庭を歩いてメモをとる

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ジョージ・オーウェル「1984年」

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

伝説の、Macintosh最初のTVCF。そのブラックさで他の追随を許さない映画「未来世紀ブラジル」。ひところ欧米で話題になった、登場人物を覗き見し続けるテレビ番組「ビッグ・ブラザー」。これらはみんな、この小説の子どもたちなのですね。

[物語]
1984年。世界は3つの超大国に支配されていた。そのうちのひとつオセアニアでは、人々の行動は「テレスクリーン」という送受像機で24時間監視され、支配者「偉大な兄弟」と党の思想に反する言動は思想警察による逮捕の対象となる。人がある日突然いなくなる(最初からいなかったことにされる)のは日常茶飯事。そのオセアニアに住む主人公ウィンストン・スミスの仕事は、過去の新聞記事の「訂正」。党の予測がはずれた場合は、過去の記事を正確なものに修正するのだ。彼は、今の生活が「革命」以前よりよくなっているのかどうか疑問を感じている。そんな彼に、謎の黒髪の女が接近してきた・・・

[感想]
物語という側面を見ても、登場人物たちが語る「哲学」の興味深さ・深遠さの側面においても、第一級の小説だと感じました。要するに、「おもしろくて考えさせられる」作品だということです。

超管理社会のディストピアぶりには、この小説を閉じて勤務先に向かうときに「あんな社会じゃなくてよかった」と心から思わされる一方、今の社会にこの「超管理社会」の要素がまったくないかというとそうでもないという事実に心が震えます。

一方で、「管理」から抜け出たつかの間を味わう主人公たちの描写の生き生きしていること。そして、その後の出来事のおぞましさ。何より、物語終盤の主人公と党幹部のやりとりは、権力と人間性の関係について、ため息が出るほど考えさせられます。

翻訳がこなれていたのもよかった。新庄哲夫氏が選んだ、不自然さを感じさせない日本語は、この作品が翻訳物であることを忘れさせるほどのものでした。


ちなみに、この小説を読んですぐに出た疑問は「これほど膨大な管理にかかるコストを国家が支えることができるのだろうか?」ということ。野口悠紀雄教授が、同じ疑問をさらに発展させて興味深いエッセイを書いているのでご紹介します:「信頼に基づくクラウド・コンピューティングが未来をつくる


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