庭を歩いてメモをとる

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改めてコーネリアス-映像音響シンクロショウ、チェッカーズカットの小山田さん、そして混乱

Cornelius Mellow Waves Tour 2017 @なんばHatch

はじめてコーネリアスのライブに行きました。


CORNELIUS - FIT SONG (ULTIMATE SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW)(公式)

全編こんな感じで、MV映像が流れる中、生演奏。で、映像と演奏がばっちりシンクロしているのです。音楽だけでも、映像だけでも実にユニークなのに、その両方がシンクロ。実にかっこよく気持ちいい。噂には聞いていたけど、生は最高でした。

これどうやって実現してるの?と思って調べると、以下のリンク先で前回ツアーのインタビュー仕組みが語られてました。要はクリックと普通の倍以上のリハーサル。まさに職人芸ですね。
CORNELIUS インタビュー/@ぴあ

そのシンクロの核となるあらきゆうこさんのドラミングがとにかくかっこよかった。早打ちとかではなく、バスドラ一発・スネア一発で心をわしづかみにされるプレイです。

第一部は最後の「どうもありがとう」までMCなし。この完全同期は曲間時間もコントロールして実現しているそうなので当然そうなるのですが、演出上もクールこの上ない。

で、第二部。アンプが壊れるというアクシデントが。「アンプがこわれたよ」ここで一気になごみモード。小山田さんとあらきさんの「もう20年一緒にやってるね」「やばいよね」なんてのんびりした会話で場をつなぐのですが、これがまたいい感じ。


最新アルバムの中の「あなたがいるなら」公式動画もリンクしておきます。この曲もこの映像とのシンクロ生演奏だったのですが、この曲をご存じない方も、こういう映像・音楽でそれをやり抜くことのすごさはご理解いただけるのではないかと思います。

セットリスト:コーネリアス @ なんばHatch (大阪府) (2017.10.21) | ライブ・セットリスト情報サービス【 LiveFans (ライブファンズ) 】


「コーネリアスのすべて」

以前からコーネリアスはわりと熱心に聴いていたのですが、このライブで完全に打ちのめされた翌日、私はカフカの小説の主人公のように「昨日のライブの夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹のファンに変ってしまっているのに気づいた。」で、本やDVDなどをさくっと注文しました。本は「別冊ele-king コーネリアスのすべて」。

まず小山田さんへのインタビューが圧巻。52ページという分量もさることながら、小山田さんの幼少期から現在までを網羅しさらに小山田さんがそれに丁寧に応えている内容が実に興味深かった。フリッパーズ・ギターファンとしてはどうしても気になる小沢健二さんについてもこんな感じで。

-小山田くんは小沢くんの19年ぶりのシングル聴いた?
小山田:聴いたよ。ずっと聴いてはいるんだよね。
北沢(夏音):感想としては?
小山田:うーん、元気そうで何より(笑)。まあそれだね。たぶん目指しているところがちがう気がする。
北沢:じゃあ、あんまり接点は感じられない?
小山田:音楽的な接点は感じられなかったけど、元をただせばそうなのかなって気もした。スミスで出会う前の小沢の感じがする。
-もともとちがう要素もあったってことですかね。
小山田:そうそう、それがシンクロしたときにおもしろいことができたってこともわかる。
-化学反応ってそういうことですよね。
小山田:同じ人がふたりではおもしろくないし。

貴重写真も満載。「チェッカーズのコピーバンドでチェッカーズカットをキメて武内亨役をしている小山田圭吾」の写真も。ビジュアルに興味がそれほどあるわけではないのですがそれでもおもしろい。

辻川幸一郎さん("Fit Song"や「あなたがいるなら」のMV制作者)、坂本慎太郎さんや高橋幸宏さんなどの関連人物へのインタビューやディスコグラフィも、私のようなファンになったばっかりの人間には勉強になりました。


映像

DVDはまずこれを観ました。前アルバム"Sensuous"ツアーのドキュメンタリーです。ライブの舞台裏や海外での反応などを収録。やっぱり音と映像のシンクロには言葉はいらなくて、どこの国の人々にとってもAmazingなんだなあという当たり前のことが実感できます。パフォーマー選びが厳しいディズニーホールのマネージャーが、アメリカ国外でコーネリアスのライブを観たところライブが終わらないうちにホールにコーネリアスのブッキングを指示するエピソードとか、ああそのお気持ちわかりますって感じ。


アルバム"Sensuous"の映像集。YouTubeの公式でもけっこう観られますが、CMなしでちゃんと観たいので。



混乱していること

それにしても、こんな素晴らしいものを創り出す人がかつて学校で知的障害者の方などをいじめていただけでなく大人になってからもそれを楽しそうに話していた(しかもそれが90年代、商業誌に掲載され流通していた!)という事実は、いつも私の頭を混乱させます。小山田さんがかつて語った内容を容認する気はまったくないですが、かといって小山田さんの芸術を否定することも私にはできない。

フリッパーズ・ギター時代と90年代、あんなにも饒舌で生意気だった小山田さんの語りがその後ひと言ひと言をつぶやくような抑制のきいたものに変わった(ライブでもDVDでもそれは確認できました)のは、この過去の行為に向き合った結果なのかな、なんて考えることもありますが、もちろん真相は不明です。

時々思うのは、偉大な芸術家達からひどい傷を負った人たちは古今東西存在すると思うのですが、その人たちの気持ちはいかほどだったか、ということです。カラヴァッジオに殺された人の遺族は彼の絵画をどう観るのか?小山田さんに傷を負わされた人の子どもが「デザインあ」の音楽に夢中になったときのその人の気持ちは?

ときどきそんな答えのない問いを考え、ときどきその考えをしまってコーネリアスの音楽と映像を味わい、また問いを考える。そんな過去のこと今さら気にしてもしょうがないじゃんと言われても気になるし、よくそんな人間の音楽なんか聴けるなと言われても聴きたくなる。コーネリアスの映像と音楽はすっぱり同期されていますが、小山田圭吾の過去の行為とこれまでの作品はすんなりとは同期できません。私にとってコーネリアスはそういう存在なのです。


関連メモ


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