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尖閣、北方領土、竹島。領土問題の経緯を整理してみた - 白井聡「永続敗戦論」

この本のメインテーマは書名にもなっている「永続敗戦論」という考え方で、これ自体も興味深かったのですが、よしてるにはそれよりも現在の日本の領土問題の背景がわかりやすく整理されていた点を興味深く感じました。


サンフランシスコ講和条約

戦後日本のあり方を決めたサンフランシスコ講和条約。

中国、ソ連、韓国はこの講和条約に参加していなかったのですね。

まず韓国は、戦争中、日本の一部であり日本と戦争はできなかったので講和条約に参加する資格はなしとされました。そして中国(中華人民共和国・中華民国ともに)はそもそも会議に呼ばれていません。ソ連は、中国が呼ばれなかったことを不服とし講和条約にサインしませんでした。

以降の、各領土問題に関するメモは、このことを前提にお読みいただければと思います。


尖閣諸島

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/images/top/img02.gif外務省サイトから引用)

日中のかつての合意内容

1972年、田中角栄首相が「尖閣諸島についてどう思うか?」と訊いたところ、周恩来首相は「この問題を議論しだしたら、何日かかるかわかりませんよ」と棚上げを提案しました。1978年、鄧小平副首相も「こういう問題は一時棚上げしてもよい」と語っています。

日本もこれを受け入れています。1997年、「漁業に関する日本国と中華人民共和国との間の協定第六条(b)の水域に関する書簡」(小渕外務大臣名)で、尖閣諸島を含む水域について「中国国民に対して、当該水域において、漁業に関する自国の関係法令を適用しない」旨記載しているのです。

ところが、2010年の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で船長が逮捕された後、日本政府(当時の首相は菅直人)が日本の司法プロセスに基づき処分すると表明しました。これは、棚上げを撤回するような対応です。これに中国が猛反発し、日本もそれに呼応し、今に到るまでの両国の火種のひとつになったというわけです。

なぜ棚上げになっていたのか

そもそも、尖閣諸島問題はなぜ棚上げになっていたのでしょうか。

中国はサンフランシスコ講和会議に呼ばれていないので、日本との戦後の取り決めはポツダム宣言が根拠となります。

そのポツダム宣言第8条には、日本国の主権は、主要四島以外は「吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」と書かれています。

「吾等」とは、アメリカ、イギリス、中華民国、ソ連。中華人民共和国でないところが微妙ですが(ポツダム宣言当時まだ存在していなかった)、要は日本の主要四島以外の「小島」の領土範囲は戦勝国が決める、という内容です。

では、この「小島」に尖閣諸島は含まれるのでしょうか。サンフランシスコ講和条約ではどうなっているのでしょう。

実は、千島列島を除けば(後述)、領土問題に関するポツダム宣言もサンフランシスコ講和条約も考え方は一貫していて、「戦後日本の領土は、日清戦争以降に武力により獲得した領土を差し引いたものにする」という内容なのだそうです。

では尖閣諸島は?1895年1月14日に日本の領土に組み入れられています。

これが非常に微妙な時期。日清戦争の最中のことなのです。戦争は終わっていないとはいえ「日清戦争以降に武力により獲得した領土ではない」と言い切れるかどうなのか。周恩来が「この問題を議論しだしたら、何日かかるかわかりませんよ」と語ったのもわかるような気がします。

個人的な考え

以上のように、尖閣諸島に関しては、中国と「ややこしいから棚上げにしておきましょう」と合意ができていたのが、2010年に日本がこの合意から逸脱してしまったというのが著者・白井さんの考えです。

よしてるとしては、たしかに日本側の対応は中国から見て「突然の方針」だったのかもしれないけれど、漁船衝突事件の前に、中国の尖閣諸島での動きが過去に比べて頻度が増しているなど、挑発的な行為が激しくなっていたという背景はないのか(仮に中国政府にそのつもりはなくても、民間レベルでそれが高まっていているということはないのか)、そのあたりも気になってきました。結局それに乗ってしまった日本の判断力の問題、ということなのかもしれませんが、今後調べていければと思います。


北方領土

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/images/gaiyou/hoppo.gif外務省サイトから引用)

日本による千島列島放棄

ソ連はポツダム宣言受諾(8月14日)どころか降伏文書調印(9月2日)の後(9月5日)まで日本領への侵攻を続けました。著者の白井さんもこれを「到底正当化され得ない侵略行為」と書いています。よしてるもそう考えます。

さて、サンフランシスコ講和条約の第2章第2項(C)には「樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とあります。千島列島は1875年締結の樺太・千島交換条約により平和裏に日本領土へ編入されているものなので、ポツダム宣言並びにサンフランシスコ講和条約の基本原則「日清戦争以降の領土を差し引く」にはあてはまりません。ところが日本(吉田茂外務大臣)はこの千島列島放棄に同意してしまいます。

日ソ共同宣言と「ダレスの恫喝」

一方で、前述の通り、ソ連は講和条約に参加していません。そのため、日本とは個別に1956年に日ソ共同宣言を発表します。これには「戦争の結果できあがった状態に対してお互いとやかく言わない」「歯舞諸島と色丹島は日本に引き渡す」という内容が書かれてありました。

これを知ったアメリカ国務長官ダレスは次のような行為に出ます。重光外務大臣に「このソ連の条件を受け入れるなら、アメリカは沖縄を永久に返さない」というようなことを伝えたのです。「ダレスの恫喝」と言われています。

要は「アメリカをとるかソ連をとるか」を問うたわけです。冷戦が激化し始めた時期ですから、このような「恫喝」もアメリカにとっては自国の国益のためには当然の流れだったのかもしれません(だからといって、日本はそれを全面的に受け入れるべき、とまでは考えませんが)。

日本はもちろんアメリカをとり、「四島返還」(歯舞諸島・色丹島に択捉島・国後島を加えた)という、日ソ共同宣言に反する要求を出しました。これによってソ連との友好関係が樹立できないようにしたわけです。具体的には、択捉島・国後島は千島列島に属さない、という解釈をもってです。ソ連の提案した内容に「それは受け入れられない」というメッセージで返したということになります。

よしてるとしては、たしかにこれは著者が書いているように「無理筋」と言われてもしょうがない解釈だと思いますが、「アメリカにつく」ためにはそもそもソ連に納得されないような内容である必要があるので、これも当然の流れなのかもしれません。

大きな問題は、冷戦が終わった後も同じ主張を続けてしまっていることです。

経緯を知って、尖閣・竹島・北方領土の中でも北方領土だけは私が子どもの頃(70~80年代)突出してよく耳にした理由もよくわかりました。その頃の中国・韓国の国力が今より弱かったこともあるのでしょうが、なんといっても冷戦がまだ続いていたというのが大きかったのですね。そして北方領土問題は、日本からソ連への反発というよりアメリカが日本にそうさせていたと。


竹島

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/images/top/img02.gif外務省サイトから引用)

サンフランシスコ講和条約と韓国の李承晩ライン

サンフランシスコ講和条約の第2章第2条(a)には「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とあります。竹島が朝鮮領、とは書かれていません。

この講話条約の草案内容を知った韓国はアメリカ国務長官アチソンに書簡を提出しています。「独島(竹島)・バラン島」を加えて欲しいと。それに対し、ラスク極東担当国務次官補は「ドク島または竹島・・・(は)朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく」と返信、上記の内容で講和条約が締結されます。ただし上述のように韓国は講和会議に呼ばれていません。

韓国はどう出たか。1952年、「李承晩ライン」(軍事境界線)を宣言し竹島をその中に入れ、1954年駐留部隊を派遣するようになります。それが現在の韓国による竹島の「実効支配」につながっています。

日本領化の経緯

さて、そもそも竹島はどのような経緯で日本領になったのでしょうか。

1904年8月22日、日露戦争のさなか、第一次日韓協約が締結されます。これは韓国保護国化の第一歩と言われています。そして1905年1月の閣議決定で公式に竹島を日本領化。同年11月17日に日本は韓国の外交権を剥奪します。

以上のように、日本が竹島を武力で奪い取ったかどうかは、尖閣諸島同様、かなり微妙だと感じます。逆にいうと、だからこそ両国間で問題になっているということなのでしょう。

そんな経緯があるので、両国政府は歴史書等の記述を援用するなどしてそれぞれの正当性を主張しているのが現状です。

参考:竹島の認知|外務省

韓国の方とのやりとり

本書の著者・白井さんは、以前の国境線は今よりもはるかに曖昧であるから、そんな時期の歴史書に根拠を求めようとするのは「滑稽な事態」だと書いています。よしてるは、「滑稽」とまでは思わないものの、両国・両国民のエネルギーをもったいない方向に使っているなあ、という気はします。同じことを、韓国の方に伝えたこともあります。

4年ほど前に、自分や周囲の人が持っていると感じた「日本人の韓国観・中国観と、自分自身の考え」について英文ブログに書いてみました。↓
Walking in The Pleasure Garden: What do Japanese people think of Korea and China? And unlike Korean and Chinese people, Taiwanese people tend to be fond of Japan,Why?

すると、韓国・中国(系)と思われる複数の方から30以上のコメントをいただきました。そのほとんどが、当該エントリに賛同してくださる内容となっています。

一方、ある韓国の方からは、独島(竹島)についての記述には賛同できない、独島が韓国の領土であるという根拠は9つあるとのコメントをいただきました。よしてるは、竹島については英文ブログに「日本人は日本の領土と考え、韓国人は韓国の領土と考えている」とだけ書いていたのですが、容認できないということでしたので、記載を「両国で論争となっている島」と改めた上で、ご提示いただいた9つの根拠のうち2点は受け入れるがその他は受け入れられない旨と、その理由を返信しました。また、前述の内容と同じく、「両国民のエネルギーをこんな小さな島の論争に消耗するのではなく協調の方向に使うようになることを願います」とも書きました。その後のその韓国の方からの返信はありませんが、おかげで領土問題について考えるよい機会をいただいたと感じています。


領土問題に対する日本のスタンスの整理

白井さんによると、以上の領土問題に対する日本政府の現在のスタンスは以下の通りだそうです。

  • 尖閣:日本が実効支配しているので「領土問題は存在しない」。だから国際司法裁判所(ICJ)に付託する理由はない。
  • 北方領土:そもそも、現在の主張している「四島返還」は冷戦期にアメリカの圧力で「わざとソ連に受け入れられない」ような内容で無理筋なので、ICJには付託しない。
  • 竹島:李承晩ラインが韓国に一方的に宣言されたという点で日本に有利かもしれないので、ICJへの付託を打ち出している。参考:国際司法裁判所への提訴の提案|外務省

白井さんは、以上のスタンスを「ダブルスタンダード」とし「広範な国際的理解を得られるはずがない」としています。たしかにおっしゃるとおりなのかもしれませんが、相手や状況に応じてスタンダードを変えるのは大抵の国でやっていることで、要はそれと国際的理解の間のバランスが肝要という気もします。


永続敗戦論

ちなみに、白井さんのこの本のテーマ「永続敗戦論」とは以下のような論です。

  • 日本は「敗戦」を「終戦」と呼び換えている
  • しかし、サンフランシスコ講和条約を否定することはできないので、日本は国内及びアジアに対しては敗戦を否認し、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国には臣従を続けるという「信念」を持つに到った
  • 現在、日本のこの「信念」は、それを許容しない中国の国力が増強したことと、米国が冷戦崩壊以後日本を無条件的同盟者とみなす理由を持たなくなり、維持不可能になった。このことが、日本の様々な問題の根底にある

とても興味深いと感じました。そして、上記の日本の領土問題のスタンスもこの「永続敗戦論」をもって説明すると理解しやすくなる気がします。

白井さんの記述に賛成一辺倒ではないコメントをいくつか書きましたが、私にとっては特に領土問題の経緯について整理が図ることができた、わかりやすい(難しい言葉がときどき、厳しい言葉がわりと頻繁に出てきますが)本でした。


関連メモ


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