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自殺率の低い町では赤い羽根募金が集まりにくい?-岡檀「生き心地の良い町」

徳島県海部町(現在は海陽町の一部)は、自殺率が極めて低い町として知られています。実に全国平均の3分の1程度。しかし、隣接する町2つはそうでもなく全国平均程度。つまり「その地域」ではなく「その町」だけの特徴なのです※。

なぜなのか?著者の岡檀さんが実際に海部町に長期滞在し、アンケートや統計分析などではアカデミックなセオリーを守りながら、気持ちはいい意味で「一般人」のまま調査していった結果が本書です。

※ 1973年から2002年までの人口10万人対自殺率:海部町8.7、隣接する2町は26.2と29.7、全国平均25.2。ちなみに海部町は全国の自治体の中で8番目に自殺率が低かったのですが、上位7自治体はすべて島なので、島以外の自治体では海部町が全国一自殺率の低い町だったということになります。


自殺率が低い町の特徴

海部町の人たちと他の町の人たちの違いは、こんなところにあるそうです。

他人と足並みをそろえることに重きを置いていない

  • 赤い羽根募金が集まらない
    • 他の町村ではみんながほぼ同額の募金を次から次へと入れる
    • 海部町では「(募金は)何に使われとんじゃ」と担当者を問い詰める → 担当者「すでに多くの人が募金しましたよ」 → 海部町民「あん人らはあん人ら。・・・わしは嫌や」
    • しかしケチというわけではなく「だんじりの修繕には大枚はたいた」
  • 老人クラブ加入率が低い
    • 隣人と連れだって入会したりしない
    • 誰かに義理立てて入会したりという発想がない

以前この本の書評で、海部町の人は赤い羽根募金にあまり協力しないと知って、他人にあまり関心がない → だから他人に干渉しない → なので住み心地がよくて自殺率が低い、ということなのかなあと勝手に想像していたのですが、そうではないようですね。

なお、この町の人々が他人に関心がないわけではないということは後述の例でおわかりいただけるかと思います。

ルールがミニマム

海部町には、朋輩組という江戸時代発祥の若者の相互扶助組織があります。中学または高校を卒業した男子(近年は女性も)が加入し、農業や漁業にかかわる連携、地域の保安、冠婚葬祭の手伝いなどを行うそうです。この朋輩組にはこんな特徴があります。

  • 会則と呼べるものがないに等しい
  • 入退会自由(他の町村では事実上の強制加入だった)
    • 入会していなくても不利益をこうむることはない
  • 女性も入れる(他の町村では男子のみ)
  • 今も続いている(他の町村の同種の組織はなくなってしまった)

ミニマムなルールで弾力的に運営する組織が長く続く・・・いろいろと考えさせられる(そして当然とも思える)内容です。

どうせ自分なんて、と考えない

アンケート「自分のような者に政府を動かす力はないと思いますか?」結果:

  • 海部町 26.3%
  • 自殺多発地域A町 51.2%

つまり「自分にだって(多少の)力はあるんだ」と考えている人が海部町には多い、ということですね。

なお、アンケート配布においては選挙人名簿から無作為抽出しつつ年齢層と住む地域(農業地区・漁業地区・商業地区)が偏らないようにするなどの注意が払われています。こういったアカデミックなセオリー(というか、本来は調査の基本なのでしょうが)をきっちり守っていらっしゃるところも本書に信頼を感じるポイントです。

必要なときには助けを求める

「あなたは悩みやストレスを抱えたときに、誰かに相談したり助けを求めることを恥ずかしいと思いますか?」アンケート結果:

  • 海部町 62.8%
  • 自殺多発地域A町 47.3%

海部町では誰かに助けを求めることにそんなに躊躇しない人が多い、といえそうです。

これと関連している結果として、海部町ではうつ受診率が高い、というものがあります。

え?自殺率が低いのにうつ受診率が高いって変じゃないの?私も一瞬そう思いましたが、海部町の医療圏内に勤務する精神科医の「海部町の人は軽症が多い」というコメントと併せて考えると腑に落ちました。

つまり、海部町の人は、先のアンケート結果からもわかるように、軽症の段階で心療内科にかかるので重症化(最悪自殺に至る)しにくいのです。

これを知って、手前味噌ながら、以下のメモでの私の推測が当たっているような気がしてきました・・・


ゆるやかな人間関係

隣人とのつきあい方についてのアンケート結果:

項目 日常的に生活面で協力 立ち話程度のつきあい あいさつ程度の最小限のつきあい つきあいはまったくしていない
海部町 16.5 49.9 31.3 2.4
自殺多発地域A町 44.0 37.4 15.9 2.6

(単位%)

差が目立つのは「日常的に生活面で協力」と「あいさつ程度の最小限のつきあい」ですね。A町では「協力」が多く海部町では「最小限のつきあい」が多い。つきあいをまったくしていないという人の割合は同じくらい。

このことで私が思い出したのは、労働経済学者玄田有史さんが中学生向けに書いた本に書いていた「転職に成功する人のタイプ」です。同書によると、それは「ゆるやかな人間関係(ウィークタイズ)をたくさん持っている人」なのだそうです。そういう「ふだんべったりでもないけどつきあいはある」くらいの人のほうが自分でも気付かなかった資質や適性を指摘してくれたりするとのこと。

転職と毎日の生活はまた違うものとはいえ、この「ゆるやかな人間関係」というのは「強い人間関係」とは異なる力を持っているのではないか、そんなふうに感じます。

参考:


幸せとも不幸せとも感じない

海部町では、隣接している2町との比較で「幸せ」と感じている人の比率がもっとも小さいそうです。

意外ですが、もう少し詳しく知ると納得できると思います。

海部町の人々は3町の中で:

  • 「幸せ」と感じる人・・・最も少ない
  • 「幸せでも不幸せでもない」・・・最も多い
  • 「不幸せ」・・・最も少ない

著者の岡檀さんは「『幸せでも不幸せでもない』状態とは、(幸せの)判断基軸をあちこちに動かされることなく、案外のどかな気分でいられる場ともいえるかもしれない」と書いていらっしゃいます。私も同感です。またこの結果は、このメモの冒頭に挙げた赤い羽根募金へのスタンス、つまり「他人と足並みをそろえることに重きを置いていない」につながるようにも思います。


なぜ海部町は他と違うのか

ここまでの調査結果も非常に興味深かったのですが、そうするとやはり「なぜ海部町がこんなに違うのか」という疑問がわいてきます。本書が素晴らしいのは、その問いにも正面から考察を加え、興味深い仮説を引き出しているところです。

移民によって成り立った町だった

海部町は、豊臣家が滅ぼされた大坂夏の陣のあと、城や家々の復興にあてるための材木の集積地としての需要が急増し、多くの労働者が流入したのが成り立ちの始まりだそうです。他の町との違いは、山林資源だけでなく丸太運搬のための大きな河川と築港があったこと。なるほど、だから地方だけど血縁関係の薄いコミュニティが成立したのですね。

これを知って私はアメリカみたいな感じかなと思ったのですが、本書の続く部分で著者の岡さんはそれには異を唱えます。アメリカはたしかに移民の国だが、移民は出身国の文化や習慣をそのまま持ち込んだコミュニティを再び形成していることが多くモザイクのような状態。一方海部町の移民は単独あるいは家族だけを伴って入ってきたと考えられており、それが「多士済々な人々が共存共栄への道を拓く作業に一斉に着手した」ことにつながったと考えていらっしゃいます。

たしかに海部町の規模だと「リトルトーキョー」や「中華街」のような出身地コミュニティは成立しにくいのかもしれません。そしてそれこそが海部町の文化、他の町との違いのもとになっている可能性は非常に高い気がします。

地理的特性

海部町の以下の条件は自殺多発地域と逆なのだそうです。

  • 傾斜が弱く平坦
  • コミュニティが密集している
  • 積雪量が少ない

どういうことなのか。著者が全国3318市区町村の自殺統計と地理的特性データを解析した結果、自殺率にもっとも影響が高いのが「傾斜の高さ(高いと自殺率が上がる)」、次が「コミュニティの密集度(高いと自殺率が下がる)」「積雪量(多いと自殺率が上がる」なのだそうです。

どうしてそうなるの?

海部町の特徴に「必要なときには助けを求める」というものがありました。このことと前述の特性は、実は以下のような関連があるのです。

前述の自殺多発地域A町はまさに険しい山間部で積雪地帯。現在ではドクターヘリがありますが、以前は救急車がダイレクトに病院まで行けない(町の代行救急車がいったん山を下り、それから病院の救急車に連係)ような場所とのこと。このような場所では、助けを呼ぶにも、助ける人に大きな負担がかかります。となると、軽々しく「助けて」と言わない克己心が養われてしまうのは無理もありません。社会学者の田村健二さんも、自殺多発地域で行った調査結果から同様の影響を指摘しているそうです。

また、実際に著者がその町の老人にインタビューしたところ「わしらが子どもの頃には、(急病人を)病院に運ばんならんとなった時点で、もうあかんのやと覚悟を決めたもんや」と語っています。

サロンのような場

上記の地理的特性と町の成り立ちのせいか、海部町にはサロンのような社交場所が多くあります。

そのひとつが、超過密居住区の住民が便宜上近所の空き地に設けた「共同洗濯もの干し場」です。同じ時間帯に人が集まることから「格好の情報ハブ(集積地)」になっているとのこと。

また、寺や神社が多いのです。面積あたり件数は海部郡(合併前は海部町の他に5つの自治体がありました)の全体平均の実に3倍だそうです。

このような場は、前述の海部町の特徴である「必要なときには助けを求める」「ゆるやかな人間関係」を支えているように思います。

その他の地理的特性

前述の地理的特性と自殺率の相関調査で、他に相関が高かったものは以下の二つだそうです。

  • 日照時間の長さ(長い方が自殺率が低い)
  • 海に面しているか(海に面している方が自殺率が低い)

日照時間との関連はなんとなくわかりますが、「海に面しているか」はどうして自殺率と関連しているんだろう?このことについての考察は本書にはありませんでしたが少し気になります。


関連図書

岡檀さんの以上の(といっても本書の一部分ですが)調査・分析には感銘を受けました。他にも多くの方がそう感じておられるようで、精神科医の森川すいめいさんはご自身でも同様のテーマで本を書かれるようになりました。

森川すいめい「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」

この本では、森川さんは海部町だけでなくその他の自殺希少地域を訪ね歩いていらっしゃいます。こちらもいい意味で「一般人」の視線を保っている旅行記のような側面と、精神科医の経験を交えた考察(ただし、岡さんの本ほどアカデミックなアプローチではありません)が両立しています。

森川さんの本から導き出される「自殺希少地域の特徴」の主なところは次の通りです。

  • 自分がどうしたいかで物事を選択する
  • 長いものに巻かれることはない
  • 納得いかないことにはNOと言う

これはまさに、このメモの冒頭でご紹介した「赤い羽根募金が集まりにくい」ことの根底にある気質ではないでしょうか。



本書からは、「生きやすい/生きにくい社会」についてこれまで個人的になんとなく感じていたことをデータで明確にし、かつ今まで自分が気づいていなかったことを示唆してくれるという大きな学びがありました。岡さんによる膨大な労力を経た調査に心から感謝します。


関連メモ


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