庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

吉村昭「海の祭礼」

海の祭礼 (文春文庫)

19世紀。アメリカ人ラナウド・マクドナルドはスコットランド人とネイティブ・アメリカンの混血として生まれます。それがために差別されることも多く、同時に同じような容貌をした国民のいる未知の国日本への憧れを募らせます。1848年、ついに彼は捕鯨船に乗り日本に近づき、船の仲間が押しとどめるのも振り切り北海道の利尻島に単身上陸します。黒船のやってくる5年前のことでした。

彼は当初不法入国者として警戒されますが、その従順さや礼儀正しさから幕府側も対応を軟化。定めにより長崎に送られた後、通詞(通訳)が彼に接触するようになります。

その中でも抜きんでた才能を持つ森山栄之助は、マクドナルドが日本語を自ら覚えようとしていることを知り、逆に英語を教えてもらうことを上司に提案、受け入れられます。それまでは通詞はオランダ語の通訳がもっぱらでしたが、19世紀後半になって英語の重要性が急上昇。しかし英語を満足に話せる通詞はおらず、英語習得が緊急の課題になっていたのです。

森山は、マクドナルドとのやりとりを通じ、既に作られていた英和辞書のような資料に誤りが多いことを知ります。その「辞書」はオランダ人に手伝ってもらって作ったもの。発音がかなで書かれているのですが、それがオランダ訛りのものだったのです。森山は他の仕事を免じてもらい、マクドナルドからより自然な発音を吸収することに全力を挙げます。

マクドナルドは、1年の滞在の後長崎に来たアメリカ船に乗船し帰国します。一方森山は、その英語力が買われ、江戸でペリーやハリスとの交渉でも首席通訳を務めるまでになります。外国側からも語学力に加え人柄のよさやコミュニケーション能力が知られるようになり、通訳というよりは外交官のような位置づけで指名されるようになっていきます。


この小説は、そんな史実をもとにした小説です。私個人はこのマクドナルドと森山のことは全く知らなかったので、まずそこが興味深かった。布教以外の目的でおそらく最初に個人で自発的に日本を訪れようとした西洋人と、職業として初めて英語を習得した日本人。そんな人がいたんだ、ということと、そんな人の記録がちゃんと残っていて、小説に書き上げられているんだってことに驚きました。

そして吉村氏は、そんな彼らをベースに、異文化コミュニケーションの法則のようなものを伝えてくれているようにも思います。マクドナルドと同時期に日本に漂着したアメリカ人船員たちの描写などがその典型。マクドナルドとは対照的に、粗暴で状況を受け入れず要求ばかりを繰り返す彼らは、結果的に幕府側とも対立したままで病死者まで出してしまい、帰国後も日本を憎み続けました。彼らとマクドナルドとの鮮やかな対比からは、ひとつの重要な「法則」を感じた次第です。

とはいえ、吉村氏の文章からは、説教臭さのようなものは一切ありませんし、ノウハウやルールを説明する場面もありません。丁寧に史実を調査し、歴史作家としての味付けはごく控えめなまま。史実という素材を最大限に引き出し腕をふるっています。その上、外国語や外国文化に関心のある方にとっての示唆に富むポイントを示してくれるという側面もある。そんな奥深い小説でした。



この本を読み終わった直後、著者の吉村昭さんが亡くなられました。尊厳死だったそうですね。ご冥福をお祈りいたします。


(広告)