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新憲法制定時、最大の反対勢力は日本共産党だった-小熊英二「<民主>と<愛国>」第一部(1940年代)

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

戦後日本の思想・言論の潮流と、それに基づく言葉の意味の変化(同じ言葉でも、時代時代によって意味が違う)を、膨大な資料をもとに明らかにしていっているこの本。前回読み始めてからまた2年ほどほったらかしにしていたのですが、このゴールデンウィークに再読し始めたので、興味深かった点をピックアップしてみます(以下、枠内は原文を私が要約の上引用したものです。)。


憲法第9条

・憲法第9条は制定当時、戦後の新しいナショナリズムの基盤として「歓迎」された。「平和」や「道義」の主張は、軍事的にも経済的にも敗れた日本に残された最後のナショナル・アイデンティティだったからである。1946年の時点では、第9条歓迎は政府の公式見解でもあった。ちなみに、吉田茂が「今日までの戦争の多くは自衛権の名に依って戦争を始められた」と述べて自衛権を明確に否定したことはよく知られている。

・第9条の「歓迎」は、1946年の時点では、既成事実への順応に過ぎなかったともいえる。日本の武装解除は、もともと連合国の対日政策に合致したものであったからだ。

・新憲法への最大の反対勢力は、日本共産党だった。天皇制を残存させ、資本主義を擁護しているからである。

・また、貴族院議員の南原繁も反対を表明した。その理由は、国家の自衛権の正当性と、国際貢献の問題(国連に加入するなら、兵力提供の義務がある)だった。また、憲法の制定方法があまりに拙速であり上から与えられる形式であったことも批判した。最後の点は、南原以外からも唱えられた。

・しかし日本政府は、冷戦の高まりとともに、秘密裏に第9条の規定を度外視しはじめていた。早くも1947年、芦田外相らが作成した文書には、米軍の駐留による防衛の希望が書かれていた。またほぼ同時期、アメリカ側も初期の武装解除政策から、日本を反共同盟国として育成する方針に転換しはじめる。

驚きの、でもよく読めば納得の史実が連発。なるほど、登場した当初、第9条はナショナリズムの基盤だったんですね。今の日本には戦争で負けてしまって何もないけど世界に誇る第9条がある、という感じで。また、共産党が新憲法への最大の反対勢力だったことも。それも理由を読めば納得。両方とも今とは逆の立ち位置、といっていいのかな。

それにしても、これも小熊氏が別のところに書いていたことですが、その後のアメリカの方針転換、要は冷戦の高まりが少しでも早かったら、第9条はなかったのかもしれませんね。憲法の草稿完成が1946年2月、チャーチルの「鉄のカーテン」演説が3月だったそうですから。日本は軍事独裁政権になっていた可能性もなきにしもあらず。そう考えると、第9条の誕生のタイミングは絶妙、もっといえば終戦があと少しでも遅れていれば、日本の戦後はまた違ったものになっていた可能性があるってことですね(終戦のタイミングが絶妙だったとは思いませんが)。


天皇退位論

・1948年は退位論のピークだった。芦田首相は6月に「タイム」と「ニューズウィーク」に出た退位に関する記事を読み、「私には決心はできている」と述べた。8月15日の読売新聞世論調査によれば、天皇制存続支持は90.3%。ところが、日本輿論調査研究所の「日本文化人名鑑」掲載者・議員および財界人への調査によれば、退位賛成は約50%を占めた。ただし、衆議院議員の退位賛成は6.2%だった。天皇制支持を表明している人々の票を気にしてのことと考えられる。また、マッカーサーは10月には「今度天皇に会ったら、退位などということは大変愚かなこと」と「忠告」すると述べた。

・結果的に、アメリカの国際戦略とそれに結びついた保守政権のもとで天皇の戦争責任が不問に付された。

・天皇に対して、人間として責任意識を期待する論調は、1951年の京大同学会の質問状などが最後のものになった。

終戦直後の天皇に対する日本人の思いはどんなものだったんだろうと以前から思っていたんですが、やはり一般国民といわゆる「文化人」との間には大きな隔たりがあったんですね。私がぎりぎり明治生まれの一般人である祖父母にインタビューしたときのことを思い出します。そして、直接責任を問う声は、1950年代から廃れていったということですが、逆に言うと終戦直後は責任を直接問う声はそれなりにあった(「文化人」の間においては)ということなのですね。

同じ「戦後」といっても、1940年代と今とでは、同じ言葉でも持つ「意味・背景」がこれだけ違うわけですね。これはこういう政治思想だけじゃなくて、ある程度の「歴史」をもつものならなんにでも言えることなのかも。たとえば、いきなり話は飛びますが、中学生が「私はビートルズファンです」という言葉が周囲にどうとられるのか。60年代は、よく知らないけど不良だと思われたんでしょうか?あるいはミーハー?70年代は、「時代遅れ」とか、プログレの一部のファンなどからは馬鹿にされていたという声もその世代の人から聞いたことがあります。そして80年代は、私が中学生だった時期ですが、ビートルズはもう教科書に載っていて「権威」になりかけていましたから、幅広くファンがいた一方、「みんなビートルズがいいっていうから辟易して」なんて声もありました。

何がいいたいのかというと、同じ言葉でも、たった数十年前には意味や背景がまったく違っているってこと、忘れがちだけどすごく大事なことなのではないかなってことです。特に、数十年前の出来事について考えるときには。


続きの第二部についてのメモ:


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