(2019年2月3日更新)
このメモでは、連合赤軍事件最大の悲劇、いや、日本の「学生運動」「社会運動」中最大の悲劇である、連合赤軍が「同志」12人をリンチ殺害した事件について、小熊英二さんの大著「1968」をもとに整理します。
連合赤軍はどのように誕生したのか、また「同志」へのリンチはどのようにして進行していったのか。そしてそれはなぜ起こったのか。
目次
- 目次
- 連合赤軍の母体-「一緒になってはいけない二つの組織」
- 連合赤軍誕生の経緯
- 処刑開始のきっかけは「大言壮語」と「生真面目」
- 山岳ベースの環境もリンチ発生を後押しした
- 山岳ベースでの「同志」リンチ殺害
- (広告)
- リンチ殺害が行われた理由
- まとめ
- (参考)この事件をモデルにしたまんが
- 関連メモ
連合赤軍の母体-「一緒になってはいけない二つの組織」
連合赤軍は、そもそも一緒になりそうにない二つの過激派「革命左派」(ルーツは66年4月結成の「警鐘」というグループ)と「赤軍派」(1969年9月結成)が合同してできた組織です。
- 両者の共通点:
- 深く考えずに行動する
- 暴力を用いた活動を行う
- 指導者になった人物は周囲からの評価が高いためその地位についたわけではない
- 逮捕者等が多く組織が崩壊に瀕している
- 相違点:
- 思想(世界同時革命、毛沢東支持の反米愛国)
- 女性観(女性蔑視、婦人解放で女性メンバー多数)
これって、「一緒になってはいけない組織」そのものだと思うのですが・・・なぜそんな両者が一緒になってしまったのでしょうか。
連合赤軍誕生の経緯
簡単に言えば、両者が壊滅の危機に瀕していた頃、革命左派創立メンバーの一人・川島豪の指示があり、仕方なく一緒になったのです。
経緯の詳細は以下の通りです。
革命左派は、逮捕された川島豪を奪還するため民間の鉄砲店を強盗し銃を奪います。彼らが信奉する毛沢東が「人民のものは針一本、糸一筋とってはならない」と言っているのにです(毛沢東が実際にどんな人物だったかは別として。※このメモの末尾で関連メモをご紹介しています)。これで革命左派は世間に知られるようになりました。
赤軍派もこれに影響を受けて「M(マフィア)作戦」を開始します。要は金融機関強盗です。
両者、悪いことは真似するんですよね・・・彼らはこのようにして武器やお金を集めました。
一方警察は、こういった過激派摘発のためにアパートや旅館25万か所を4万5000人の警官でしらみつぶしに捜索するようになり、結果彼らからは多くの逮捕者が出ました。
対する革命左派の永田らは冬の札幌などで息を殺し続ける生活に疲弊していき、都市部から出て山にこもるようになります。これがアジト・山岳ベースの発端です(なお、この山岳ベースができた背景には、永田が批判者を都市にばらけさせずに集めておきたがっていたからではないかという元「同志」の回想もあります。これが、後の悲劇の遠因になります。)。
赤軍派も同様に組織が壊滅状態に陥ります。
そんな中、川島が獄中から赤軍派との合同を示唆します。そして71年夏に連合赤軍が誕生。
このように、つぶれかけの集団が仕方なく一緒になったのです。しかし、この相容れないはずの両者が一緒になることで、悲劇は進行していきます。
処刑開始のきっかけは「大言壮語」と「生真面目」
連合赤軍は山岳ベースにこもり続けます。そんな中、革命左派の山岳ベースからは脱走者が出ます。
これに対し赤軍派の森は「処刑すべきではないか」と発言。すると革命左派は脱走者2名を殺害します(印旛沼事件)。
それを聞いた森は「頭がおかしくなったんじゃないか」と言ったそうです。
え?自分が「処刑すべき」と言ったのでは??
赤軍派の森が「言うだけ言ってみた」ら、革命左派が「決めたことは実行すべき!」と後先考えずに殺害に走る・・・もともと「大言壮語だが実行力のない」赤軍派と「生真面目」な革命左派の相違が生んだ悲劇と言えます。
また森は、この事件から革命左派への政治的な負い目を感じ、革命左派より優位に立つには赤軍派による殲滅戦しかない、と考えるようになります。
両者は悪影響を煽りあうようになっていくのです。
この印旛沼事件をきっかけに、リンチ事件へまっすぐ伸びるレールのような原理が構築されてしまいます。
それは、「自分が逮捕される危険を逃れるため逃亡者を処刑し、自分の地位を追い落とす危険のある者を共犯者にして犯行を封じる」という原理です。
もはや、曲がりなりにも「武装闘争で革命を起こし世の中をよくする」という建前すらも実質的にはなくなり、エネルギーは上層部(森と永田)の保身のために燃焼されるようになっていくのです。
それがこの山岳ベースでの「同志」12名のリンチ殺害です(ちなみに私はこのリンチもあさま山荘で行われたと思っていました・・・)。
ところでその山岳ベースは、どんな状況だったのでしょうか。
山岳ベースの環境もリンチ発生を後押しした
先に山岳生活を始めていた永田が、まだ都市にいた森を訪ねたとき森が肉を食べているのを見てショックを受けている記述があります。肉を食べているだけでショックを受ける生活環境だったというわけです。
その後、ベースは警察に見つからないために次々変わっていきますが、例えばリンチが多発した榛名ベースは次のようなすさまじい環境でした。
- 居住空間は横4メートルに縦2.5メートル
- ここに革命左派約20名と赤軍派約10名が居住
- そして夜は氷点下15度
- トイレは満足に機能しない
- 風呂はまれなので体臭がひどい(買い出しに行った際体臭が原因で通報され逮捕されたメンバーがいるくらい)
- これに重労働(薪割り等)の疲労
- 逮捕の恐怖
以上をあわせて考えると、本書の著者小熊さん曰く「判断能力も正常でなくなるのは無理もない。事件の描写はこれを念頭に読む必要がある。」
榛名ベースがあった群馬県榛名山
山岳ベースでの「同志」リンチ殺害
71年12月下旬〜72年2月、ここで何が起こったのか。
森と永田が「同志」に言いがかりをつけてリンチしていくのです。
目的は「共産主義化(意味は誰にもわからなかったとの証言あり)」。
詳細に書いても気分が悪くなるだけなので端的にメモします(小熊さんも同じ理由でこの箇所を簡潔に書いたとのことですが、その分実態が明確にあぶりだされている感がありました)。
リンチされ始めたきっかけ
- 夕食会で「私の中にブルジョア思想が入ってくること闘わねばならない」と告白→森「入ってくるというのはこの闘いを放棄したもの」→リンチ
- 「交番襲撃のさい日和った(学生運動中、権力に対し怖じ気づいた)」と告白→「日和見主義克服」→リンチ
- 「ルンペン的」→リンチ
- 「すっきりした、という発言がまじめではない」→リンチ
- 「女学生的」→リンチ
- 「主婦的」→リンチ
- リンチ殺害の輪の外でうろうろしていた→リンチ
- 運転の不手際を叱咤され「革命のお手伝いをしに来ただけだ」と反論→リンチ
- カンパ集めに失敗→リンチ
リンチの内容
- 殴打(主に全員で)
- 自分自身による殴打強要
- 緊縛し氷点下の屋外に放置→飢えと寒さで死亡
- アイスピックで心臓を刺したが死ななかったので絞殺
被害者のプロフィール(一部)
- 赤軍派の人数が足りないので数合わせに連れてこられたもともと忠誠心のない人物
- メンバーでなくシンパで、妻子を連れてピクニック気分で来ていた人物(妻子は無事)
- 妊娠8ヶ月の女性(金子みちよ。殴打された際も「何をするのよ!」と叫ぶ、リンチ中抗議したのは彼女ただ一人、リンチに10日間も耐えたのも彼女だけ。本事件を裁いた石丸裁判長が金子の友人に送った手紙には「36年間の裁判官生活で・・・金子さんはもっとも感慨深い心にしみこむ『被害者』でした」と記述)
リンチ死を「敗北死」と呼ぶことの「効果」
有名な話ですが、これらのリンチは「総括」と呼ばれています。「共産主義化」を達成するための反省・自己批判の一環らしいのですが、実態は完全にリンチですよね。
そして、このリンチによる死亡については、森が「敗北死」という名前をつけました。死亡した人間は、総括しきれずに敗北して勝手に死んだ、という理屈です。行為の実態は単なるリンチでも、このように特別な名称や理屈付けを行うことで、集団の感覚麻痺が一層進んでしまったものと思われます。
実際、永田は取り調べで「なぜ殺したのか」と訊かれて初めて自分は人を殺していたのだと自覚できた、と語っています。
川島豪
なお、革命左派メンバー天野勇司によると、後日革命左派創立者の川島豪にこのリンチ事件について問うと「ゲリラノ鉄則ドオリニシタノデハ」との電報が返ってきただけで、まったく反省していなかったようです。そしてこの事件の全責任を永田に転嫁していたといいます。
この人物、森や永田ほど言及されませんが、個人的には、この悲劇に及ぼしている彼の影響はかなり大きいと見ています。生真面目な労働運動団体だった革命左派が暴力を使い始めたのも、赤軍派との合同を促したのも彼ですからね。ちなみに1990年に死去しています。
個人的な感想
私はこのリンチ事件を初めて耳にしたときは「どうせ狂信的政治思想の持ち主が同じように狂信的な人間を殺したんだろう。殺された人は気の毒だけど自業自得な面もあるんじゃないか」などという感想を持ちましたが、今回この本を読んで自業自得と切り捨てるのは相当不適切で思考停止だと強く感じるようになりました。そして反省。
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リンチ殺害が行われた理由
なぜこんなことが起こったのか。私もそれが大変気になっていました。
これまで論じられた理由
著者小熊さんによれば、関連書籍を渉猟し整理した結果、これまで論じられた理由は主に4つに分類されるそうです。
- 外部の敵と戦えなかったので内に向かった
- 異なる両派がどう新路線を作ろうとするかを議論しようとすると森は個々人の共産主義化(リンチ理由)に問題をそらした(永田の回想による)
- 高校時代に剣道部主将だった森の体育会系気質
- 永田が気に入らない人間を総括し森がそれを合理化
小熊英二さんの挙げた理由
しかし、小熊さんは、以上の理由は潤滑油程度のものでしかなく、本質は「指導部が逃亡と反抗の恐れを抱いたのが『総括』の原動力だった」と指摘します。理由は次の通りです。
- リンチは反抗か逃亡の怖れがあった人物に集中
- メンバー全員に被総括者を殴打させたのも「全員共犯にし脱走させなくする」ため(傍証多数)
- 買い出しの場合、人選が慎重に行われた。上層部がいかに逃亡を恐れていたかの例と言える。
- まず関係の弱い者同士で行かせる(相談して脱走しないため)
- また、ベース内に恋人や身内がいれば必ずどちらかをベースに残す(人質)。
とはいえ、上層部はこれを計算していたわけではなく、当初は勢いでやっていたがそうした計算が半ば無意識的に入って固定化したというのが実態ではないか・・・これが小熊さんの考察です。
私はこれを読んで、え?それって新しい説なの?むしろ、それ以外考えにくいんじゃないの?と思いました。それくらい、様々な資料で描かれている状況と「指導部の保身」のつながりが明確だったからです。
なぜこんなシンプルな理由が今まで出てこなかったのでしょうか。小熊さんはそのわけをこうではないかと推測しています。
- 実は連合赤軍関係者の回想記などが出揃ったのはここ数年で(永田の回想記はずっと前から出ていたが、やはり記憶の改変があるし、あくまで永田視点の記述であるため完全に依拠できるものではない)、今までは分析しようにも材料が少なかった
- 世の中、特に日本の社会運動に大きな影響を与えたこの事件の理由が「保身」のような矮小なものであってほしくないという思いも影響していたのでは
なるほど。時間がたってはじめてわかったこともあるし、時間がたってやっと客観的に分析できるようになった、ということなのですね。
よしてるの感想-ポル・ポトとの類似
ちなみに今回、リンチの経緯を知って私が真っ先に連想したのはカンボジアのポル・ポトのやり方です。※このメモの末尾で関連メモをご紹介しています
彼らも、規模は異なるものの(170万人を処刑したという説*1もあります)、以下の点が連合赤軍に類似しているように思います。この点からも、私にとっては小熊さんの「連合赤軍の同志リンチ理由は保身」説が納得しやすくなっています。
- リンチは共産主義の名の下行われたがその意味の説明はなかった
- 言いがかりをつけて人をどんどん殺す(眼鏡をかけている→知識人→処刑、など)
- 攻撃されることを極度に恐れ、疑心暗鬼になっていた(政権をとるとすぐ首都にいた200万人を全員地方に移住させたが、その理由のひとつは「そうしないと暴動が起こって政権を覆されるから」など)。
1つ目の共通点について。ポル・ポトも革命革命と連呼していましたがその意味を人民に説明することはなかったらしいです。
2つ目と3つ目の共通点からは、小熊さんのいう「保身」というキーワードが浮かび上がってきます。
人間、保身に走ると、我が身を守るためには何でも -同志をリンチで殺害したり国民を100万人以上処刑したり- してしまう生き物なのかもしれません。逆に言うと、人間、居場所があって安心できることがとても大切な生き物、とも言えるのでしょう。
まとめ
連合赤軍はなぜ「同志」を12人もリンチ殺害したのか?
- そもそも、連合赤軍の母体となった2グループは仲間割れをし互いに暴力をふるう背景があった(「深く考えず行動する」「暴力を用いる」点が共通している反面、思想面では相容れなかった)
- そんな「一緒になってはいけない組織」を革命左派の創立者・川島豪が一緒になるよう指示した
- 彼らのアジト「山岳ベース」のコンディションが劣悪なため、判断能力が正常でなくなっていった
- リンチによる死亡を「敗北死」と称することで「死亡した人間は敗北して勝手に死んだ」ということになり、集団の感覚麻痺が一層進んでしまった
- そして最も根本的な理由は、連合赤軍指導部が他のメンバーの逃亡と反抗の恐れを抱いたため
(参考)この事件をモデルにしたまんが
上記の小熊英二さんの本は非常に興味深いですが分厚く値段もかなりします。この事件のことをもう少し手っ取り早く知りたい方には、連合赤軍をモデルにしたまんが「レッド」をおすすめします。
モデルといっても組織と人物の名前が変えてあるだけで、非常によく調べてありほぼ実録といっていい内容です。
たとえば、このメモに登場した人物と作中の人物はこんなふうに対応しています。
- 森恒夫 → 北(大阪弁をしゃべっているリーダー)
- 永田洋子 → 赤城(一番髪が短い女性)
- 金子みちよ → 宮浦
また、混乱しがちな多数の登場人物に番号をふって判別をつきやすくしてある点も理解の助けになります。
以下の8巻では、榛名ベースで最初の犠牲者が出るところまでが描かれています。グロテスクな画は(まだ)出てきません。空虚な理論のもとに同志を殴り続ける様子は読んでいて精神がこたえるものの、この事件の現場イメージを理解するには非常に適した作品といえると思います。なお、Kindle版は単行本の半値近くで入手しやすくなっています。
関連メモ
連合赤軍
連合赤軍の前身「革命左派」「赤軍派」の成り立ちと特徴。
「連合赤軍はその後どうなったか」「この事件はその後の日本社会にどんな影響を与えたか」「この事件をどう受け止めるのが適切か」について。
毛沢東
毛沢東の主治医だった人物が語る独裁者の性格・生活。このような人物が何億もの人民を支配していたことに戦慄します。
ポル・ポト
毛沢東同様、よくこんな組織が国を支配していたものだと思います。それがたった40年ほど前のことだったとは・・・
戦後の事件(日本)
小熊英二さんの著作リスト
おもしろかった本・まんがのリスト
*1:イェール大学・カンボジア人大量虐殺プロジェクトによる調査結果