、芸術は巨大な悲劇に対して有効なのかという問いも突きつけられていたように感じます。人生の幕引きが強制的に行われようとしているような時に芸術に何ができるのか。東日本大震災のたった1ヶ月後というタイミングもあいまって、深く心に染み入った問いです。


なお、この舞台は、私(と友人)は以上とはまったく別の側面からも観させてもらいました。それは史実にどれだけ忠実かという点。この舞台においてこれはさして重要ではないポイントだということは頭では理解しているつもりです。しかし、個人的にはこれは避けて通れない。ここが大きく逸脱していれば、作り手の誠意を疑ってしまう。我ながら困ったものです(嫌な客ですよね・・・)。

で、どうだったか。友人とは、これを観に行くと決めた段階から「ゲッベルスが普通に歩いていたら多分それだけで観る気がなくなりますね」と話していました。果たして舞台では、ゲッベルスはしっかり足を引きずっていました(変な表現ですが)。友人は「この時代の軍服は黄土色なんだけど」と話していましたがこれもばっちり。他にも、ヒムラーの、「劣等人種」を絶滅させるのは平気なのに動物を殺すのはとても嫌がるという側面や、ゲーリングの身体的な恰幅の良さなど、細かい点もとても誠実に史実を学んで創られていることがわかりなんだかうれしく感じました。

ただ、最後の最後で、ゲッベルス一家が最終的には「服毒自殺した」という説明があったとき、二人とも同時に「子どもは服毒だけど、夫妻は拳銃じゃなかったっけ?」という問いが頭をもたげ、一時期はちょっとがっかりしたのですが、後で二人で調べてみると、以前は私たちが考えていた死因が定説だったのが、今では「諸説あり」が定説になっているらしいことがわかりました。勉強になりました。


このように、二つの側面ともに、「苦手な演劇だけど、行って大いに収穫があった」舞台でした。


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