庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

映画「イエスタデイ」-違和感の解消、「僕はビートルズ」との違い


↑amazonのページではサントラを試聴できますが、★劇中にどの曲が出てくるかわかってしまいますので未見の方はご注意ください。★

映画「イエスタデイ」と違和感

ある日突然、世界は、主人公以外は誰もビートルズを知らない世界に変わっていた。主人公の男はとまどいながらもビートルズの歌を自分の作品として発表していく・・・

そんなストーリーの映画「イエスタデイ」。ビートルズファンとしては見逃すわけにいきません。

観に行って、そして2回涙を流しました。劇場で2回泣いたのは生まれて初めてのことような気がします。

ただし、ひとつだけ大きな違和感がありました。

その後、この映画について、ビートルズをよく知り心から愛している友人達とチャットで語り合う機会がありました。そのやりとりを通じて、その違和感がなくなった、というよりこれはあるべきものだったのだ、ということがわかりました。そのことを書いていきたいと思います。


違和感とは

その違和感とは何か。

それは、だれもビートルズを知らない世界に対して、唯一ビートルズを知る男が、ビートルズの曲をギター弾き語り一本で伝え受け入れられていくと言うその過程です。

ビートルズの曲にはたしかに最高のメロディーに素晴らしい歌詞が織り込まれている。それが最大の魅力というのもわかる。

でもそれだけじゃない。彼らのボーカルは?楽器演奏は?コーラスワークは?アレンジは?サウンドプロダクションは?ライブは?かっこよさ(外面的な/内面的な)は?ファッションは?ウィットとユーモアに富んだインタビューの切り返しや数々の名言は?レコードジャケットは?時代との共鳴ぶりは?4人それぞれの、そしてグループとしての人間的魅力は?そして彼らの作品が短期間のうちに革命的に変化していきバンドが解散するまでの過程そのものは?そのすべて(いや、まだまだ言い足りないけど)があってビートルズじゃないの?一人の歌と一本のギターでビートルズを伝えようとするというのはちょっと無理があるんじゃないか。そんなふうに感じたのです。

その思いをチャットが始まって早々友人たちにぶつけてみました。

友人たちは一旦その話を受け止めながらも、大きなもう一つの視点を提供してくれました。

それは、主人公(ジャック・マリク)が「託されている人」だという視点です。

★★ここから盛大にネタバレします★★
















実はこの世界には、主人公のほかにビートルズの音楽を知っている人が二人いるのです。イギリスに一人、ロシアに一人。

彼らは、ビートルズの音楽を知っていてかつそれを愛しているのですが、それを世の中に伝えることができません。歌や楽器ができないからです。

一方、主人公は歌とギターができます。

彼ら二人は、主人公に、自分たちが(も)愛するビートルズの音楽を託したのです。託した先が本家と同じバンドではなく、ギター弾き語りであっても。伝える手段はそこに限られているのだから、そこに賭けているといってもいいでしょう。

主人公は二人が現れたとき警戒します。糾弾されるのではないかと。私もそう思って観ていました。しかし二人から出てきたのは感謝の言葉。

最初、私はこれにも違和感を感じたのですが、それはすぐに氷解しました。もし自分が彼ら二人と同じ立場だったとしたら・・・やはり私は主人公に感謝するでしょう。そして一緒に「イエローサブマリン」を歌って盛り上がるでしょう。私が二回落涙したうちのひとつは、まさにこの場面なのでした。


「僕ばビートルズ」との最大の違い

ビートルズを知っている人が主人公以外にもいるということ。これは、この映画と何かと比較されがちなまんが「僕はビートルズ」との最大の違いなのではないかな、とも考えています。

「僕はビートルズ」は、(このメモを読んでくださっている方であればご存じかとは思いますが)かわぐち かいじさん作・藤井 哲夫さん原案のまんがで、2010年日本のビートルズコピーバンドがビートルズのデビュー1年前の東京にタイムスリップ、ビートルズの曲を自分たちの曲として発表していき・・・というストーリー。

相違点もたくさんありますが、「周りのみんなはビートルズを知らないが主人公は知っている」「主人公がビートルズの曲を自分たちの曲として発表していき世の中を驚かせる」という基本軸はほぼ同じです。

ただ、次の2点は大きく違います。

  • 「イエスタデイ」ではビートルズがこの世に存在していないが、「僕はビートルズ」ではデビュー前のビートルズは存在している
  • 「イエスタデイ」では主人公以外にビートルズを知っている人たちがごくわずかながらいるが、「僕はビートルズ」ではまったく存在しない(ビートルズのメンバーはいるが、まだビートルズになっていない)

このうち、私は前者が非常に大きな違いだと思っていたんです。でも、後者の「他にも知っている人がいる」こと、そしてそこからくる「主人公は託された人」という視点があるのとないのとでは、「ビートルズの音楽を自分のものとして発表する」という行為の「罪深さ」がまったく違ってきます。

私は「僕はビートルズ」もかなり楽しんで読みましたし、真摯で熱意にあふれ、「もし自分がビートルズだったら」というある種の「妄想」を突き詰めた力作だと思っています。一方で、熱心なビートルズファンでこの作品を「許せない」と語る人たちがいることも見聞きします。

「イエスタデイ」を「許せない」人もいるとは思います。しかし、この「託された人」という視点があればその「罪深さ」についての感覚がかなり変わってくる場合もあるのではないか。そんなふうに思います。少なくとも私はそうです。

なのでここが「イエスタデイ」と「僕はビートルズ」の最大の違いではないかと考える次第です。


あと、これも友人たちとの語り合いでなるほどと思ったことなのですが、「僕はビートルズ」は徹頭徹尾真剣でまじめですよね。この作風もビートルズへの敬意を感じられて私は好きなのですが、「イエスタデイ」は笑いがたくさん。「レット・イット・ビー」初披露のシーンなど最高ですし、主人公のアルバム名選びの却下理由のシニカルさもさすがはイギリスコメディ。

もちろんどちらの作品も作り手のビートルズへの愛と敬意については疑う余地もないのですが、持ち味は大きく違っています。


(広告)






何もかもではなく、必要なものを

ビートルズの音楽を歌とギターだけで伝えていくことについて、もうひとつ。

これには「何もかもではなく、必要なものを」という判断もあったのではないか。そんな視点も友人が提供してくれました。

たしかに、2時間という枠の中でビートルズの魅力すべてを伝えようとしたら物語は破綻するでしょうし、受け手も消化不良になってしまうでしょう。

この視点を教えてもらって気づいたことがあります。

この映画は、ものすごくシンプルなラブストーリーでもあります。これがシンプルなおかげで、ビートルズの音楽の伝わり方や数多くの小ネタ、そして音楽そのものを十分に楽しむことができました。

もしこの映画が、主人公をとりまく人間関係が複雑で込み入った恋の駆け引きを描くようなものだったら?少なくとも私はついていけなかったと思います。

それを考えると、歌とギターだけでビートルズを伝えるというのは、むしろそうあるべきスタイルだったのかもしれません。ダニー・ボイル監督も脚本のリチャード・カーティスも、どうしたらビートルズを伝えられるのかを真摯に考えたというまさにその点で、この映画の主人公と同じだったのです。



それにしてもビートルズ。また彼らのおかげで実に楽しく泣ける映画を見せてもらえたし、友人たちとも愉しいひとときを過ごさせてもらいました。同じような思いや経験をしている人たちが世界中にいることでしょう。この世界がビートルズのいる世界で本当によかった。


その他

  • ビートルズがいなければオアシスもいない、というのはギャグとしてはいいけど、それで終わるはずもない。音楽だけでもない。日本の小説だけでも「ノルウェイの森」「ゴールデンスランバー」「オール・マイ・ラヴィング」「ミート・ザ・ビートルズ」その他たくさん・・・はなくなるか、少なくともタイトルは変わる。
  • 「エリナ・リグビー」で神父さんが靴下編んでるの爆笑
  • 字幕は監修の藤本国彦さんのおかげか、内容に違和感はなかった。でも、セリフの端々にビートルズネタが仕込まれているのを限られた文字数の中それとわかるかたちで日本語にするのは不可能。私が気づいたのはセリフの一部に出てきた「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の歌詞くらいだけど、ほんとはもっとあるんだろうなあ。
  • エド・シーランとジェームズ・コーデン(「サーズデー」ナイトライブの人)、オファーがあったとき喜んだんだろうな。特にコーデン氏はポールのカープールカラオケで涙流してたし。エドもあんな役どころやあんなセリフ、ビートルズへの深い敬意がないと演技でも嫌だと思う。
  • 本家ビートルズの音楽が流れるの、実は前情報で知っていた。知りたくないのに勝手に目に入った。心のワーストテン第1位はこんなネタバレだった。
  • この世界にはクーラシェイカーもいないのか(”Hey Dude”)
  • オアシスのワンダーウォールを中学の時にカバーしてた少年が今こんな歳か、おかしくないか?と最初は思ったけど計算はまったく合っていておかしいのは私の感覚のほうだった
  • エリーの中学校、特別な学校じゃなかった感じだけど黒板の代わりにディスプレイで授業していて日本大丈夫かとちょっと思った(日本でももう導入が進んでいるところもあるのかもしれないけど、私の子どもの通う小中学校は黒板メインです)
  • 2回泣いたシーンの2回目は、もちろん78歳の元船乗りのシーン。あれは映画の作り手も相当緊張したと思うけど、それでも撮りたかったんだろうな。
    • あとであれがロバート・カーライルだと知って衝撃。「トレインスポッティング」のベグビーが・・・すごいな。
    • 語り合った友人が「スターティング・オーヴァー」のMVに似た海辺の家が出てくると教えてくれた。たしかにこれは意識していそう。www.youtube.com

関連メモ


(広告)