庭を歩いてメモをとる

おもしろいことや気になることのメモをとっています。

ポール・マッカートニーの農場

ポールが身近な町

Mull of KintyreからCampbeltownの町へむかうタクシーの中で、運転手のおばさんに聞いてみました。

「ポールの農場が近くにあるんですよね。ポールを見たことありますか?」
「ないわ。彼はそんなに町にはこないで、農場でゆっくりとすごしているようよ。でも、私の母は、ポールの農場で働いていたから、何度でも彼に会っているのよ。」
「それはすごい!! ポールはどんな人だったか聞いていますか?」
「使用人に対してもきちんと声をかけてくれたんですって。very niceだったそうよ。」
こんな話を聞くと、こののどかな田舎町は、ほんとうにポールが身近な町なんだなと思い知らされました。

ということは、このおばさん、ポールの農場を知っているのかな?ビートルズのムック「Nowhere」(プロデュース・センター)の記事では、ポールの農場を見つけられなかったと書いてあった。でもそんなの、タクシーの運転手に聞けばすむことじゃないか。聞いてみよう。
「ポールの農場に行きたいんですけど、場所ご存じですか?あ、見るだけで、ポールの私生活のじゃまはしません。」
「もちろん知ってるわよ。」
さすがだ。
「明日の午前中案内してほしいんですが。」
「残念ながら私は行けないので、別のドライバーが迎えに行くようにするわ。」
この日は、歩き疲れと景色の残像と明日への期待で、とてもいい眠りが私をとらえました。


Small Barnへ

朝。待ち合わせ場所の小さな波止場に、時間きっかりにタクシーがやってきました。
「おはよう。」
元気な初老のおじさんでした。

「ところで君は双眼鏡をもっているか?」
え?小さなオペラグラスはあるけど。
「それじゃあポールの農場はよく見えない。私の家まで戻ろう。双眼鏡を貸してあげよう。もちろんノーチャージで。」
すぐ近くの彼の自宅の前へ。車の中で待ちました。

双眼鏡は、イギリス人らしく、何年も使い込んだ味のあるどっしりしたものでした。
旅先の親切は、心にしみいります。

彼は、一緒に絵はがきも持ってきました。
「君と同じように、ポールの農場に行きたがった女の子がいた。その子が日本から送ってくれたんだ。」
絵はがきは銀閣寺のもので、でも住所は杉並区でした。
女性の名前はユキさん。思わず、Yukiって"Girls' Scool"に出てくるよなあ、あの曲って"Mull of Kintyre"のB面だったよなあ、などと思考がとんでしまいました。
車は出発しました。

町と町を結ぶ道路から、突然脇道へ。そこからは牧草地が一面に広がる景色が続きます。なだらかな丘陵を上り下りして15分くらいでしょうか。タクシーは細い砂利道に入りました。牧草地からでてきた羊の群が、道を横切ります。Small Barnが見えてきました。中にベッドはなさそうですが。
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ロウ・パーク・ファーム?

タクシーは、なんとその納屋の裏に入り込んでしまいます。
人の家じゃないか?大丈夫か?
運転手のおじさんはいいます。
「交渉してくるから、車の中で待ってなさい。」
何の交渉だろう?
・・・・・
彼が帰ってきます。
「やはりここから先へは入れないようだ。」
そう言って、タクシーは砂利道に戻ります。
「ここから先に、ポールの農場があるのですね。」
「この建物自体がポールの農場だよ。」
「え!」
砂利道の途中で車を停めてもらいました。
人の家を申し訳ないけど、写真を撮らせてもらいました。

かなり質素な建物です。 でも荒れ果てた感じではなく、人が住んでいる雰囲気があります。
「ポールの息子が農場にきてるらしいよ。」
ジェームズにだけでも会って、"Heaven on a Sunday"のギターソロを聴いたよって言ってみたいな。


農場は広かった

車に乗り込もうとすると、運転手さんが双眼鏡を持って車から出てきました。
「こちらの農場は、全部ポールのものだ。」
砂利道の、納屋に向かって右側の視界いっぱいにひろがる牧草地こそ、ポールの農場でした。

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農場全景

運転手さんは指をさして解説してくれました。
「ポールの農場には、建物が4つある・・・・・」
双眼鏡で確認してみました。
はるかかなたに、かわいらしい赤い屋根と緑の壁の建物がふたつ。
大きな厩舎のような灰色の建物がひとつ。
間近にある納屋。
そして目の前いっぱいに広がる草原。
ポールの農場は、あまりにも広かった。
それは、ビートルズ解散直前の混乱期のポールを受け止める懐の広さにも、様々な名曲を産み出す舞台としての広さにも感じられました。

しばらくそこで農場を眺めていました。
運転手さんはずっとつきあってくれました。

日本へ帰ってから、私は運転手さんに絵はがきを送りました。
今度は私の絵はがきが、ポールの農場に訪れる人に紹介されるかも
しれません。


(この数日後、Liverpoolに行き"Free as a Bird"のPVロケ地を訪問しました)


半年後

日本に帰って半年後、運転手さんから手紙が届きました。1998年のカレンダーと一緒に。キンタイア半島の美しい風景を写し出したそのカレンダーを眺めていると、またあの岬と農場への想いがつのります。このカレンダーは、年が変わっても、次にキンタイアを訪れるときまで部屋に飾っておくことになるでしょう。


18年後(2013年)

仕方がないことかもしれませんが、残念なニュースです。リンダがいなくなってからポールがキンタイアの農場に行く機会が減り世話係さんにお暇が出されたそうです。
How Mull of Kintyre lost its magic for Paul McCartney | Daily Mail Online(英語)


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