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ひとつの島に2つの国家、2つの歴史-ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」

10月15日に書いた"Collapse"をぼちぼちと読み進めています。イースター島の次は、カリブ海はイスパニョラ島にあるふたつの国家、ハイチドミニカ共和国の環境の差について書かれた章を読んでみました(この章は、邦訳版だと下巻に収録されています。)。


同じ島にあるハイチとドミニカの差

ハイチは国土のうち森林がたったの1%。一方ドミニカ共和国は28%。両国とも発展途上国ですが、ハイチはアフリカ以外の第三世界でもっとも所得が低い国のひとつで、面積は島の3分の1なのに人口は島の3分の2。要するに貧しいのに人がどんどん増える悪循環に陥っているようです。社会基盤もほとんど整備されていません。一方、ドミニカ共和国は一人あたりの所得がハイチの5倍あり、人口密度や人口増加率はハイチより低い。アメリカへの出稼ぎが多いですが、野球で成功する人もいます(例えばサミー・ソーサ)。その他、治安においても当然差が出ています(上記の2つの国名をクリックすると外務省の安全情報にとびますが、そこを比較すればその差をおわかりいただけると思います)。この差はいったいなぜ生まれたのか?

その答えは、イースター島のときほど明快ではありません。しかしやはり歴史が大きく影響しています。


なぜ差異が生じたのか-近代化の過程

このイスパニョラ島はもともとネイティブ・アメリカンと同じ人種が先住民として住んでいたのですが、コロンブスの「発見」以降ヨーロッパ人がやってきたため彼らは疫病と殺戮で絶滅してしまいます。その代わりにここに連れてこられたのがアフリカの黒人奴隷たち。砂糖プランテーションのための労働力として彼らは酷使されていきます。

と、ここまでは典型的なヨーロッパ人によるアメリカ支配のパターン(こういうのが典型的ってこと自体がやりきれないですが)。この島が特別なのはこの後、スペインがこの島以外の地域、例えばボリビアの銀山などに目を移している隙にフランスがやってきて島の西を占拠するところです。

その後、島の西側はフランス革命の影響を受けて1804年にハイチとして独立を宣言、世界初の「黒人共和国」となります。これだけ読むと、ヨーロッパ人に蹂躙された人たちが立ち上がったか、とほっとしますが実はこれが後のハイチをよくない方向に導く最初の一歩だったのです。独立を手にした黒人奴隷たちはプランテーションを破壊しノウハウを持ったフランス人の管理者も殺戮していくのですが、それによって経済的な基盤がなくなってしまうのです。

一時は島全部を領有したハイチですが、その後島の東側はドミニカ共和国として独立します。ハイチと違い、ドミニカ共和国のほうは経済基盤もそれほど破壊されませんでしたし、外国人の排斥もあまりなかったようです。そのため、「外国人を排斥し言葉もクレオール(この場合、アフリカの言語にフランス語が混じったもの)」のハイチに比べ、「移民ウェルカムでスペイン語が通じる」ドミニカ共和国のほうが外国の関心をひき、様々な国から移民がやってくるようになります(なんと日本からも)。

その関係でドミニカのほうが近代化を早く進めることができ、生活エネルギーを木炭から水力発電による電気に切り替えるようになりました。一方でハイチはずっと木炭のまま。そのため、ハイチではどんどん木が伐採されていったのです。


なぜ差異が生じたのか-独裁者の方針

差がついた理由はこれだけではありません。両国共に、危険な独裁者が強権をふるった時期が長かったのですが、ドミニカ共和国の独裁者は環境にかなり関心があったようです。その一人トルヒーヨは1937年の段階で学者を呼んで環境アセスメントみたいなことをやらせ、木をむやみに伐採しないように規制します。また、1950年代にも水力発電がちゃんと機能するように雨水を保持する力を持った森林を保護するようにしていきます。彼の後継者バラゲールも森林保護には熱心で、違法伐採者に対してはヘリコプターで銃撃を加えたりしてますし、94歳で引退するときも、国立公園の保護を弱める法案を検討していた後継者に対し、保護を弱めることができない法律を通してから引退したほどです。一方で、ハイチの独裁者デュバリエ父子はそういうことはやってなかったようです。

なぜドミニカの独裁者たちは環境保護に熱心だったのか?そもそも政敵や反対派を次々抹殺するような彼らがなぜ環境に目を向けたのか?経済のため、という理由は大きいでしょうが、トルヒーヨはともかく、ある程度の近代化を達成した後のバラゲールの時代、そこまでの環境保護を行うにはかなり「個人の趣味」が入っているような気もします。

この疑問をもった著者はドミニカ共和国で出会った人に「なぜバラゲールはあんなに環境保護に熱心だったのか?」と訊いてまわりますが、答えはすべて違っていたそうです。一人は「ヒトラーだって犬好きだった」と答えたとか。それに著者は思い浮かべます。軍事政権下のインドネシアでも、自分自身は兵士に危うく殺されそうになったりしたが、国立公園による自然保護の仕組みはかなりしっかりしたものだったということを。結局この著者も、なぜバラゲールが環境保護に熱心だったのかという問いに対してのはっきりした答えは不明、としていますが、「独裁者は悪なので環境保護などするわけがない」という論理が間違いであることは示しています。


感じたこと

私がこの章を読んで感じたことは、ヨーロッパに蹂躙された国であっても結局ヨーロッパのノウハウや支援がないとうまく国が立ちゆかなかったという矛盾と、怒りやプライドだけでは国を作り上げていくことはできないというよく考えれば当たり前のこと。そして何にしろ、トップダウンはいろんな意味で最強で影響力甚大だ、ということです。

次はどの章を読もうかなあ。


関連メモ


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