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なぜラーメンは「国民食」になっていったのか? - 速水健朗「ラーメンと愛国」

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)


ラーメンはもともと中華料理の範疇だったはずなのに、そして「ごはん」つまり米ベースではないのに、今や日本の国民食に、もっと言えば、和食に近い存在となっています。例えば、最近のラーメン専門店で店員が作務衣を着ていたりして、まるで日本の伝統食であるかのような雰囲気です。なぜ、そしていつからそうなったのか。そんな疑問に答えつつ、戦後史とラーメンをまるで麺とスープのように絡めながら説くのが本書です。


なぜラーメンは「国民食」になっていったのか?

まずは戦後まもない頃の食料事情がベースにあります。戦後の闇市でカロリーの高い「支那そば」は人気だったのです。そう、この頃は「ラーメン」という名称は一般的ではなく、例えば1948年の「サザエさん」では「支那そば」、1950年では「中華そば」と言われています。

こんな中、当時の国際情勢がラーメン普及に強い追い風となります。当時、アメリカは小麦が大量に余っており倉庫代だけで毎日2億ドルがかかっているような有様でした。そこで1954年、余剰農産物処理法を施行。これはアメリカの小麦を購入してくれた国に低利で資金援助するという内容で、日本もその対象となっていたのです。当時食料もお金も足りなかった日本政府はこれ幸いと、まず学校給食にパンを導入。学校給食法では「パン又は米飯」と定められているのですが、実際は1970年までパンばかりだったそうです。米飯給食が正式に導入されたのは実に1976年のことで、それも月に1度程度。週に1度になったのも80年代半ば(1977〜83年に小学生だった私にはこの実態が確かに記憶として残っています)。このような背景があり、小麦を原料とするラーメンが普及していったのです。

しかしなぜそれがもともと日本にあった、同じく小麦を原料とするうどんではなくラーメンだったのか。ここで安藤百福氏の登場です。インスタントラーメンの発明者として世界的にも評価されている*1彼は日本統治時代の台湾出身でした。事業に失敗し失意の底にありつつもアメリカの余剰農産物処理法に基づく戦略に従うままの厚生省に反感を持っていた彼は、単に「日本」にとどまらず「東洋」のルーツを持つ自分自身が事業再建にあたってラーメンを選ぶことを決意します。そのきっかけには、闇市でのラーメン(支那そば)の人気を目の当たりにした彼の経験もあるのでしょう。なお、「ラーメン」という言葉の語源には諸説あるのですが、これが定着したのは彼が発明したチキンラーメンの大ヒット(1958年発売開始)によるものだという点は通説となっているそうです。

アメリカの小麦戦略は他でも聞いたことがありますが(「ゴルゴ13」にもそんなエピソードがあったような)、なぜうどんではなくラーメンかというところは、この本で初めて納得できる説に出会えた次第です。


なぜいわゆるご当地ラーメンはその地の産物や歴史と関係のないものばかりなのか?

これは個人的にも大きな疑問でした。本書では次のように考察されています。

札幌にみそラーメンのイメージが定着するのは、1968年にサンヨー食品が「サッポロ一番みそラーメン」発売したこととその前年から「札幌ラーメンどさん子」が全国にチェーン展開していったのが始まりとされています。これが観光ブームとして煽られ他店も追随することで名物化していったのです。これがご当地ラーメン誕生の経緯です。

では九州ラーメンはどうでしょうか。スープが白濁しているのは長崎ちゃんぽんの影響らしいです。明治期の外国人居留地の福建省出身華僑が提供していた五目そばが時間をかけてこの地に定着したとのこと。

このように、ご当地ラーメンは最初から「その地ならでは」のものから始まったわけではなかったのです。たまたま話題の店ができれば、地域の他店も追随し、それがいつしかご当地ラーメンになっていくというわけですね。

なお、この「ご当地ラーメン」乱立が加速したのは1990年代。火付け役となったのは新横浜ラーメン博物館だというのが本書が提唱するところです。本来地域と何の関係もないラーメンがご当地ラーメンになっていくのは「観光資源としての捏造」だが、それを否定せず、その事実から「目をそらすことはできない」というのが本書の弁です。はい、私も、おいしければ捏造でもなんでもいいと思います。

ちなみに先日、出張帰りにこの新横浜ラーメン博物館に寄ってみましたが、この「三丁目の夕日」感あふれる館内の様子がまさに「戦後史とラーメン」を象徴しているようで、本書読了直後の私としては、妙な感慨でいっぱいでした。


ラーメンの特殊性

このように、他の外食と異なる「発展」を遂げたラーメンは、この20年にも他の外食にない動きを見せています。

総務省統計局「小売物価統計調査」によると、ラーメンの価格は1990年に450円だったのが、2007年には569円にまで上がっています。このデフレの20年に、です。その中心となったのが、麺屋武蔵に代表されるような「ご当人ラーメン」であるというのが本書の分析です。たしかに、80年代まではラーメンで勝負する専門店はそんなになかったし、あっても今あるような「小ぎれいな店内」「こだわりの製法」「掲げられた人生訓(本書では「ラーメンポエム」と呼ぶ)」「店主店員は作務衣」という光景は目にしなかったように思います。本書は、この潮流と「日本の右傾化」の時期が重なっていることをも論じていますが、やや牽強付会な印象があったのでここでの紹介は控えます。

ただ、本書で指摘されているように、大資本、グローバル資本のチェーン店による寡占化をまぬがれた外食産業はラーメンだけで、全国のラーメン屋の約80%が個人経営(富士経済「外食産業マーケティング便覧2006」)という事実は、やはりラーメンは外食の中でも異なる道を歩んでいることを示唆しているとは思います。ラーメンは、明らかにこの「失われた20年」で独自の変化を遂げたのです。このことも自分自身実感としては持っていましたが、こうしてデータを使って語ってもらえることでこの変化をよりはっきりと感じることができました。


先ほど牽強付会と書きましたが、本書はラーメンと戦後史を、ほとんどをその「牽強付会」直前の絶妙なバランスで結びつけ(時には感心し、時には苦笑いするような*2)、様々なデータや情報を縦横無尽に語る手腕が痛快な作品。密度の濃い新書です。ラーメン好きで(私が最近食べた麺類のアルバムはこちら)、戦後史にも関心のある私にはとても楽しめました。そういえば、著者速水さんご自身が語っておられましたが、本書タイトルは私が深く感銘を受けた小熊英二「<民主>と<愛国>」のパロディなのだそうです(津田大介さんのメールマガジンにて)。納得。

*1:彼の死去に伴いニューヨーク・タイムズは追悼記事を掲載し、エルヴィス・コステロは彼にちなんだ"Momofuku"というアルバムを制作しています

*2:例えば、ご当地ラーメンの物語がラーメン博物館によって歴史となり定着していく様を「アレクサンドリア図書館のようである」と記述したり


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