小熊英二さんの対談集。タイトル通り、予定調和などない真剣なやりとりが続きます。
特に注目した箇所は以下の通り。特に記載がなければ、箇条書きの部分は小熊さんの発言の要約です。
日本は法治国家のはずなのになぜ行政による裁量の余地が大きいのか
2013年12月3日、木村草太さんとの対談から。
- 日本の法律はとてもあいまいに作ってあって、行政による運用の裁量がきわめて大きい
- 道路交通法の法定速度は、ほとんどの人は守っていないし、警察もいちいち全部は取り締まらない。けれども、警察がその気になれば、いつでも取り締まれるようにできている。
- 生活保護法も、一定の貧困基準に達したら必ず保護しなければいけない、という条文にはなっておらず、市区町村の窓口が裁量で個別に審査する
- そうなると、「法律上はどうであっても、最後は行政が決めるんだ」という感覚を国民が抱くようになる
これは私自身(というか多くの方もだと思いますが)もよく感じていることです。スピード違反などの他にも、仕事でも、同じひとつの法律をもとにした行政判断についての質問で、同じ公的組織への問い合わせでも、問い合わせ先(地域)が異なると答えが違う・・・ということを経験しました。これはどうしてなのでしょう。
- そもそも明治時代に、帝国議会や大日本帝国憲法を作った最大の動機は、西洋列強から文明国として認知してもらって、不平等条約を改正すること
- 19世紀後半の時点では、非西洋国で、西洋法体系に基づいた憲法があって議会がある国というのは日本とトルコしかなかった
- 法律で人権を守りたいから憲法や議会を作ったというより、西洋法を導入した文明国であるという体裁を整えないと、条約改正に差し支えるという問題があった
- いまでも日本政府は、人種差別撤廃条約や女子差別撤廃条約を批准はするが国内法の整備は熱心とはいえないという姿勢で、国際的な体面を整えるためだけだったのか、と批判されている
- こういう経緯が、行政の裁量の余地を残すという、日本の法律の特徴につながっているのではないか
小熊さんは法学者ではないし、そもそも日本が外国に比べ行政による裁量余地がどの程度大きいのかもわかりませんが※、この推測はとても納得できます。少なくとも、歴史的な観点から見て有効な推測だと思いました。
※ただ、自動車の速度規制に限っていえば、以下の研究を見る限りでは、日本の制限速度は諸外国に比べるとメリハリがなく現実性が低い→遵守しにくい→それでも世の中が回っているのは行政が裁量をもって運用しているから、とは感じます。:北海道開発土木研究所月報「諸外国における速度規制に関する事例」(PDF)
国民の、日本国憲法受容プロセス
(木村)
- 日本国憲法はだいたいどの条文も一行で終わるが、ドイツのボン基本法は条文が具体的で細かくて長く、明確。
- 例えば「外国人に憲法上の権利が保障されるか」については以下のように異なる
- ボン基本法:条文に書いてある
- 日本国憲法:第14条に「国民は法の下に平等」と書いてあるのみで外国人についての記載はないが、判例で「国民」のみでなく外国人にもこの条文が適用されると解釈している
実際にボン基本法(ドイツ基本法)をざっと見てみました。こちらも日本の憲法のように一行で終わる条文もけっこうありますが、たしかに個別具体的な条文も目立ちます。
- 参考:ドイツ基本法
(小熊)
- 条文が書かれた時点で内容が決まるのではなく、そういう積み重ねで内容ができあがってくる
- 日本国憲法の内容が広く定着するのには20年近くの過程を要している
- 敗戦直後の時期
- 9条以上に、天皇を象徴と位置づけた1条や男女平等を規定した21条が注目された
- 9条はといえば、戦争に負けたのだし、占領下だし、日本が軍隊を持てないのは議論しなくても当然のことだ、くらいの感じ
- 1950年
- 朝鮮戦争が起き、占領軍から日本政府に武装部隊を作れという指令が来て、9条をめぐって議論が起きる
- 当時の世論調査の結果は複雑
- 「独立国になったのだから軍隊を持たなければいけない」→賛成7割
- 「日本に国防軍が必要と思いますか」→賛成4割
- 「徴兵制を復活させるべきですか」→反対8割以上
- 1953年
- 与党自由党(自民党の前身)の憲法調査会が改憲プランを出す(9条改正、21条改正で集会や表現の自由を制限、24条の男女平等も見直し、43条を改正して参議院の半数は選挙ではなく政府推薦議員で構成、等の内容)
- 調査会の会長は岸信介
- これに対しての「護憲運動」の内容:
- 「日本国憲法は占領軍がつくったから好きじゃない」「9条は非現実的」という人でも「21条(男女平等)を変えられるのは勘弁」で護憲だったりした
- 共産党や社会党も、あくまで保守政党の改憲案に反対だから「護憲」で便宜的に団結
- そもそも共産党は、資本主義と天皇制を認めているから日本国憲法に反対していた
- 左派社会党の政治家も、日本国憲法は福祉規定が不十分だから政権をとったら改憲すると公言していた
- 1960年
- 日米安保反対運動
- 60年改定安保条約は、条文上からいえば旧安保よりよくなっている面もある
- しかし「(あんな改憲を考えている)岸がやっているから危ない」と思われ運動が広まった
- 反対運動の結果岸首相は辞職
- 高度成長期以降
- 岸の後任である池田勇人と佐藤栄作は、護憲論者ではなかったが改憲なんて危ない橋は渡らない、経済で政権を安定させる、という道を選んだ
- 共産党や社会党も、高度成長が軌道に乗ると、資本主義を直ちにやめるといった方針をとらなくなった
- 9条解釈も、訴訟や政府答弁を経て、解釈が定着していった
- 憲法の内容は以上のかたちで定着していった。占領軍がこう書いたのだから従えというだけだったら、ただの文章であって、みんなに共有された規範にはならなかった
このあたりの史実整理は歴史社会学者としての小熊さんの十八番ですね。この流れを知っているのとそうでないのとでは、昨今の改憲論議の見方も変わってくるように思います。
だからといって、「国民が何十年もかけて受容してきた憲法だから改憲はよくない」という考えも個人的には疑問です。そもそも、その受容のプロセスに自分自身は参加していない(世代的に)という思いもあります。小熊さん・木村さんも、改憲議論が出てくることについては自然なこととみなしているようです。
- (小熊)日本では、保守も革新も、日本国憲法をドイツのボン基本法のほうな制度設計的なものではなくてフランスの人権宣言に近いような受け取り方をしてきたと思っている
- (木村)「国のかたち」を示すという憲法の側面に着目したとしても、敗戦をどういう物語で捉えるかは、屈辱の歴史の始まりと捉える人と、民主的で開かれた国家になる解放のきっかけだったという人とで分裂している
- (小熊)それはその通り。(中略)現在は、国際情勢も経済状態も60年代とは違う。だから、違う制度設計が必要だという議論が出てくること自体は無理もない話
歴史や経緯を理解することと、現代の問題を考えることのバランスは難しいですが、両方必要だなと感じた次第です。
自民党員数・業界団体支持の変遷
(2013年11月5日、菅原琢さん・韓東賢さんとの鼎談から)
- 自民党党員数:1991年は547万人、2013年は79万人
- 2001年比での組織毎の減少率は以下の通り
- 建築・不動産業者らの「宅建支部」01年比92%減
- 医療関係者らの「医政支部」01年比48%減
- 郵政関係者らの「大樹支部」99.8%減
- そんな状況でも勝てたのだから、いかに民主党への不信が強かったか、野党の分散と棄権の多さが響いたか
- 一方で2013年の参院選においては、2000年代に低落する一方だった全国建設協会や日本歯科医師連盟の組織推薦候補の得票が増大し、自民党の比例区得票を押し上げた
- 他の組織推薦候補で票を伸ばしたのは、全国郵便局長会や電力総連など
- つまり建設、病院、郵便局、電力といった、これといった産業がない地方の「主力産業」を基盤とする組織
党員数と得票数はまた別だとは思いますが、これほどまでに党員数が減っていたことは小熊さんの発言から知りました。また、業界団体の組織推薦候補の得票がまた増えてきているということも。
しかし、小熊さんによると、こういった組織は地盤沈下しているにもかかわらずいまだに選挙支援に強い(ポスターを貼るなどの実務、事務所資金を担う等)が、大部分の有権者はそうした組織には包摂されていないようになっている、そうなると政策としては業界団体の利害に反することも進めざるを得ない・・・という自民党のジレンマのようなものもあるようです。
以上を読んで、私は、以前に比べ、安倍総理が力を入れているように見える分野(マクロ経済・防衛・改憲など)は、このジレンマに比較的影響されない、つまり業界団体との「落としどころ」に悩まなくていい分野なのかなとも思いました。
その他
ほか、印象深かったところとしては・・・
本書冒頭の古市憲寿さんとの対談。古市さんは新著を直接小熊さんから批判されてますし。まあ、最後に古市さん本人がおっしゃっているように対談というより「小熊ゼミ」って感じです(最終回のみWebでも読めます:震災後の日本社会と若者(最終回) 小熊英二×古市憲寿)。
あと、上野千鶴子さんとの対談でも、本人が驚くほど上野さんの著書を読み込み分析しているようです。上野さんの本を通読している人には興味深いんだろうなあ。私は一冊も読んだことがないので、面白く感じたのは小熊さんによる分析に対する上野さんの反応くらいでしたが。
そんな対談集でした。