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徳川将軍の遺骨と歴史記録を比べてみた

徳川将軍の遺体を発掘調査した記録があると聞き、読んでみました。歴史上の人物について、歴史書の記録以上に客観的な事実がわかるのではないかと思ったからです。

徳川将軍の遺骨調査

東京タワーの近くにある増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。彼らの遺体は1958年の発掘調査の際、学術研究の対象になりました。その貴重な記録がこの本に記されていましたので、「遺骨からわかること」「肖像画」「本書の考察」「私の感想」の順でメモしていきます。

第2代秀忠-筋肉が発達し毛深かった

  • 骨の性質からして、筋肉の発達がよい
  • 腕の毛とすね毛は黒々としていて老境を感じさせない
  • 発掘前に棺のふたが崩れて落下しており、遺体が圧縮されていたので頭蓋骨の確認はできなかった

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b0/Hidetada2.jpg/501px-Hidetada2.jpg
徳川秀忠(松平西福寺蔵)

大河ドラマ「真田丸」では、いくさ経験豊富な家康に比べると未熟者、というような描写もありました。でも実際は、なんといってもその後の将軍と違って実戦経験があるわけで、そのあたりが骨にも出ていたのですね。毛深いというのはドラマで演じていた星野源さんとはかなり印象が違いますが。


第6代家宣-猫背で執務に専念

  • かなりの猫背
    • 父である綱重の遺骨も同様なので、遺伝かもしれない
  • 江戸の町人のみならず、現代人と比較しても非常に細長い顔
  • 51歳で亡くなったが、歯のすり減りが非常に少なく、奥歯のエナメル質が残っている
    • 日常的によく精選され、よく調理された柔らかいものを食べていたのであろう

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/Tokugawa_Ienobu.jpg/640px-Tokugawa_Ienobu.jpg
徳川家宣(徳川記念財団蔵)

48歳で即位し、50歳で亡くなるまでのわずかな在職期間に「生類憐れみの令」の廃止、新井白石の登用による財政改革、朝鮮・琉球との外交を推進するなど意欲的だった家宣。猫背で執務に専念していたのかもしれません。

なお、「歯のすり減りが非常に少ない」のと「非常に細長い顔」という特徴は以降のほぼすべての将軍にあてはまる特徴です。前者は特別な食事の影響だとわかるのですが、後者の理由は本書には書かれていませんでした。ちなみに、本書には頭蓋骨写真がありますが、本当に異様なほど細長いです。写真が残っている慶喜を見てもそれがわかります。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/24/Tokugawa_yoshinobu.jpg
徳川慶喜(撮影者不詳)


第7代家継-史上最年少で死去した征夷大将軍

  • 遺体は棺内に水が入っていたため保存状態が極めて悪く、骨格も残っていなかった

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/54/Tokugawa_ietsugu.jpg/271px-Tokugawa_ietsugu.jpg
徳川家継(長谷寺蔵)

3歳で征夷大将軍になり、6歳で病没。肖像画からもあどけなさが伝わってきます。

第9代家重-歯ぎしり・言語障害・美男子

  • 歯は、前後方向に対して60度の角度で左右交互にすり減ったあとが見られる
    • なので、日常的に歯ぎしりをしていたと思われる
  • 一方、頭骨から復元される容貌からは歴代将軍中最も美男子だったと思われる

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8d/Tokugawa_Ieshige.jpg/498px-Tokugawa_Ieshige.jpg
徳川家重(徳川記念財団蔵)

美男子?肖像画を見る限りでは、ひょっとこのような表情に見えるけど・・・これには理由があります。

家重は、言語不明瞭だったと言われています。歯に残っている強烈な歯ぎしりの跡は、この言語不明瞭の原因なのかもしれません。

言語障害と歯ぎしりを主因とする脳の病気はないこと、また、51歳まで生きたので脳出血や脳腫瘍ではないと考えられることから、何らかの精神障害または軽度の脳性小児麻痺があったのではないか。本書ではそう推測しています。肖像画で眉をしかめているのはその影響かもしれません。

大奥にこもりがちで、整髪・ひげ剃りを嫌ったという話も伝わっているのですが、それも障害が関係していたのかもしれません。

一方、「徳川実紀」(19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式記録)には「ご威儀は厳格」「すぐれてけだかく見え」とあります。頭骨からも美男子が推測されているくらいなので、遠くから拝謁するだけの大名にとっては気高く見えたのかもしれません。

政治面では、現在の会計検査院に近い制度を確立するなどの実績もありますが、能・酒・女に溺れることが多く、父・吉宗を心配させたと言われています。

第12代家慶-頭が大きく受け口

  • 身長154.4cm
    • 増上寺に埋葬された全将軍・準将軍の中でもっとも低い
    • 当時の庶民平均(157.1cm)より低い
  • しかし頭は大きく、かろうじて6頭身に達したかどうか
  • 受け口かつあごがかなり前方にしゃくれている
  • 歯槽(歯のはまっている穴)が特殊にくびれていて、あごの骨体の萎縮または発育不全があったとみなされる
  • やはり歯はほとんどすり減っていない

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/eb/Tokugawa_Ieyoshi.JPG/453px-Tokugawa_Ieyoshi.JPG
徳川家慶(徳川記念財団蔵)

肖像画は、「頭が大きい」「受け口」という特徴をよく捉えていますね。

将軍になった後も、父であり前将軍でもある徳川家斉の影響下にあったためしばらくは自分の政治ができす、父の死後水野忠邦を重用するも彼の主導した天保の改革も失敗に終わるなど、あまり実績を残せなかった(あるいは、実力を発揮できなかった)将軍です。享年61。

第14代家茂-大の甘党だったことが寿命を縮めた?

  • ごく軽度なものも入れると歯の97%が虫歯
  • 家慶同様、あごの骨体の退化が見られる
  • 鼻が非常に高い
  • 髪は漆黒でふさふさとした太い直毛

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Toku14-2.jpg/480px-Toku14-2.jpg
徳川家茂(徳川記念財団蔵)

肖像画からも鼻が高かったことがわかりますね。

そして、このものすごい虫歯(本書には歯の写真もありますがすさまじいです)は、家重が大の甘党だったからです。さらに、エナメル質が普通の人より薄く、体質的に虫歯になりやすかったとのこと。

この虫歯が家茂の体力を奪い、若くして病(脚気衝心)に倒れるきっかけになったのではないかと本書は推測しています。そういえば1970年代にも、ジャンクフードばかり食べていた人たちがビタミン欠乏により脚気になるケースが話題になったことがありました。

しかし彼は甘い物にただ溺れていたわけではありません。もともと小動物をかわいがるのが好きな性格でしたが、13歳で将軍になってからはそれをやめ文武に務めるなど責任感のある人物でした。

しかし第二次長州征伐の最中、21歳で死去。髪が黒くふさふさしていたのはその若さのためですね。

副葬品にはBENSON LONDON Old Bond Streetと刻まれた懐中時計も含まれていました。幕末を感じさせます。

ところで、正室の和宮(孝明天皇の妹)の遺骨も調査されていますが、以下の特徴があったそうです。

和宮(第14代家茂の正室)-最上流階級の女性の暮らし

  • 筋肉がかなり少なかった
    • 重いものを持つ機会が少なかったのだろう
  • 大腿骨の内側のねじれがかなり強い
    • 江戸時代の庶民女性平均14度、現代女性平均20.8度に対し、実に右57度左44度
    • 他の公家出身女性も同様
    • それだけ、幼い頃から内股で歩くことを教育されていたのであろう
  • 左の手首から先の骨がどうしても見つからなかった(理由は不明)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8f/%E5%92%8C%E5%AE%AE%E8%A6%AA%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B.jpg
和宮親子内親王(撮影者不明)

家重と和宮の結婚は公武合体論による政略結婚(和宮は孝明天皇の妹)ですが、二人の仲はよかったそうです。夫が20歳で亡くなり、和宮の悲しみはいかばかりだったでしょう。

その和宮も、1877年、夫と同じ脚気衝心により32歳で亡くなっています。夫と同じく甘い物好きで、それが脚気を悪化させたと言われています。

当初、政府は葬儀を神式で行う予定でした。しかし和宮自身が遺言として「家茂の側に葬って欲しい」と言い残していたため、望み通り増上寺に葬られました。皇族出身ですがお寺に墓所があるのはそのためです。これも、家茂との仲睦まじさを象徴するエピソードですね。


調査の後

これらの遺骨は、発掘調査後火葬されたので再調査することはできません。そのため、本書の記録は非常に貴重です。

なお、霊廟跡地は、現在では東京プリンスホテル、ザ・プリンスパークタワー東京となっているそうです。


徳川将軍のお母さんは全員側室

これは本書だけに書かれている内容ではなく歴史的な事実ですが・・・

徳川将軍家は、3代家光から京都の親王家や公家から正室を迎えるようになったのですが、正室の子で将軍になったものは一人もいないそうです。

将軍のお母さんは全員側室ということですね。知りませんでした。これはどうしてでしょう。本書には理由は書かれていませんが、和宮の遺骨から想像するに、親王家や公家出身ということで体力が不足していたせいでしょうか・・・

まとめ

徳川将軍の遺骨からは次のことが判明しました。

  • 共通点
    • 歯のすり減りが極端に少ない。日常的によく精選され、よく調理された柔らかいものを食べていたため。
    • 頭骨が非常に縦に長い。理由は本書に明記されていない。
  • 第2代秀忠
    • 戦乱を経験しただけあって筋肉が発達していた。
    • 毛深かった。
  • 第6代家宣
    • かなりの猫背だった。
  • 第7代家継
    • 遺体は棺内に水が入っていたため保存状態が極めて悪く、骨格も残っていなかった。
  • 第9代家重
    • 強い歯ぎしりの跡が残っていた。何らかの精神障害または軽度の脳性小児麻痺があった可能性あり。
    • 頭骨から復元される容貌からは歴代将軍中最も美男子だったと思われる。
  • 第12代家慶
    • 頭が大きく、かろうじて6頭身に達したかどうか。
    • 受け口かつあごがかなり前方にしゃくれている。
  • 第14代家重
    • ごく軽度なものも入れると歯の97%が虫歯。大の甘党だったため。
    • 鼻が非常に高い。
    • 髪は漆黒でふさふさとした太い直毛。

また、将軍以外でも次のことが判明しています。

  • 和宮(家茂の正室)
    • 筋肉がかなり少なかった。重いものを持つ機会が少なかった。
    • 大腿骨の内側のねじれがかなり強い。内股で歩くことを教育されていた。



「骨は語る」は現在入手困難ですが、21世紀に入ってから、この本の内容を引用しつつ現役医師がコメントしたこちらの本は入手が容易です。


関連メモ

同じく、できるだけ客観的に徳川時代を知りたいと思い、各将軍の在位年数をグラフにしてみました。


将軍ではなく天皇家についてですが、現在の皇室の確実な源流と言われる第26代継体天皇がなぜ天皇になれたのかについて。


逆に、聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか。


興味深かった本約350冊の要約・感想メモへのリンク集です。ジャンル毎に並んでいます。


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