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ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

ラーゲリものということで、悲惨なものを想像していました。ところが、読み進めてもそのような印象をまったく持つに至らない。極寒の収容所で強制労働の日々、もちろん善人ばかりってわけでもありません。それでも主人公は「ほとんど幸せとさえ言える一日」を過ごしています。なんで?

かといって、「現実のよい面を捉える」「プラス思考」などとはまったく違う。主人公は、現実はそのまま捉えているんです。そしてやはり、その現実は普通に捉えると悲惨です。

しかし、主人公は過酷な環境下でも淡々と生きています。主人公は超人ではないんです。普通の人よりも多少タフで賢いのかもしれませんが、あくまで普通の人間。でもそれだけに、彼がそうやって日々を生きていっていることで、静かに、そして腹の底から「人間の力・尊厳」ってものを感じさせてくれました。

で、こういうものを書きあげ、自身も収容所経験があるソルジェニーツィンってどんな人なんだろうと思って調べてみましたが、この人自身もまさに「人間の力・尊厳」を体現したような生き方をしていることがわかり、二重に心を打たれました。まあイワンと違って、この人は超人っぽいですが。
参考:アレクサンドル・ソルジェニーツィンWikipedia


翻訳もこなれていました。いわゆる古典的名作*1の翻訳は、格調は高いんですけど現在の日常生活では決して使わないような言い回しが目立つってケースが多い。けれどもこの翻訳は違いました。親しんだ違和感のない言葉が大半で読み進めやすかった。これがこの作品から受けた感銘の一翼を担っているのはおそらく間違いありません。


ただ一点だけ。著者に罪はないのですが、「シューホフ」が「イワン・デニーソヴィチ」であることになかなか気づきませんでした。「イワンがなかなか出てけえへんな。主人公やのに。」と思いながら中盤まで読み進めている私も私なんでしょうが。とにかくロシアの小説を読むとき、よく悩まされるのがこの「ふたつのまったく違う名前が同一人物を指している」現象。「罪と罰」でもそんなのがあったような気が。

*1:この作品も20世紀後半に発表されたとはいえそう言ってしまっていいでしょうね。



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