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おニャン子時代に渡辺美里がブレイクした1986年の空気

「ネオ漂泊民」の戦後 アイドル受容と日本人


中尾賢司さんのブログkenzee観光第二レジャービルのファンなので買いました。

そのブログは、その邦楽・文芸から連合赤軍事件などを扱う縦横な評論もさることながら、軽妙でニヤリとできる語り口調、ふざけているようで実は礼儀正しく真摯な姿勢(aikoをナメすぎだという批判に応えて謙虚に全曲聴いてコメント・評価したり)が楽しかったのですが、この初の単著はどんな内容なのでしょうか。



江藤淳、田中康夫から岡田有希子、AKB、はては永田洋子まで駆け巡り前近代・近代それぞれの自我について論ずる縦横さはブログ同様で愉快ですが、文体はかなりシリアスに抑えていらっしゃいます(当たり前か)。長い分量のまとまった考察はブログより読み応えがありましたが、読んでいて愉しいのはブログのほうかな。まあ両者は別物と考えた方がよいですね。そのほうが本を出された意味もあると思うし。

さて、その中で個人的にもっとも興味深かったのは「おニャン子クラブと渡辺美里」についてのまとめです。特におニャン子についての評論には異論のある方もいらっしゃるかもしれませんが、ご紹介します。

1986年、おニャン子と渡辺美里

  • 1986年のオリコンチャートは、どの週を見ても保守的な歌謡曲シーンを嘲笑うようにおニャン子関連の楽曲が必ず複数曲浸食している
  • 3月の3週目、不意に、渡辺美里「My Revolution」が首位を奪う
  • この曲はおニャン子のコンセプト-不真面目で、無反省で、素人臭いといった要素と完全に対をなしていた。
  • つまり、まじめに、再帰的に自己への問いかけをやめない「反省」の歌を、本格的な訓練を受けたヴォーカリストが堂々と歌い上げる
  • おニャン子は歌番組のロケに水着姿で登場することもあり「身体的には十分に成熟しているが、社会的には未熟とされるアンビヴァレントな身体」そのものがコンテンツであった
  • しかし「My Revolution」のPVでは、美里の女性らしさがまったく打ち出されていない。なにをプロモーションしたいのかさっぱりわからないフィルム
  • さらに美里はこの年3曲をリリースするが、どれも「弱気な自分」という初期設定からはじまり、再帰的自己モニタリングの末、「強く生きる」決断に至るという、ここまでくるともはやワンパターン戦略とイヤミのひとつも言いたくなるくらいの徹底ぶり
  • この年二枚組アルバム「Lovin' You」を発表するが、収録された20曲の中に従来的な恋愛ソングは存在しない
  • そして歌詞のまっすぐさとはうらはらにジェンダーは不透明(女性が「ぼくのなかのRockn'Roll」「君はクロール」と歌っている)

Lovin’ You


当時私は高校1年生でしたが、渡辺美里の登場はたしかに目立っていたという感覚があります。「歌唱力があるまっすぐで媚びない感じの女性が過剰なほど前向きな歌を歌う」というのは、違和感もあったけど、当時感じていた「まっすぐで前向きなのがかっこわるい、という風潮にもちょっと飽きてきたな」という感覚を受け止めてくれる存在にも見えました。まじめさが恋しくなったときにその対象が現れた、という感じでしょうか。

まあおニャン子も本人たちはまっすぐで前向きでまじめに芸能活動をやっていて、だからこそファンは応援し熱狂したのはわかっているつもりですが、美里さんは歌の中身も演出もまじめ系というのが当時は目立ったということです。


セールスと評価、個人的な感覚

  • 「My Revolution」は86年、年間5位のセールスを記録。
  • おニャン子関係で最高位は河合その子「青いスタスィオン」の10位
  • アルバム「Lovin' You」はオリコン年間アルバムチャートでは7位と、恋愛を歌わない二枚組という異常に強気な商品にもかかわらず健闘。ロックのプロパーではない一般の若者たちは、こんな「反省」の歌を強く支持した。

世間的な認知度や存在感は圧倒的におニャン子が上だったと思うのですが、レコードセールスではこんな結果だったそうです。これは当時を知る自分としても意外でした。

一方で思い出すのは、当時通っていた高校の文化祭での出来事。最終日の夜、生徒だけがグラウンドにキャンプファイヤーみたいなイメージで集まるのが恒例なのですが、1986年は先輩女子が最後の締めくくりみたいな感じで「My Revolution」を熱唱したとき「せやなあ、ここはこの歌やなあ」って雰囲気で皆がそれを受け入れて盛り上がっていたこと。特定の年齢層が「My Revolution」を熱心に支持していたことの一例なのかもしれません。


さて、音楽評論はどうだったのでしょうか。

  • 「Lovin' You」について、ミュージック・マガジン1986年9月号「クロス・レビュー」では小嶋さちほ5点、鈴木博文5点、山崎直也4点、中村とうよう7点。中村とうようコメント「意外に行儀よく優等生的で、少々拍子抜け」と全体のトーンとしては否定的。

従来のロックの文脈とも違う流れで出てきたので、以前からロックなどを聴いていた人たちにとっては違和感を感じるか、それ以前にそもそも存在感がなかったのかもしれないですね、美里さんは。もともとミス・セブンティーンコンテスト出身だし、この時は自分で曲を書いているわけでもないし、なじみのない人からはアイドルと捉えられる側面はあったかと思います。私自身も、彼女のことはロックの人とは思っていないです。

ではどんなところに魅力を感じていたのかというと、「まっすぐ」なところが新鮮でここちよかったのと、歌の力強さと、何より楽曲に惹かれ、美里さんの曲がリリースされるのが楽しみになっていきました。よく言われることですが、岡村靖幸(「Lovin' You」「シャララ」「虹をみたかい」)、小室哲哉(「My Revolution」「Teenage Walk」「BELIEVE」「ムーンライト・ダンス」「JUMP」)、伊秩弘将(「恋したっていいじゃない」)、佐橋佳幸(「センチメンタル カンガルー」)など、その後音楽シーンで実績を積み上げていく人たちが、キャリアの初期に渡辺美里への楽曲提供を行っていたわけですから、曲に魅力を感じるのも自然なのかもしれませんが。



何が言いたいのかというと、1986年にたしかに存在したある「空気」-世の中の大勢ではなく、一部の世代・人々が感じていたこと-を、本書できちんと腑分けされ記録として残されている、そしてその内容が個人的な経験・感覚にぴったりあてはまった、ということです。著者の中尾さんは年齢も近く、どうやら育った場所も近いようです。そんな方が「あの時代の一部」をうまく切り取ってくださっていることは幸運なことだと感じた次第です。そういう「空気」は誰にとってもいつの時代にも存在するものですが、こうしたかたちでうまく切り取られ世に出るのは、そのうちのごくわずかなので。


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