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勝手に感じた「ジョジョ」との共通点-「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

仕事がかなりつまっていて心身ともに疲労を感じていたので、身体は明日受ける予定のマッサージにまかせつつ、精神はこれで解放させてもらおうと思ってレイトショーへ。

マッドマックス 怒りのデス・ロード [Blu-ray]

今観て、それも映画館で観て、大正解。

ほとんどずっと「オン」で爆走し続ける展開も、頭のネジが飛んだデザインとアクションなど何もかもしっかり精神を揺さぶり続け解き放ってくれたんですが、上映終了後、脳の中の台風一過、残ったのはふたつ。


ひとつは、真の主人公、女闘士フュリオサ、シャリーズ・セロン姐さん(年下だけど)。この存在感と生命力、かっこよさ。マックスもよかったけど、姐さんの横ではどうしても「いいあんちゃん」になってしまう。それくらいに姐さんはクールで熱い。最高。


もうひとつは、登場人物の一人残らずが「自分たちが今やるべきことが今やりたいこと」という信念がある、というかもっと生きることの根っこにある存在理由を疑っていないこと。

悪党も「善人」の人たちも全員、迷いなし。役割がものすごく明確で、その役割こそがその人たちの生きる目的。「これでいいのだろうか」「こんなことしてて将来大丈夫か」「人生の意味は」そういうこと一切考えない。そういうものがまるで最初から存在しないように。生きるマシーン。

まあ一人、重要人物が役割を大転換させますが、切り替えはやいはやい。切り替えた後は新たなマシーンとしてやはりまっすぐに爆走。

まあ、実際の世の中がこんな人ばかりだったらそれはかなりやっかいですし、自分の身近にそんな人がいたらつきあいには苦労しそうです。そういう政治家が力を持ったらやばい社会になるかも*1。でも、この作品の神髄は、そんな人たちの「狂気」がスクリーンからあふれ出ていること、だと私は思いました。まあその中での筆頭は、ジョージ・ミラー監督自身なのでしょうけど。



ところで、この「迷いなし・全肯定」のパワーには強い既視感があったのですが、しばらくしてわかりました。「ジョジョの奇妙な冒険」!あのまんがの登場人物たちもそうです。前向きとかいうレベルじゃない、自分の役割全肯定。

たとえば第3部のアレッシーなんて、相手を特殊能力で幼児化させてからいたぶって殺すという弱いものいじめの極北なんですが、自分自身そのことになんの良心の呵責も感じていないばかりか、まったく疑うことなく自分の「役割」(弱いものいじめ)に全力投球。すがすがしいまでに。この「全肯定」ぶりが読者が感じる狂気に拍車をかけるわけです。

荒木先生ご自身も「ジョジョ」の特徴としてこのこと(登場人物が「全肯定」)をインタビューで挙げておられたように記憶しています。「ジョジョ」の狂気(もちろんほめ言葉です、最大級の)も、多くがこの「全肯定」から来ているし、そしてその筆頭が荒木飛呂彦先生ご自身にあるだろうってところも、この映画と同じかな。


悪も善も、生きることと自分の役割を全肯定して爆走する120分。精神の解放はもちろん、それ以上のエネルギーがしっかりと心身に染みこむ映画でした。

*1:でもそれがまったくない人も政治はできない、とも思いますが。政治に限らず、すべてにおいて、か。


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