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「かつての龍さん」とサブキャラの言葉 - 村上龍「オールド・テロリスト」

物語(前半のみの概要紹介)

2018年。妻と子どもに去られた50代のジャーナリスト・セキグチは、何者かからの連絡を受け、NHK西口玄関で若者が可燃物をまき多数の死傷者が出たテロ現場に遭遇する。同様のテロが相次ぐ中、彼は老人たちがテロで世直しをしようとしている手がかりをつかんでいき、美しく精神が不安定で、「満州国の亡霊であり半分死んでいるような状態でありながら絶大なパワーを持つ人物に可愛がられ、カラオケで歌われる演歌に合わせ老人が日本刀で人形を叩ききっているような場所で習字をするような」女・カツラギに出会い・・・


感想

出だしはさすが。引き込まれました。そこも含め「かつての村上龍」が戻ってきた感触がありました。「かつての村上龍」とは?生命力、破壊衝動、不謹慎な表現(本作では、テロの実行犯にされる若者が731部隊で人体実験台にされた人間と同じ「丸太」と言われていました)など、そういう持ち味です。

「最近の村上龍」がつまらないというわけではありません。「心はあなたのもとに」や「55歳からのハローライフ」も心の奥にまで降りていける佳作です。ただ、「かつての村上龍」は龍さんにしか出せない味なので、それが復活したのはやはりうれしい。ただ、エッジがかつてほど研ぎ澄まされてなくて丸くなった感は否めませんでした。


ストーリーについては、元気な老人がテロで世直しをする話かと思ったら、読み進めていくと、思ったほどストレートな話ではないということがわかってきます。ここは少し肩すかしをくらった感覚ですが、それでもページを繰る手は止まりません。その大きな理由は、最初精神が不安定で何を考えているかわからない女だったカツラギがいつの間にかセキグチの伴走者かつシェイクスピアの道化のような真理を語る存在になっていったからです。彼女のことばのいくつかを引用します。

絶望して、サバイバルする意思のかけらもなく、どん底から抜け出そうとする力が一滴も残っていないとき、人はどうやって丸太になることを拒めばいいのだろうか。
「わからないけど、わたしは、思い出だと思う」・・・「だから、楽しいこととか、うれしいことが過去にあったら、それをもう一度味わいたいとどこかで思うから、誰かの犠牲になって死んでもいいなんて、わたしだったら、思わないなと思って」

「愛情というのは、具体的にどういうものか、わたしはあまり知らない。でも、愛情がない人が、何をするかはだいたいわかる。いなくなるから。たぶん愛情というのは、量で計れるもので、ゼロかマイナスになると、たいてい、その人は、いなくなる・・・信頼は量では計れなくて、ラインというか、糸とか、線とか、ケーブルというか、そんな感じでしょう。愛情の量がゼロになっても、信頼という、お互いをつなぐ、ラインとかケーブルが一本でも残っていれば、コミュニケーションの可能性があるってことじゃないのかなあ」



かつての龍さんの持ち味復活に悦び物語に没入し、カツラギをはじめとしたサブキャラの言葉に考えさせられていたらいつのまにか500ページ強を読み切った感じです。しかし、龍さんが昔のまま戻ってきたわけではないことを実感した一冊でもありました。
 


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