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遺伝の影響を受けやすい能力ランキング

遺伝の影響をできるだけ正確に理解しようという本です。納得したこともあれば、新たに気づかされたこともありました。以下、引用部分は管理人による要約です。


遺伝の影響が強い形質

遺伝の影響が強い心理的・行動的形質とはどんなものでしょうか。一卵性双生児と二卵性双生児で同じテストを行うなどすることでそれがわかります。その結果判明した、約70の形質のうち影響度の強い上位10形質を順に挙げると以下の通りになります。

  1. 音楽
  2. [同率]数学、自閉症(親評定・女児)
  3. スポーツ
  4. 執筆
  5. 音程
  6. 自閉症(親評定・男児)
  7. 統合失調症
  8. ADHD
  9. 一般知能

それぞれの項目をどうやってテスト・比較したのかが書いていないのでよくわかりませんが、わりと頷ける結果にはなっていると感じました*1。音楽、数学、スポーツ、最初からできる人はできますものね。美術は?これには入っていませんが上位でした。どれもあまり得意でなかった私には実感としての納得があります。

一方でとても意外だったのが、言語能力関連について、軒並み「遺伝の影響が低い」との結果が出ていることでした。具体的には、遺伝の影響を示す係数が音楽0.92、一般知能0.77に対し、外国語は0.50、言語性知能は0.14なのです。外国語って、マスターするのが速い人とそうでない人の差がけっこうあるし、数カ国語を流暢に操れる人などを目の当たりにすると、ああこれは才能(というか遺伝)の違いなんだと思っていましたが、必ずしもそうではないようなのです。

その代わり、言語能力には別の影響が大きいとのこと。それは「共有環境」と言われる「一卵性双生児が共有する環境」。主に家庭がそれに当てはまります。ということは、言語能力を伸ばすのに適した家庭環境とそうでないものがあるのですね。著者はこんな仮説をたてています。

言語性知能に共有環境の影響が大きいのは、言語を用いて論理的思考をするときの手続き的知識が家庭間で大きく違うことを示唆する。それは知的な文字媒体に触れる習慣や、家族同士で論理的な会話をしあったりする習慣の多少が関わっているのかもしれない。


「環境」の影響

では、その「環境」の影響はどの程度あるのでしょうか。

心理学者エリック・タークハイマーは、以下の「行動遺伝学の三法則」を提唱しています。

  1. 遺伝の影響はあらゆる側面に見られる
  2. 共有環境の影響はまったくないか、あっても相対的に小さい場合が多い
  3. 非共有環境(家庭外、つまり友人関係など)の影響が大きい。

さっき言語能力について共有環境の影響を書いたところですが、どうやらそれは例外的で、たいていは「非共有環境」の影響が大きいようです。家庭の外、つまり友人関係などのことです。

これも意外。子どものいる身としては、子育てについて親が過度に悩んでもしょうがないということで、ほっとするような肩すかしを食らったような複雑な結果です。まあ肩すかしを食らうほど何かを学ばせたり練習させたりはしていませんが。

もちろん、広い意味での環境が遺伝の影響を強めたり弱めたりということはあります。一般的には、環境の自由度が高いほど遺伝の影響が表れやすいそうです。例を挙げると、都会住まいと田舎住まいで、飲酒量や薬物摂取の多さに及ぼす遺伝の影響が異なるのです。都会に住む人の方が遺伝の寄与率が大きくなります。都会のほうが社会的制約が緩く自由にふるまえるからだと考えられます。

逆に、次のように、環境が厳しいほど遺伝の影響が現れるケースもあります。

ニュージーランドのダニーディンという町で生まれたすべての子どもを20年にわたり追跡調査した結果、反社会的行動(攻撃や犯罪など)に及ぼす虐待経験の影響が、モノアミン酸化酵素A型遺伝子の活性度に影響されていた。活性度の低い人は強い虐待経験が反社会的行動に結びつくが、活性度の高い人はほとんど結びつかない。また、ストレスとうつ傾向の関連についても、セロトニン・トランスポーター遺伝子5HTTのタイプにより異なることがわかった。

これを読んで、時々巷で耳にする「あの犯罪者は劣悪な家庭環境で育ったからかわいそうなどと言うが、同じような家庭環境でも犯罪者にならない人もたくさんいるじゃないか」という言説への印象が少し変わりました。同じ劣悪な家庭環境でも、反社会的行動に結びつきやすいかどうかは遺伝の影響を受ける、ということですから。だからと言ってそういった犯罪者を擁護する気持ちにはなりませんが。

いずれにしても、著者は「環境はただ漫然と自分の身のまわりにあるだけで意味を持つのではなく、それとの関わり合いの中で初めてその人にとっての意味を持ってくる」と語っています。個人的には、これは共有環境(自分が選んだわけではない家族)よりも非共有環境(自分が選ぶ余地が共有環境より大きい友人関係など)の影響が大きくなる理由の大本なのではないかと考えています。

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遺伝影響の捉え方

ところで、遺伝や環境の影響についてご紹介してきましたが、その中で「遺伝の影響」について、著者はどのように考えているのでしょうか。遺伝で人間の能力がある程度決まってしまうなんて、身も蓋もないのでは?

遺伝とは無関係なものを遺伝に関係あると判断したのがかつての優生学とすれば、本当に遺伝と関係があるのに関係がないと考え格差や不平等はすべて自己責任と見なして放置する社会も別の意味で優生社会ではないか。

なるほど。「◯◯の能力は遺伝の影響が強い」ということがわかると、「ああ残念、自分が◯◯できないのは生まれつきなんだ」と感じることもあれば、「自分の努力が足りないんじゃないんだ」と安心もできる、前者ばかりでなく後者の要素ももっと考えていいのでは、ということですね。

個人的には、その考えにはある程度共感できます。とは言っても、自分が好きなのにあまり得意でなかったり上達が遅いものがあるからといって「遺伝の影響が強い種類の能力だから」といって即あきらめたりするつもりはないですが。


遺伝の多様性を受け入れる社会

以上、遺伝の影響についてメモしましたが、念のために付け加えると「音楽の遺伝子」「スポーツの遺伝子」などの「ある遺伝子=ある能力・形質」というかたちで遺伝子が能力に影響するわけではありません。多数の遺伝子の組み合わせが人間社会のある能力に関連しているにすぎないのです。

例えば、知能と密接に関係している認知能力に関わる遺伝子は多数の小さな効果を持った遺伝子の集まりです。「知能の遺伝子」というものはありません(それでも、見出された関連遺伝子はほとんどが読解能力と算数・数学能力の両方に関与していたそうです。ロンドン大学のロバート・プロミンらはこれらを「ジェネラリスト・ジーン」と呼んでいます。)。

なので、遺伝の影響から生ずる個々人の能力はとてつもなく幅広いはずです。最後に著者はこのような問いを投げかけています。

野球やピアノ、精神病理や犯罪のように既存の文化的価値の枠組みの中で必ずしもハイライトされることのない、文化の中で名付けられてもいなければ、その存在すら認められていないような才能があるはずだ。これを見いだせる、そういう対象と環境に出合うことができる社会・教育制度はどのように設計されればよいのだろうか。

連想したのは、金子みすゞのあの有名な詩「みんなちがつて、みんないい」です。そのような多様性を見いだせる社会に魅力を感じます。



関連メモ集


*1:以前読んだ同じ著者の別の本とは結果が違うんですが・・・



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