庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

ビリー・ジョエル「ハートにファイア」の歌詞の意味 その3

1957年

"Little Rock"

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「黒人学生排斥運動」

アーカンソー州の州都リトルロックのセントラル高校の生徒は全員白人でした。そこに9人の黒人学生"Little Rock Nine"が入学しようとしたところ、なんと州知事が入学を阻止する事件に発展。結局連邦政府が介入し、入学は果たされたのですが、たった半世紀前にこんな事件があったとは驚きです。そういえばこの事件、映画「フォレスト・ガンプ」にも出てきますね(この曲と重なるシーンの多い映画です。同じアメリカ人の視点ですし)。

"Pasternak"

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「『ドクトル・ジバゴ』上梓される」

ロシアの作家パステルナークのこの作品は、イタリアで発表後すぐさま18カ国語に翻訳されるなど大反響を呼び、58年、ノーベル賞が贈られることになりました。しかしこの作品の反共産的雰囲気を嫌悪していたソ連からはパステルナークへの非難がまき起こり、結局彼は受賞辞退を余儀なくされました。

"Mickey Mantle"

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「ミッキー・マントル,MVPに」

大リーグ史上最高のスイッチヒッターといわれるニューヨークヤンキースの大打者。この年は2年連続のMVP(最優秀選手)に選ばれています。

"Kerouac"

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「ケルアック、『路上』を発表」

「ビート・ジェネレーション」の命名者で代表者の彼の代表作が発表されます。筋らしい筋のない、麻薬や音楽におぼれながらアメリカ大陸をヒッチハイクする様が描かれた小説だそうです。日本の雑誌の名前にもなったこともありますね。

"Sputnik"

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「スプートニク1号、打ち上げ成功」

10月4日、世界初の人工衛星がソ連で打ち上げに成功。米ソ宇宙開発競争の始まりです。

"Chou En-Lai"

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「周恩来、強硬路線に転じる」

周恩来は、1949年の中華人民共和国の成立以来、国務院総理として君臨し、文化大革命でも失脚しなかった大政治家。この年強硬路線に転じた件については、K.Tさんから情報をいただきました。ありがとうございました。(2004.4.15)

"Bridge on the River Kwai"

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「『戦場に架ける橋』公開」

デビッド・リーン監督の名作が公開されます。アカデミー賞7部門を受賞。このころの西洋の映画にしては、日本人の描き方がきわものっぽくなく、まだ素直なところがいいですね。イギリス軍が口笛で吹く「クワイ河のマーチ」も超有名です。


1958年

"Lebanon"

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「レバノン内戦」

レバノンは、アラブ諸国の中では比較的キリスト教徒が多い(国民の約4分の1)国です。それだけに異なる宗教間の争いが絶えない国でもあります。第2次世界大戦後は、親西欧路線のキリスト教マロン派と、アラブ統合を目指すイスラム教シーア派が対立していました。この年、エジプトのナセル大統領を支持するイスラム教徒の一派が暴動を起こしました。これに対し、アメリカの介入とシャムウーン大統領の反アラブ政策の撤回がなされたので、なんとかその場は収まりました。そしてそれ以降の政府は、表向きはアラブ統合を支持するようになりましたが、結局、75年に両者は衝突、PLOやイスラエルも巻き込んで内戦は激化、レバノンは無政府状態になり、現在も混迷が続いています。

"Charles de Gaulle"

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「シャルル・ド・ゴール、第5共和制の初代大統領に就任」

ド・ゴールは、第2次世界大戦期の英雄であり、フランス大統領(在任1959~69年)であり首相(在任1944~46,58年)でもある20世紀フランスに大きな役割を果たした人物です。

この年は、フランス領アルジェリアの独立を巡って、独立を承認したい本国と植民地として存続させたい現地軍が衝突していた時期。ここで政界を引退していたド・ゴールが現地軍及び右翼に請われて復帰、国民投票でも圧倒的支持を得て新憲法を制定、第5共和国の初代大統領となります。

その後結局、ド・ゴールはアルジェリア及びその他の植民地を独立させます。しかしこれは植民地にかかる費用の削減と、「第三世界の友人」という評価によるフランスの国際的発言権の強化につながり、さらにド・ゴールの名声を高める結果となります。1970年死去。

"California Baseball"

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「ドジャース、ジャイアンツがカリフォルニアへ本拠地を移転」

ブルックリン・ドジャースがロサンゼルスに、ジャイアンツ(ニューヨーク)がサンフランシスコに本拠地を移転するなど、この年に球団の西部への移転が相次ぎました。

"Starkweather Homicide"

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「スタークウェザー殺人事件発生」

当時19歳のチャールズ・スタークウェザーと13歳のキャリル・フューゲイトが引き起こしたすさまじい殺人事件。ガソリンスタンドで最初の殺人を犯してからは、キャリルの両親と幼い妹、友人一人、ヒッチハイク先で2人、鉄鋼実業家の家で3人と、いきずりで多くの人々の命を奪っています。チャールズは翌年、死刑を執行されます。キャリルは年齢が若すぎることもあり懲役刑となり、1976年に出所しています。

これは、"We Didn't Start The Fire"CDシングルについている歌詞解説にも全くコメントされていない謎の事件(※このメモを書いた当時、Wikipediaはありませんでした)だったのですが、みんさんから教えていただいたサイト"The Crime Library"に詳しいです。ありがとうございました。

ちなみに、ブルース・スプリングスティーン/ネブラスカと、テレンス・マリック監督「地獄の逃避行」は、この事件をモデルにしています。

"Children of Thalidomide"

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「サリドマイド児」

ドイツ製の睡眠薬サリドマイドを服用した妊婦から生まれた子供に、手が短くなるという障害が起こることが判明、大きな社会問題となりました。訴訟も長引きましたね(この20年後、私が小学生の時も、テレビでよくサリドマイドという言葉を聞きましたし、このサリドマイドによる障害を持った人の映画「典子は今」を観たことを思い出します。


1959年

"Buddy Holly"

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「バディ・ホリー、飛行機事故で死去」

"Peggy Sue"や"Wishing"をはじめとした名曲を短期間の間に産み出し、ビートルズやローリング・ストーンズにも影響を与えたロックミュージシャン、バディ・ホリーが、リッチー・ヴァレンス(「ラ・バンバ」で有名)らとともに飛行機事故で亡くなりました。享年22歳。

ちなみに、ビリーの曲ではこの"Buddy Holly"の歌詞の直前にバディ独特の「しゃっくり唱法」、そして"Buddy Holly"の歌詞にはバディの曲に多いコーラスがかかります。ビリーは、歌詞だけでなく音楽面でもきっちりバディを意識してアレンジしたのでしょうね。

"Ben Hur"

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「『ベン・ハー』アカデミー賞最多11部門獲得」

キリストが生きた時代に波瀾万丈の人生を送った男、ベン・ハーの生涯を描いたベストセラーを映画化したこの作品。大ヒットしただけでなく、アカデミー賞で史上最多の11部門で賞に輝くという栄誉を得ました。この記録は、その後「タイタニック」がタイ記録を達成するまで、並ぶもののない大記録として君臨していました。

"Space Monkey"

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「宇宙へ飛んだサル、無事帰還」

ソ連が最初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功してから、米ソの宇宙開発競争は激化します。そんな中、アメリカは実験のためにサルを宇宙船に乗せ、地球に帰還させるという方法をとりました。

なお、このサル「ハム」の実験は成功しましたが、それ以前、史上2番目のソ連の衛星「スプートニク2号」に載せられたライカ犬は帰還できませんでした。映画「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」の「ドッグ」は、この犬のことを指しています。

"Mafia"

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「ニューヨークでマフィア抗争激化」

この時期、ニューヨークのマフィアの内部抗争でボスの交代が相次いで発生。そんな中、「ボスの中のボス」だったフランク・コステロの株を奪ったヴィトー・ジェノベーゼがこの年、麻薬容疑で逮捕されます。しかし彼はその後も獄中から手下に指示を出していたようです。(現在調査中)

"Hula Hoops"

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「フラフープ大流行」

この前の年にアメリカで大流行、その後日本でもブームになりました。その後、やり過ぎると腸捻転になるというデマのために人気は急降下しましたそうですが、現在では安定した静かな人気があるようです。

"Castro"

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「キューバ革命」

キューバで、ラテンアメリカ発の社会主義革命が起こります。主導者のカストロは、この年の2月に首相となり、現在に至るまでキューバの指導者であり続けています。 独裁者には大変珍しく、自分の銅像などを国内に建てさせないそうですね。

"Edsel is a no-go"

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「フォード・エドゼル大失敗」

フォード社が満を持して発売した新型車「エドゼル」は、発売前の話題とフォードの期待の大きさ、大々的な広告に反して、全く売れなかったそうです。フロントのデザインと景気低迷の影響との話を聞きますが、それだけでビジネスの歴史の中でも有名な販促失敗例として知られている(らしい)ほどになるものなのでしょうか。


1960年

"U-2"

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「米スパイ機、ソ連で撃墜される」

歌詞のこの部分、ロックバンドのU2と間違われることが多いですが、これはアメリカのロッキード社で製造された全身を黒く塗られたスパイ機の名前です。この年、ソ連領空を侵犯したこの機が撃墜されました。パイロットは直前に脱出し助かりましたが、ソ連で裁判にかけられスパイを自白したそうです。

"Syngman Rhee"

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「李承晩、四月革命で失脚」

李氏朝鮮の末裔である李承晩(1875-1965)は、かつての日本の支配下からの独立を唱え続け、1919年の三・一独立運動でも上海の大韓民国臨時政府の大統領に選ばれるなど、支持を集めてきました。戦後も大韓民国の初代大統領に就任し、朝鮮戦争後は独裁体制をしきます。しかしその後は独裁体制と腐敗した政治に批判が集まり、この年、学生の起こした四月革命により失脚します。

"Payola and Kennedy"

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「J.F.ケネディ、父の賄賂疑惑を蒸し返される」

ジョン・F・ケネディがこの年、大統領選に立ちます。そのとき、敵陣営が攻撃材料にしたのがこの賄賂疑惑。といっても、ケネディ本人のではなく、ケネディの父の話です。

ケネディの父ジョセフ・P・ケネディは銀行家ですが、ウイスキーの密造などで富を成した過去がありました。彼は、その財力にものを言わせてフランクリン・ルーズベルトに多額の政治献金を行いました。果たして大統領になったルーズベルトはジョセフ・ケネディに駐英大使の座を用意しました。

ジョン・F・ケネディが攻撃されたのはこのことだったのです。「大統領になったら、ジョセフのように賄賂をくれた人に重要なポストを与えるのか?」と、過去の話を蒸し返されたわけです。(2003.8.24)

以上の情報は、ちいさんから情報をいただきました。ありがとうございました。(ちいさんのサイト:"High Moon"

また、K.Tさんからは、「賄賂」と「ケネディ」はそれぞれ独立した項目ではないか、とのご指摘をいただきました。「賄賂」については、この年、ラジオのディスクジョッキーがレコード会社から賄賂をもらってその会社の曲をかけていた事実が発覚し、数人のDJが告発されるという事件が起きているとのことです。それを機に、放送規定が厳格になったりと、業界には大きな影響をあたえたようです。なお、"Kennedy"は、JFKの大統領当選を指すのでは、とのことです。興味深いご指摘をありがとうございました。(2004.4.15)

"Chubby Checker"

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「ツイスト、大ブームに」

ツイストブームのきっかけとなり、この年だけでなく1962年にも全米No.1になったChubby Checkerの大ヒット曲がリリースされ、ツイストダンスが大流行します。

"Psycho"

サイコ [DVD]
「サイコ」公開

ヒッチコック監督の代表作「サイコ」が公開されます。その名の通りサイコホラーの金字塔とも言えるこの作品、単純だが巧みなストーリー、主人公だと思われる人物に起こる突然の出来事、当時ラスト30分間に映画館への入場を禁じた措置などで話題を呼びました。

なお、ビリーのこの曲で、この歌詞の部分で聞こえる不気味な金属音は、この映画の随所で効果的に使われています。

"Belgians in the Congo"

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「ザイール、ベルギーから独立」

ベルギーによるザイールの支配は、19世紀の探検家スタンリーの報告がきっかけでした。この報告に関心を持ったベルギー王レオポルド2世は、スタンリーを再び現地に向かわせ、彼と現地首長との間で「コンゴ国際協会」を設立、実質的にコンゴ(ザイール)を私的領土化します。

しかし、ゴム栽培などでのアフリカ人への圧制が諸外国の非難を集めたため、1908年、ベルギーは正式にコンゴを「ベルギー領コンゴ」として植民地化しました。この後しばらくは平穏でしたが、1958年頃から独立運動が活発化し、ついにこの年の8月、大規模な暴動が発生、ベルギーは独立を認めます。

しかし独立の1週間後には早くも兵士の反乱が起きたため、ベルギーが再び介入、混乱状態に突入、国連軍も介入するなど事態は泥沼化。1961年には現地に飛んだ国連事務総長ハマーショルドが原因不明の飛行機事故で亡くなるといった事件も起きています。

その後、1971年にはコンゴ民主共和国からザイールへと国名を変更。1994年にはエボラ出血熱でも世界の注目を集めました。 1997年には再度国名をコンゴ民主共和国に戻しています。東隣にあるコンゴ共和国とは別の国です(ややこしい)。


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