庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

奥琵琶湖・マキノ 2日目


6:30ごろ目が覚めたので窓の外を見ると、ちょうど太陽が昇ったところでした。


朝食バイキングを食べて、少し仮眠をとりました。今日は昨日のようにややこしいことは考えず、観光に徹するつもりです。目的は2つ、そのうちのひとつが琵琶湖中央部に浮かぶ信仰の島、竹生島です。



11時前にプリンスホテルの桟橋から定期船が出ています(強風だと中止)。今回もそれに乗ることに。乗客の大半はパックツアーの年配のお客、あとはおそらくゼミ旅行と思われる(初老の男性+大学生10名くらい、だったので)グループでした。一人なのは私だけ。



20分ほどで島に近づきます。それにしても、木々の枯れ方が普通じゃない気がするのですが・・・島に上陸して知ったのですが、これは増加したカワウの糞害なのだそうです。調べてみると(参考:日経ネット)、琵琶湖の水質改善に伴ってカワウの棲息数も増え、このような害が出ているとのこと。では、水質が今よりよかったはずの昔、なぜ島の木は生い茂っていた(はず)なのだろう?あるいは、昔も島の木は枯れていたんでしょうか?(それならば今のように木が大きく育っていることが不思議)



周囲2kmくらいの島で、船で乗り降りできるのはこの場所だけ。島のある場所は琵琶湖でも特に水深のあるところですが、島は切り立った断崖で囲まれています。ということは、この島だけが湖底から突出しているということ。なぜそうなったんだろう?




急な石段を上がっていくと、平成の世にご託宣を受けて出た泉が。現代でも夢のお告げが現実に結びつくってことがあるんですね。ちなみにここでもカワウの害→木が枯れる→水が枯渇、という実情に触れられています。



さらに石段を上って、



江ノ島厳島とともに三弁才天のひとつと言われる宝厳寺。起源は8世紀ですが、現存する建物は1942年建立だそうです。



そして回廊を通ると・・・



都久夫須麻(ちくぶしま)神社へ。この神仏合同の仕組みは、海外の、特に一神教の世界に親しんだ人には理解が難しいかもしれませんね。



この神社では、土器を投げることで願いを叶える「かわらけ投げ」がありました。NHK朝の連続ドラマ「ちりとてちん」で福井のかわらけ投げが登場していて関心があったので、やってみました。



土器に名前と願いを書いて・・・



鳥居に向かって投げます。


そうこうしているうちに帰りの船の時間に(島での滞在時間は50分)。帰路につきます。ちなみに船賃は往復2,000円でした。

ホテルに戻り、ランチバイキング。しかしここは腹八分目にしておきました。なぜなら、本日2つ目の「イベント」、鮒寿司があるからです。

ホテルを出て、駅前にある鮒寿司のお茶漬けを出すお店、魚治駅前店に。

鮒寿司を食べてみたいと思ったのは高校生のころ。「美味しんぼ」第5巻で、臭いけどおいしい料理としてあげられていたのがきっかけです。それから20年たって、やっと鮒寿司を食べる機会がめぐってきたというわけです。

お店の方に鮒寿司茶漬け(1,200円)をお願いして席につくと、テーブルには「美味しんぼ」第5巻が!しかも鮒寿司登場ページに付箋がつけてありました。見てみると、山岡たちが鮒寿司を食べるのは、まさにこのお店の本店。しかもまんがでは、鮒寿司単体ではなく鮒寿司茶漬けが取り上げられていました。何も知らないでこのお店に来たのですが、なにやら縁のようなものを感じました。



さて、鮒寿司茶漬け。たしかに、腐臭といっていいようなにおいがします。でも昨日出会った鮎の死骸の臭いとは違います。思い切って鮒の身を茶漬けとともに口に入れてみると・・・独特の酸っぱさとこくがいい感じ。チーズに似た風味です。たまにならおいしく食べられそうな感じ。和えられた山椒がすごくいいアクセントになっています。お茶漬けとの相性もぴったり。無理せず一膳をいただけました。

お店の方も、「大丈夫でしたか?食べられないっていう方もいらっしゃるんですが・・・」と心配そうに声をかけてくださいましたが、満足だった旨をお伝えすると、ほっとされたようでした。

それにしても、この食べ方を最初に考えた人はたいしたものだと思います(世の中、そういう料理があふれていますが、これは特に)。魚を発酵させて味を引き出すなんて。


満足な気持ちのまま、電車に乗り込みました。今度は2時間かけて、日常に戻る行程です。折り返し。


マキノにはまた訪れることになると思います。同じように、「はしごのかけ違い」を確かめに、そして自然に接するために。また鮒寿司茶漬けをいただくことにもなるでしょう。いずれにしても、思いつきの旅なのに、そう思えるものにできたのは幸運だったと思います。これから、いくつそういう場所が見つかって、そして何回、そこを訪れることができるんだろう。旅の最後に思ったことはそれでした。


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