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なぜセルビアが「悪者」になったのか - 高木徹「ドキュメント 戦争広告代理店」

90年代のユーゴスラヴィア紛争において、セルビアには国際的に強い「悪」のイメージがつきました。日本ではそういった認識はほとんどないと思いますが、むしろそれは世界的に見て例外と言えます。セルビア出身のサッカー選手ストイコビッチが「日本はセルビア人を差別しない世界でも数少ない国だ。」と言っていたことからもそれがわかると思います。

ではなぜセルビアばかりが悪者になったのか?もっといえば、石油があるわけでも経済的に力があるわけでもない旧ユーゴ諸国の紛争になぜ世界が関心を持ったのか?私はこれまで、前者についてはきっと旧ユーゴの中でセルビアが一番力があったから、後者についてはヨーロッパの国でスラブ人とはいえ白人だから、という理由を勝手に考えていましたが、この本を読んで考えを大いに改めました。少なくともボスニア紛争においては、セルビアが「悪」となり、ボスニアのモスレムが「被害者」となったのはアメリカの一民間企業の力のなせるわざだったのです。

(以下、自分の備忘録として、本書の概要をほとんど書いてしまいますので、この本をちゃんと読もうと思っていらっしゃる方はここから下は読まないほうがいいと思います。)


ボスニア紛争の概要

本書の内容を見渡す前に、ボスニア紛争について簡単にまとめておきましょう。ユーゴスラヴィア連邦は様々な民族が混在する国でしたが、強力なリーダーシップを持つ指導者チトーの死と冷戦の崩壊の後、民族が各々の国を持ちたがるようになりました。まずスロベニアとクロアチアが独立。次にボスニア・ヘルツェゴビナが独立しようとしたとき、問題が起こります。

スロベニアはスロベニア人、クロアチアはクロアチア人がほとんどなのに対し、ボスニア・ヘルツェゴビナは4割がモスレム人(イスラム教徒)、3割がセルビア人、2割がクロアチア人という構成になっていました。セルビア人はセルビア、クロアチア人はクロアチアという「本国」がありますが、モスレム人には本国と呼べるところはボスニア・ヘルツェゴビナしかありません。一方、ボスニア内のセルビア人・クロアチア人は、もしボスニアが独立してしまうと「本国」から切り離され少数民族の立場に転落してしまいます。このため、セルビア人とクロアチア人はボスニア政府から代表を引き上げることになりました。結局、ボスニア・ヘルツェゴビナは、3つの民族が混在するのにモスレム人主体の政府を持つことになったのです。しかし、数の上では少ないセルビア人は、隣国セルビアの支援を受けモスレム人より強い軍事力を持っています。「弱い主流」と「強い傍流」のアンバランスさが、内戦を生み出すもととなったわけです。


一企業が作り上げた「国際世論」

この本は、1992年、このモスレム人主体の政府の外務大臣シライジッチが、「ボスニアが戦火に巻き込まれることになった際、国際社会の世論をボスニア側につけることで、セルビアへの対抗策とする」という方針のもと、アメリカを訪れるところから始まります。彼はべーカー国務長官との会談に成功、そこで「アメリカの力が欲しいなら、世論を動かすべき」というアドバイスをもらいます。そのアドバイスを実行に移すため、知人の人権活動家が紹介してくれたのが、PR企業ルーダー・フィン社のジム・ハーフ。PR企業とは、顧客を支持する世論を作り上げる企業のこと。この中でもジム・ハーフは、国家そのものを顧客として仕事をする人物でした。

ハーフと社長のフィンは、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府から多くの見返りは期待できないが、業界内での名声と地位を確立するため、この仕事を引き受けることを決めます。社内の倫理委員会で、モスレム人が実際の「被害者」となっていることを確認し、この仕事が倫理的に「問題ない」ことを確認することも忘れませんでした。

その後ハーフは、プロとして全力でシライジッチのサポートに徹します。まずシライジッチの高い英語力を活かした記者会見の設定。ボスニアの惨状を世論形成の有力者に逐一伝える「ボスニアファクス通信」の作成(このファクスの宛先は、アメリカのメディア、政治家、官僚などの他、イギリス・フランス・ドイツのメディアなども含まれていましたが、日本は日本の国連代表部だけでした)。TV出演やジャーナリストの取材のお膳立て(取材に応じてくれたジャーナリストには、シライジッチ・ハーフ二人から必ずお礼の手紙を書いた)。シライジッチを外務大臣ではなく「ボスニアの悲劇をたった今見てきた証言者」と見せる演出(実際には彼はずっとアメリカにいたままでボスニアには戻っていませんでした)。こうした地道な努力が実を結び、アメリカの世論はボスニアに関心を持ち始めます。しかし「ボスニアの悲劇」を決定的にしたのは、ある言葉の多用です。

ハーフは、アメリカ人の心を揺さぶるには、対象が「民主主義」と「人権」に関わるものだと認識させることが重要だ、と考えていました。そこに、ボスニアで、セルビア人がモスレム人を選別し住み慣れた村から追放している、というニュースを手にしたとき、「民族浄化」という言葉を使うことを決めます。

この言葉は、アメリカ人の持つ人権意識を刺激する格好のものでした。もしこれが「現代のホロコースト」だと、アメリカで力を持つユダヤ人がホロコースト犠牲者への冒涜だと捉えかねませんが、「民族浄化」ならそういった心配もありません。一言で、ボスニアの惨劇を強力に伝えることができます。ハーフは、ほとんどすべての文書で、「民族浄化」を使うようになります。この策は非常に大きな効果をもたらし、5月にはジャーナリストでもボスニアの位置を正確に知らない人が多かったのに、7月には普通のアメリカ人が親を失ったボスニアの子どもを養子にしたいという声が出るまでになります。その頃、ガリ国連事務総長(アフリカ出身)は「世界には(ボスニアの首都)サラエボよりもっと苦しい状況にある場所が10カ所はある。」と、至極まっとうな発言をしますが、この発言は国際的な大非難を浴びることになりました。そして7月9日のCSCE(欧州安全保障協力会議)では、ブッシュ大統領が「民族浄化」という言葉を使ってセルビアを非難するまでに至ります。


セルビアも反撃したが・・・

もちろん、セルビアも黙ってはいませんでした。7月末、ミロシェビッチ大統領は、旧ユーゴ生まれだが国籍はアメリカというミラン・パニッチに白羽の矢を立てます。彼はユーゴからアメリカに亡命、その後製薬会社を興し成功した人物です。アメリカでもセルビア擁護の意見広告を出したりしていました。英語が堪能な彼をユーゴスラヴィア連邦(当時ほとんどセルビアと同一化していた)の首相に据え、セルビアのイメージ回復を図るというわけです。パニッチは側近を英語のできる者で固め、自らも精力的に海外を飛び回り「セルビアの変化」をアピールしようとします。そしてボスニア同様、有力なPR企業を味方につけようと部下をアメリカへ派遣します。しかしそこで、パニッチは出遅れたことを痛感します。

有力なPR企業は、すでに他の旧ユーゴ連邦構成国と契約を結んでいたのです。ようやく見つけた別の企業も、「ユーゴ政府と仕事をすることは経済制裁措置違反になるので受けられない」という回答。それなら、ということでアメリカにいるセルビア人を介して契約をすることにして、やっとあるPR企業が応諾してくれたと思ったら・・・

ちょうどその時、第2のキーワード「強制収容所」が登場したのです。セルビア人がモスレム人を集めている強制収容所があるというニュースが発端でした。出所はニューヨークのタブロイド紙で、記者も現地を確認したわけではなく、収容所から逃げてきたという人の話をもとに書かれたものでしたが、ハーフはこの記事の重要性を見抜き、即座に「ボスニアファクス通信」に記載します。これも「民族浄化」と同様、マスコミに大きく取り上げられるようになりました。

これにより、ユーゴ(セルビア)についてくれるはずだったPR企業も、「こんな状態ではセルビア擁護の世論はつくれない」と契約を破棄。窮地に立たされたパニッチはアメリカの放送局ABCの記者を密着取材させた上で、自身がボスニア政府の首相を電撃訪問するという策を実行しましたが、訪問中にTVクルーが狙撃され死亡、訪問は中止に。そして9月22日には、ユーゴスラヴィア連邦は国連から追放されます。

ハーフのとった戦略は、ボスニア・ヘルツェゴビナとルーダー・フィン社双方にとって大成功だったと言えるでしょう。シライジッチはこれだけの仕事ぶりに対しても金払いが悪く、支払い時にはいつも不機嫌で、支払総額も9万ドル程度しかなかったということですが、ハーフはこの仕事で業界内の賞を受賞。ルーダー・フィン社には仕事の依頼が続々と入ってきました。製品に欠陥が発生し、対応を誤れば会社の存続が危うくなる、というような企業などがその依頼主でした。


一企業の力、英語の力、個人の力

私はこの本を読んで、結局アメリカの世論を味方につけることは、事実上世界を味方につけるのに等しいんだな、ということを今更ながらに認識しました。そして、一民間企業が国の運命を変えるようなこともあるのだということにもまた、アメリカ企業の力を目の当たりにした気持ちです。

そして国際社会における英語の重要性も同様に認識しました。シライジッチも英語ができたから直接アメリカのメディアにボスニアの惨状を訴えられた。彼が英語に堪能だったことはこのPR活動に大きな影響がありました。

もっとも感じたことは、コミュニケーションにおけるプレゼンテーション能力、人脈、熱意のもつ力です。ハーフは、これらを総動員して結果を勝ち取りました。たしかにそれが、セルビアという国のイメージを大幅に悪化させたことは否めません(それが仕事ですから)。そこに問題が潜んでいるという考え方もできるでしょう。しかし、ハーフの持つコミュニケーション力と仕事への熱意は、賞賛されるだけの価値があると考えることもできると思います。少なくとも彼は、嘘はついていないわけですし。

ジム・ハーフは独立し、現在グローバル・コミュニケーターズ社のCEOとなっています。ルワンダやスーダンにハーフがついていたら、これらの国の運命も大きく変わっていたのかもしれません。



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