ポール&リンゴ独占インタビュー
産経新聞社の雑誌「KAMZINE」の最新号にポールとリンゴの独占インタビューが載っていると知って早速買ってみました(ちなみにこの雑誌、表紙は大地真央、記事は山口百恵、美空ひばり、森進一についてだったりするので、読者層はかなり高めと思われます。)。
結論からいうと、質問内容がありきたりでちょっとがっかりしました。なので回答もどうしてもありきたりになってしまっていっている感じ。
唯一、お、と思ったのは、ポールでは「ビートルズ以降のコラボレートで一番うまくいったのは?」「エルヴィス・コステロだね。スティーヴィー・ワンダーと共演したことも素晴らしかったね。」と明言しているところ。でも回答内容そのものは誰もが予期するところではありますね。
リンゴでは、「最近、ポールに『幸せのノック』のアイデアを拝借したのでポールに許可を求める電話をかけたら、ポールに『版権管理者に電話してくれ』っていわれた。『いやいや、僕は君に電話してるんだよ』と返したよ」というところ。どんな曲になるんだろう、とそこが気になりました。
と、いきなり不満を述べてしまいましたが、なにはともあれ、最新の独占インタビューが日本のメディアで読めるのは珍しいので、その心意気は大いに歓迎です。彼らの動向はネットで随時確認できるのですが、紙媒体で手にとって読むのはそれはそれでうれしいものです。
でも実は、個人的にはインタビューよりも興味をそそられた記事があります。雑誌の特集がビートルズ来日時についてだったのですが、そこでのいくつかのインタビューがそうでした。
ビートルズ来日中に彼らに会った日本人
まず、ホテルの部屋で彼らに会えた人といえば加山雄三。その加山氏がビートルズとすき焼きを食べたというのは有名な話ですが、その他にも彼らが加山雄三の目の前で描いたという抽象画の写真なども掲載されていました。ついた値が2億4000万円、とのこと。
湯川れい子のインタビューもありました。記事中の、ポールが一番サービス精神が旺盛で、ジョージに「椅子を持ってこい」とか「飲み物を出せ」と命じていたという話は、湯川さんの講演で直に聞いたことがあります。たしかあれは1996年、ビートルズ来日30周年を記念して原宿かどこかで行われたものでした。当時たまたま東京にいた私は、ビートルズファンの友人たちとそれを聞きに行ったのです。その友人たちとは、「ポールの性格はジャイアンタイプで有無を言わせないところがあって、反面おとなしいジョージはのび太タイプだ。高校では後輩にあたるし、ポールにはいろいろこき使われたのかも」なんて話をしていたところだったので、湯川さんのこの話には全員爆笑したのを覚えています。
ビートルズの前座を務めたドリフターズからは高木ブーが。出演時間40秒という説に対して、「のっぽのサリーを2コーラスはやったので1分半はあったと思う」とのこと。ジョンが死んだときに、もうビートルズは再現できないんだと思い、俺たちは大変なことをやったんだと思った、でも俺たちも長さんが死んじゃったから一緒だけどさ、というコメントも。
キャピトル東急(当時の東京ヒルトン)のビートルズが泊まった部屋についての解説も。10F全部がビートルズのために貸し切りになるはずだったが、ホテルのオープン当初から住居として一部屋使用している日本人経営者がいたので完全な貸し切りにはならなかったそうです。
このプレジデンシャル・スイート、現在一泊38万円で、クラプトンの指定部屋でもあるそうです。この部屋の前までは私も行ったことがあります。今日の写真はそのときのものです。
約40年前の話なのに、まだまだこういう記事が健在なのはさすがですね。