庭を歩いてメモをとる

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M・スコット・ペック「平気でうそをつく人たち」

平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学

10年ほど前にはやったこの本。興味深かったのは、タイトル通り平気でうそをつく人たちのエピソードですが、その他にも気になったところをメモ。

私は、邪悪性を「・・・精神的成長を妨げるために政治的な力を行使する−すなわち、あからさまな、あるいはひそかな強圧をもって、自分の意志を他人に押しつける」ことであると定義した。彼女(よしてる注:平気でうそをつく人の一例)の存在が、ぞっとするような悲劇とはならずに、どちらかと言えばドタバタ喜劇でしかなかったのは、単に、彼女には行使すべき政治的な力がほとんどなかったという事実によるものである。

権力は、どうせならそれにふさわしい優秀さと人格を有する人に備わってほしいと心から思います。ただ、人間、少なくとも親になると、小さな子供には自動的に「権力」を持ってしまうんですよね。親として心したいところです。それに、こういう例もあります。

集団が、ソンミ村虐殺のような残虐行為を行うなどということがなぜ起こるのか・・・ひとつの答えとして・・・隊員たちは、彼らがこうむっていた慢性的ストレス(注:隊は成果をあげられないまま長い日々を過ごしていた)のせいで未成熟な状態に退行し、そのため、通常の条件下にあるときよりも邪悪になっていたということができる・・・真の意味で善良な人とは、ストレス下にあっても自分の高潔さ、成熟性、感受性、思いやりを捨て去ることのない人である。

物事に失敗した集団が最も邪悪な行動に走りやすい集団だということが明らかとなる。失敗は我々の誇りを傷つける。・・・ところが、邪悪な人間は自己批判に耐えることができない。したがって、邪悪な人間がなんらかのかたちで攻撃的になるのは、自分が失敗したときである。これは集団にもあてはまる。

人間として強くあるのは重要なこと。それはそうかもしれませんが、遠藤周作「沈黙」*1のキチジローのような人間はどうなのか、とも思います。善は強い人にのみなし得るものなのかと言われると、そうも思えないんですよね。

と、本とは関係のない方向に思考が飛んだ読後でした。


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