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村上春樹「職業としての小説家」で言及されている小説等一覧

職業としての小説家 (Switch library)

春樹さんは私にとって、「非常におもしろく味わい深い小説を書いてくれる人」であるだけでなく、「同じようにおもしろい小説や映画を教えてくれる人」でもあります。なのでこのエッセイでも、春樹さんがどんな作品について言及しているのか、それが楽しみでした。

言及されている作品

アゴタ・クリストフ

春樹さんがデビュー作をいったん英語で書きそれを和訳したというエピソードは有名ですが、それに関連して、春樹さんは本書でハンガリーからフランスに亡命し母語ではないフランス語で小説を書いたアゴタ・クリストフについて書いています。

彼女は外国語を創作に用いることによって、彼女自身の新しい文体を生み出すことに成功しました。短い文章を組み合わせるリズムの良さ、まわりくどくない率直な言葉づかい、思い入れのない的確な描写。それでいて、何かとても大事なことが書かれることなく、あえて奥に隠されているような謎めいた雰囲気。僕はあとになって彼女の小説を初めて読んだとき、そこに何かしら懐かしいものを感じたことを、よく覚えています。もちろん作品の傾向はずいぶん違いますが。

私も20年くらい前にこの「悪童日記」のシリーズを読みました。そのときの感覚は春樹さんのコメントの通りですが、私は「生き残るためのシビアさ」「目的のためならなんでもやるような徹底したリアリズム」のような冷徹さをより感じた記憶があります。


「KAFKA/迷宮の悪夢」

フランツ・カフカが、膨大な数の抽斗のついたキャビネットが並ぶ不気味な城(もちろんあの「城」がモデルです)に潜入するシーンがありましたが、それを見て「ああ、これは僕の脳内の構造を、光景的にちょっと通じているかもな」とふと思ったことを覚えています。

「城」はパブリックドメインになったのを少しずつ読んでいますが、これがまさに悪夢のような、「何かが変で何事もうまくいかない不安と焦燥感」みたいなもののオンパレード。なので元気のあるときにだけ読んでいるのですが、映画もそのほうがよさそう・・・


ヘミングウェイ

ヘミングウェイは疑いの余地なく、二十世紀において最も大きな影響力を持った作家の一人ですが、その作品は「初期の方が良い」というのは、いちおう世間の定説になっています。僕も彼の作品の中では、最初の二冊の長編「日はまた昇る」「武器よさらば」や、ニック・アダムズの出てくる初期の短編小説なんかがいちばん好きです。そこには息をのむような素晴らしい勢いがあります。

春樹さんはご自身が訳されたフィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」のあとがきで、もっとはっきり、フィッツジェラルドの評価は現代でも高まるばかりだがヘミングウェイは逆、というようなことを書いていらしたと思います。それでも、やはりこれらの作品は読んでみたいです。


ドストエフスキー、夏目漱石

考えてみると僕の好きな小説には、興味深い脇役が数多く登場する小説が多いようです。そういう意味合いでまずぱっと頭に浮かぶのは、ドストエフスキーの「悪霊」ですね。お読みになった方はわかると思うんですが、あの本にはなにしろへんてこな脇役がいっぱいでてきます。長い小説ですが、読んでいて飽きません。

おっしゃるとおりかと思います。変な人がたくさん出てきます。

そして夏目漱石。

日本の小説でいえば、夏目漱石の小説に出てくる人々も実に多彩で、魅力的です。ほんのちょっとしか顔を出さないキャラクターでも、生き生きとして、独特の存在感があります。

そうなんですね。私が読んだ夏目漱石は次の作品くらいです。あ、中学の時に「吾輩は猫である」を読みましたが、たしかに登場人物が「実に多彩で、魅力的」ですね。

エッセイもなかなか味わい深いです。

フィッツジェラルド

フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」も一人称の小説です。小説の主人公はジェイ・ギャツビーですが、語り手ははあくまでニック・キャラウェイという青年です。私(ニック)とギャツビーの接面の微妙な、しかしドラマチックな移動を通じて、フィッツジェラルドは自己の有様を語っています。そういう視点が物語に深みを与えています。

春樹さんが常々、もっとも影響を受けた小説のひとつとして語っている作品ですね。たしかに、このニックの視点がなければこの小説は根本から成り立たないと思います。


女性作家

もちろん女性作家にも好きな人はたくさんいます。たとえば外国の作家で言うと、ジェイン・オースティンとかカーソン・マッカラーズなんて大好きですね。作品はぜんぶ読んでいます。アリス・マンローも好きだし、グレイス・ペイリーの作品は何冊か訳しています。

どれも読んでないです・・・マッカラーズはつい最近春樹さんが訳したんですね。ジェーン・オースティンは、BBCがミレニアムの時に実施した「過去1000年で最も偉大な作家」投票でシェイクスピアに次ぐ2位だったのを見て、そんなに評価されているんだとびっくりし、いつか読みたいと思った記憶があります。

参考:Who was your choice for greatest writer of the last 1000 years?


春樹作品が読まれる国の傾向

ここからは、言及作品以外に、特に印象に残った箇所の紹介です。

まずは、春樹作品が読まれ始めるとき、その国・地域はどんな状態にあるのか?です。

これはあくまで僕の個人的印象であり、確かな根拠・例証を示せと言われても困るのですが、歴史年表とつきあわせて振り返ると、その国の社会の基盤に何かしら大きな動揺(あるいは変容)があった後に、そこで僕の本が広く読まれるようになる傾向が世界的に見られたという気がします。

実際、ロシアや東欧で「急速に売れ始めた」のは共産主義体制の崩壊後、「ドイツでじわじわと読まれるようになった」ベルリンの壁崩壊後なのだそうです。

東アジア(中国、韓国、台湾)については、「東アジアの国々においては欧米に先立ち、社会的ランドスライドが人々のあいだで、既にリアルな意味を持ち始めていたのかもしれません」とのこと。

ではなぜ、社会基盤に動揺(あるいは変容)があったときに春樹作品が読まれるのでしょうか。

主観世界と客観世界を行き来させ、相互的にアジャストさせることによって、人々は不確かな現実をなんとか受容し、正気を保っていくことができるのです。僕の小説が提供する物語のリアリティーは、そういうアジャストメントの歯車として、たまたまグローバルにうまく機能したのではないか - そんな気がしないでもありません。

このあたりの話は、春樹さんの京大での公開インタビューで語られていた内容とつながります。

あと、歴史社会学者の小熊英二さんは、少し違った推測をしています。ご参考までにご紹介します。


オリジナリティー

春樹さんは、オリジナリティーという言葉を口にするとき、頭に浮かぶのは十代の時に聴いたビーチボーイズの「サーフィンUSA」とビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」なのだそうです。

どういうことか。春樹さんはニューヨークタイムズ2014年2月2日号に記載された、ビートルズについての記述を引用します。

They produced a sound that was fresh, energetic and unmistakably their own.(彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなく彼ら自身のものだった。)

本当にそのとおりだと思います。


関連メモ