庭を歩いてメモをとる

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梶井基次郎「檸檬」

檸檬 (新潮文庫)


短編小説集。多くは、大正〜昭和初期の男の日常生活の一部分を切り取っただけのものですが、その心理スケッチがとにかくすごいです。

有名な表題作は男が書店に檸檬を置くだけの話ですが、そこに至るまでの男の不吉感、不安感、ふと湧き起こる喜び、これみんな男の独り相撲というか頭の中でぐるぐる回る考えに過ぎないのですが、「よくここまでいろいろ考えられるなというあきれ」と、「うんたしかにこういうふうにいろいろ気になったり迷ったりしてしんどいことはあるよねという同意」の両方を強く感じました。全編そんな感じ。

例を挙げると、「泥濘」でふと友人の家に寄って会話をしている主人公の頭の中はこんな感じです。

自分は話をしているうちに友人の顔が変に遠どおしく感ぜられてきた。また自分の話が相手の思うかんどころをちっとも云っていないように思えてきた。相手が何かいつもの友人ではないような気にもなる。相手は自分の少し変なことを感じているに違いないとも思う。不親切ではないがそのことを云うのが彼自身怖ろしいので云えずにいるのじゃないかなと思う。然し、自分はどこか変じゃないか?などこちらから聞けない気がした。「そういえば変だ」など云われる怖ろしさよりも、変じゃないかと自分から云ってしまえば自分で自分の変なところを承認したことになる。承認してしまえば何もかもおしまいだ。そんな怖ろしさがあったのだった。そんなことを思いながらしかし自分の口は喋っているのだった」

加えて、すごいと感じたのはこの心理のうつろいと風景のうつろいを絡めて描いた文章です。

(雲を観て)それは一方からの尽きない生成とともにゆっくり旋回していた。また一方では巻き上がって行った縁が絶えず青空のなかへ消え込むのだった。こうした雲の変化ほど見る人の心に云い知れぬ深い感情を喚び起こすものはない。その変化を見極めようとする眼はいつもその尽きない生成と消滅の中に溺れ込んでしまい、ただそればかりを繰り返しているうちに、不思議な恐怖に似た感情がだんだん胸へ昂まってくる。(「蒼穹」より)

この人は、人間の心の微細な変化を明確に捉えて文章に変化させる「風景画家」なんだなあと畏れ入った次第です。後期作品にある自身の病気や死の気配を感じ取った作品にも静かな凄みがありますが、私個人は本書前半に特に目立つ心理スケッチの見事さにあてられました。


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