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伝統的社会から学べることとは?「建設的なパラノイア」、紛争解決法、健康的な生活 − ジャレド・ダイアモンド「昨日までの世界」 メモその1


個人的にここ15年で最高だった本「銃・病原菌・鉄」、そこまでではないけど普通の本とは比べものにならない学びがあった本「文明崩壊」の著者、ジャレド・ダイアモンド博士の最新著作。西洋現代社会に暮らす人間は伝統的社会から何を学べるか?また逆に、伝統的社会の問題を西洋現代社会はいかにして克服しているか?の両方について書かれた本でした。まずは、伝統社会から学べることについてメモします。


「建設的なパラノイア」

伝統的社会の人々は、リスク管理が徹底しています。現代社会では時には無謀な挑戦が賞賛の対象になることがありますが、伝統社会では危険を感じたとき即座に逃げることを恥ずかしがらないそうです。狩りにおいても、男の強さを誇示するようなリアクションは示さないとのこと。

著者が大木の横で野営しようとしたがそれを絶対に受け入れなかったニューギニア人のエピソードはそれを象徴するものでしょう。著者は、こんな枯れてもいない大木が倒れるなんてありっこないと思ったそうですが、その後彼は毎日木が倒れる音を聞くことになります。たしかに、木が倒れるなんてことは珍しい、確率の低い事象です。しかしニューギニアは木だらけ。1000分の1の確率しかない事象も、頻繁に繰り返されれば「当たる」可能性は高くなります。伝統的社会の人々はこのことを身に染みてわかっています。幼少時に伝統的社会で暮らしその後現代都市に引っ越したある人は、車の行き来する道を歩いて横断することがどうしてもできなかったそうです。

この、現代社会に生きる我々からすると異常なほどの注意深さを、著者は「建設的なパラノイア」と呼び賞賛しています。彼らは偏執狂的に安全にこだわるが、それは無駄ではなく、社会を生き延びる上で必要な建設的努力なのだ、というわけです。実際、著者は伝統的社会でカヌーを調達したものの無謀運転で溺れ死にかけています。命からがら戻った港で、彼はある男性に出会います。その男性は、著者と同じカヌーに乗れたのに乗らなかったそうです。こぎ手を観察し、このカヌーに乗るのは危険と判断し事故を免れていたのです。それを知って著者は自分の危機感のなさを恥じる、というエピソードも書かれています。

伝統的社会では、そのような注意深さがないと即生命の危険にさらされるからリスク管理の徹底が浸透しているのでしょう。ちょっとした骨折が一生治らないケースなどもよくあるそうです。一方、現代社会では、ある程度の怪我や病気は回復させることができます。とはいえ、それでも最初からそうならないに越したことはありません。リスク回避にかけるコストとのバランスで考える問題ではありますが、これは大いに学べる点だと思いました。


紛争解決法

個人的に、伝統的社会から学べそうな内容の中で、最も重要と感じたのがこの「紛争解決法」です。本書では、ニューギニアの「現代社会に移りつつあるが、伝統的社会の風習が根強く残っている地域」の出来事を詳細に記録しています。その地で、スクールバスから降りた児童が迎えにきたおじさんの姿を見て飛び出したところ、公営車のドライバーにはねられ亡くなってしまったという事件です。現代社会では、法律に則って事件が処理され、責任の所在と刑罰・補償を決定することが第一となります。加害者は自分の責任を軽くすることに集中します(心の中では相手に申し訳ないと思っていても)。しかし、この事例では、人々は違ったやり方で物事を進めました。

まず、被害者の父親が加害者の上司に出向き、被害者の葬式の費用を援助してほしいと申し出ました。加害者の上司は了解し、以後はこの社会での「調停」経験のある人物を通じやりとりを重ね、3日後には被害者の家族親族と加害者の上司が「賠償の儀式」でともに被害者に涙し、被害者の家族親族は「あれは事故だった」(だから加害者をこれ以上追求しない)と認めるのです。

これは、当事者同士が感情面で和解しスピーディーに事故以前の状況への回復を目指すことができる、ある面では素晴らしい仕組みです。ネイティブ・アメリカンのナバホ族にも同様の仕組みがあるそうです。しかし、この仕組みは大きな危険もはらんでいます。被害者の関係者に血気盛んな者がいた場合や調停がうまくいかなかった場合、暴力による報復が行われることもあるからです。事実、パプアニューギニアの警察は、こういった事故が起こった場合、加害者は事故現場にとどまらずすぐに警察に自首することを求めています。この事件の被害者もそうしました。現代社会のように事故現場にずっといて警察の到着を待っていると、その間に被害者の関係者が報復に出て加害者を殺してしまうかもしれないからです(この点は次のメモに記載します)。

このように、伝統的社会と同じような「調停」を現代社会にそのまま取り入れるのは困難です。しかし、加害者と被害者の話し合いによる「修復的司法」は、すでに20年ほど前からオーストラリアやカナダなどで導入されています。このプログラムは実験中で、少しずつ取組内容を変えたかたちで様々な事件に当てはめられ、内容による結果の差からプログラムの効果が統計的に検証されています。その結果、再犯率の低下や被害者感情・遺族感情の沈静化などの効果が認められるそうです。

この「修復的司法」は司法制度の万能薬ではありませんが、うまく機能すると司法制度をよく補完するものにはなりえます。日本の場合はどうなのかまだ調べていませんが、導入を検討する価値はあるように思えます。


健康的な生活

よく知られるように、伝統的社会では高血圧や糖尿病(2型)がほとんどありません。これはもちろん、その原因となる塩分とカロリーが現代社会に比べ入手しづらいことや、始終体を動かして生活をしているからではありますが、そのことを現代社会の我々が取り入れることもできます。1980年代の調査によると、秋田県では一日あたりの塩分摂取量が27グラムと、アマゾンのヤノマミ族の500倍以上になっていました。当時の秋田県民の平均最高血圧は151、ヤノマミ族は96。当時の日本は「脳卒中の国」と言われるほど高血圧による死因が高かったのですが、その後の「塩分控えめ」食生活を推進する取り組みによりその割合は減少しており、現在の発症率は1960年代の約半分です。参考:社会実情データ図録「死因別死亡率の長期推移」

一方で、伝統的社会では、現代社会では発生率の少ない事象により命を落とすことが多く、そのため平均寿命は現代社会で生きる人よりも短くなっています(この点も次のメモに記載します)。また、塩分やカロリーが少ない環境で暮らしている伝統的社会の人たちは、いったん食糧が手に入るとものすごい量の「食いだめ」をしますし、カロリーが体に蓄積されやすい体質が生き残りに有利に作用した結果、現代社会で生活すると「太りやすい」人が多いようです。

そのことが生み出した悲劇が太平洋の小国ナウルのケースです。もともと飢餓に見舞われやすかったこの国にリン鉱床が発見され、1968年にこの国が独立し、一人当たりリン鉱石採掘権料収入が2万3000ドルになった結果 − 人々は農耕をほぼ完全に放棄し、推奨カロリーの倍を摂取し、平均半径2.4kmの島を自動車で移動するようになりました。結果、20歳以上のナウル島民の3分の1が糖尿病となっています。過去10年で患者数は減少し始めていますが、著者の予測ではこれは生活環境改善の結果というよりは、糖尿病になりやすい(カロリーを体に貯め込める)遺伝子を持った人々が死亡していっている、つまり人類で最も急速な自然淘汰に見舞われたからではないか、と述べています。 参考:[木村昭二のどんと来い!フロンティア投資]世界一の富裕国から破綻国へ大転落、リン鉱石の島・ナウルの未来はどうなうる?|新興国投資 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

いずれにせよ、現代社会に住んでいても、伝統的社会を参考にした食生活を行い、健康に配慮することはできます。本書で書かれているポイントは他のどの健康本にも書いてあること − 適度な運動、糖分と塩分の減量、そして一番簡単に変えられることとして、ゆっくり食べることだそうです。


以上が、伝統的社会から特に学べる事項についてのメモでした。次のエントリでは、逆に、現代社会が克服した「伝統的社会の、真似したくない事項」についてメモします。





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