庭を歩いてメモをとる

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人生の折り返し点 - 村上春樹「プールサイド」

35歳になった春、彼は自分が既に人生の折り返し点を曲がってしまったことを確認した。
いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折り返し点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。
もちろん自分の人生が何年続くかなんて、誰にもわかるわけがない。・・・それでも彼は35歳の誕生日を自分の人生の折り返し点と定めることに一片の迷いも持たなかった。そうしようと思えば死を少しずつ遠方にずらしていくことはできる。しかしそんなことをつづけていたら俺はおそらく明確な人生の折り返し点を見失ってしまうに違いない。・・・そしてある日、自分がもう50歳になっていることに気づくのだ。50という歳は折り返し点としては遅すぎる。百まで生きた人間が一体何人いるというのだ?人はそのようにして、知らず知らずのうちに人生の折り返し点を失っていくのだ。彼はそう思った。(村上春樹「プールサイド」より)

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

私は20歳になったころから「人生時計」なるものを部屋に飾っています。おおざっぱに言うと、人生の進み具合を表示させる時計です(もちろん針は手動)。たとえば、朝6時に起きて夜12時に寝るとします。その起きている18時間を一生、たとえば72年間としてみる。そうすると、人生という1日が今どこまで進んでいるのか、今自分はどのあたりにいるのか、ということが把握しやすくなります。

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上記の数字でいくと、1年が時計上の15分になります。幼稚園に入った頃は午前7時すぎ。小学校卒業は9時過ぎ。高校から大学で午前中がほぼ終わり、お昼前に就職。午前中は学ぶ期間。お昼から午後の明るい時間は20歳代後半から40歳代前半、一般的に仕事や家庭などで活動的な期間。48歳で午後6時、文字通り黄昏に入りはじめなのかな。仕事を引退するころは夜9時、さて12時に寝るまでにどんなことをやろうか・・・と、こうしてざっと眺めてみると、1日の生活のリズムと一生のリズムってけっこう似ている気がしています。これも、「人生時計」を飾っている理由のひとつです。

しかしメインの理由は、やはり今が「いつ」なのかを知りたいというところにあります。村上春樹が書いているのも同じようなことだと思います*1。もちろん死ぬ時なんて誰にもわからない。このメモをネットにアップした途端にこの世にはいなくなってしまうのかもしれない。でも、今が「いつ」なのか、おぼろげながらにでもわかっていたいなと思っているのです。

もし上記の設定だと、折り返しは36歳からになります。私は今日から折り返しです。

*1:ちなみにこの小説は、自分が人生時計を設定した後読みました。同じことを考える人はやっぱりいるんだと思った


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