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音楽は人間であることの一部−オリヴァー・サックス「音楽嗜好症」(2010年)

音楽嗜好症: 脳神経科医と音楽に憑かれた人々 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

「レナードの朝」で知られ、現役医師でもあるオリヴァー・サックスが出会ったり知るところとなったりした、音楽にまつわる驚くべき症例の数々が記されている本です。

にわかには信じがたいようなケースも多いのですが、まずは印象的なものを書き出してみます。

(箇条書きの部分は、本社の抜粋または要約です。)


音楽にまつわる症例

  • ナポリ民謡を耳にすると痙攣と意識喪失に襲われる女性
  • 脳卒中の後、音高とリズムの知覚はまったく変わっていないが「メサイア」と「ハッピーバースデー」を識別できなくなった老人
  • 脳動脈瘤破裂の後、情緒に障害を残し、何事にも関心や驚嘆を感じなくなったが、歌うときだけは曲にふさわしいあらゆる感情を示す男性
  • 重い認知症患者が、前に聞いたことのない音楽を聴いてむせび泣き、身を震わせた例
  • 音楽サヴァンの例:靴のひもを結べないし、3+2の計算ができないが、ベートーヴェンの交響曲の楽章を演奏し、どんな調にも移せる。
  • ウィリアムズ症候群の例:人間には非常に熱意を示すが、人間でないものには無関心で不器用(靴のひもが結べない、階段を判断できない、家の間取りがわからない)。IQは低い(5+3がわからないし、自立して生活できない)が語彙が豊富(「犬歯」「癪に障る」「厳粛」などの言葉を使った)で、音楽的才能がある(利いた曲をほぼ何でもアコーディオンで弾け、レパートリーは2000曲以上)。

他にも、著者自身のケースも含め、多くの例が挙げられています。他の書籍や研究からの引用ではなく、著者本人の体験や著者の友人からの伝聞が多いため、個人的には心からは信じがたいものもありますが、人間の身体における音楽を司る機能は本当に複雑で精緻なんだろうな、という印象は感じました。



脳と音楽

  • 視覚芸術家、作家、または数学者の脳を識別することは、今日の解剖学者ではほとんど不可能だろう−だが、プロの音楽家の脳は一瞬のためらいもなく見分けることができる。
    • プロの音楽家は脳の左右の半球をつなぐ脳梁が肥大化している。
    • 絶対音感のある音楽家は、聴覚野の一部である側頭平面が非対称に肥大している。
  • リズム音痴。ゲバラはオーケストラがタンゴを演奏している時にマンボを踊っていた。彼はかなりの音程音痴でもあった。しかし一般に、リズムは脳の広い範囲にかかわりがあるため、完全なリズム音痴はまれである。
  • 不協和音は通常赤ん坊でも認識するが、傍海馬回皮質に広範囲の損傷があると認識できなくなる。

脳についての研究結果と音楽能力の関連。この点についての記述はそれほど多くないですが(読む前は、そういう記述が中心になっている本だと思っていました)、それでも前述した「音楽を司る機能の精緻さ」を感じることはできました。



脳の柔軟性

脳については、その精緻さだけでなく、柔軟性についても学ぶことができました。

  • 人間の大脳皮質の3分の1以上は視覚に関与しているため、視覚器官からの入力が突然なくなると、大脳皮質では非常に広い範囲の再編成とマッピングのやり直しが起こる。生まれつき目が見えない人、あるいは幼いときに失明した人たちの場合、広い視覚皮質は機能していないどころか、聴覚と触覚をはじめ、ほかの感覚器官からの入力に再配分される。
    • アダム・オッケルフォードが教えた視覚障害児の40〜60%に絶対音感があった。他の研究でも、盲目の音楽家の60%に絶対音感があるのに対し、目の見える音楽家では10%であることがわかっている。
    • 目が見えない人たちのほうが、目が見える対照群よりも音高の変化を10倍のスピードで判定できる。

本書には登場しませんが、日本の三味線奏者に目の不自由な方が多かったことを思い出しました。スティーヴィー・ワンダーやレイ・チャールズについては、もちろん本書でも名前が挙がっています。



共感覚・その他

他に興味深かったのは、共感覚についてです。共感覚とは、ご存じの方も多いでしょうが、音を聞くと視覚にも影響を感じる、具体的には特定の音を聞くと特定の色彩(においだったりすることもある)を感じるという感覚のことです。これにまつわる記述は、どれも興味深く読みました。

  • 人はみな、もともと色が聞こえる共感覚者だが、生後3ヶ月くらいでこの二つの部位の接続がなくなってしまうと、共感覚を失うのかもしれない。
  • 恒久的な後天的共感覚を引き起こす、唯一の有意な原因は失明である。
  • (人によっては)長調と短調の色には必ず関連がある。たとえばト短調は淡い黄土色で、ト長調は明るい黄色。


他には、共感覚とは異なりますが、こんな研究結果も。

  • 短い音と長い音が交互になる連続音を聞かせると、日本語を話す人はその音を長・短の要素に分ける方を好み、英語を話す人たちは短・長に分ける方を好む。特定の言語の発話パターンと器楽には対応があるということを定量的に研究している学者もいる。

以下は根拠のない連想ですが、手拍子を、日本人は奇数拍、西洋人は偶数拍をとることとこれとは関係があるのかなと思いました。

(話は横道にそれますが、ロックなどでのコンサートでは、日本人も偶数拍でとります。でも、1970年の大阪万博でMary Hopkinが"Goodbye"を歌った音源や、Deep Purple「ライブ・イン・ジャパン」(1972年録音)の"Smoke on the Water"のイントロ部分*1でも、まだ日本人は奇数拍で手拍子叩いてますね。いつごろから日本でも偶数拍が主流になったのでしょうか。)
ライヴ・イン・ジャパン



いろいろ書きましたが、この本の優れたところは、著者が音楽を心から愛し、患者を尊重している姿勢を感じられるところにあると思います。だから、様々な(多くは生きていくのに障害となるような)症例について読んでも、患者に対し同情よりも尊厳を感じ、音楽の素晴らしさを讃えたくなることもしばしばでした。

著者は、重い認知症の人でも音楽に接している間だけは深い感情を取り戻すという例を挙げながら、本書の最後にこんな言葉を述べています。「音楽は人間であることの一部であり、あらゆる人類の文化で音楽は高度に発達し、重んじられている。」「ほかの何よりも音楽に触れることで、自分自身を、そしてほかのいろんなものを、少なくともしばらくのあいだは取り戻すことができる。」



関連メモ:なぜ女性作曲家は少ないのか?−福井一「音楽の感動を科学する」(2010年)

*1:バンドが奇数拍に戸惑って(?)演奏のタイミングをずらしていることでも有名



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